アイス
久しぶりに。
テレビでフィギュアスケートをやっていました。それで、というわけでもありませんが、「アイス」関係のことばを。三国を中心に見ていきます。
アイス ①氷(でひやしたもの)。「-ティー」②←アイスクリーム。
(三省堂国語辞典)
岩波 ③「アイスキャンデー」「アイスクリーム」の略。
明鏡・学研も同じ
アイスキャンディー 果汁などを凍らせた棒状の氷菓子。アイス。アイスキャンデー。
三国は「アイスキャンデー」を「アイス」とは言わない、という判断のようですが、言ってもいいように思います。
「アイスティー」は「氷で冷やしたもの」の例として出してあるだけですが、コーヒーのほうは追い込み項目として語釈がついています。
アイスコーヒー 氷を入れた冷たいコーヒー。(三国)
「氷で冷やした」のと「氷を入れた」のは、結局同じでしょうか。
いや、次のように書く辞書もあります。
アイスコーヒー 冷たくひやしたコーヒー。また、小さい氷をたくさん入れたコーヒー。
確かに、違うものですね。私の行く喫茶店では、アイスティーにも氷をたくさん入れますが。ひやすだけの場合もあるでしょうか。
アイスクリーム 牛乳・砂糖・卵のきみをまぜあわせて凍らせたもの。(三国)
新明解 〔牛乳の脂肪分八パーセント以上のものと定められている〕
新潮 ~乳脂肪含有率八%以上のもの。以下のものは含有率によりアイスミルク・ラクトアイスという。
三国の記述で十分でしょうが、詳しく書く辞書もあります。そこまで書かなくてもいいのかもしれませんが、それぞれ面白いです。
「ラクトアイス」はよく見ることばなので、三国あたりは採りあげていいことばなのでは?
ラクトアイス〔和 lacto+ice〕アイス-クリーム類のうち、乳固形分3.0パーセント以上を含むもの。厚生労働省令に規定。 (大辞林)
食べ物でなく、スケートのほうの語も。
フィギュア ①フィギュアスケート。音楽に合わせて、ジャンプやスピンなどを交えて氷上をすべり、技術力や表現力をきそうスケート競技。男女別のシングル、男女のペアなどがある。 (三国)
これはていねいに、しっかり書いてありますね。
この項目では、新明解がちょっと変です。
フィギュアスケート 〔スケート競技で〕規定の図形を正確に描いたり 演技の技術や芸術性を競ったり するもの。フィギュア。
[新明解国語辞典第七版]
「規定の図形を正確に描いたり」とは、何のことか。
これは、「コンパルソリー」という種目があった時代の話です。
ウィキペディアから。
コンパルソリーフィギュア(Compulsory figures)は、フィギュアスケートの男子シングルと女子シングルで1990年まで行われていた種目のひとつ。スクールフィギュア、規定とも呼ばれていた。氷上を滑走して課題の図形を描き、その滑走姿勢と滑り跡の図形の正確さを競う種目である。このフィギュアという言葉がフィギュアスケートの由来となった。
1990年で廃止されたというのに、新明解はまだ直していないんですね。
もう一つ。こちらは、三国がちょっと変な感じで。
アイスショー 競技に関係のない、フィギュアスケートのショー。(三国)
「競技に関係のない」ということをわざわざ言う必要があるのでしょうか。単に氷の上の「ショー」と言えば十分では?
アイスショー アイス-スケートによる軽演劇・ダンスなどのショー。 (大辞林)
質量
科学用語をきちんと説明するのは難しいことです。その一例を。
質量 ②〔理〕物体をてんびんにのせたとき、どれだけおもりをのせるとつり合うかを示す数値。重力が変わっても一定。基本単位はキログラム。→:重さ。
さて、これでいいでしょうか。「重さ」を見よ、というので見てみます。
重さ ②ものを、台ばかりにのせてはかる数値。目方。重量。〔物理学では、物体に加わる重力の大きさ。無重力状態では、重さはゼロになる〕→:質量
こちらには「物理学では」以下の説明があり、その中で「無重力状態」での「重さ(重量)」の問題に注意を向けさせています。
この「無重力状態」の場合を考えると、「てんびん」で「つり合う」かどうかを調べる「質量」の項のやり方も有効でないことがわかります。てんびんを使って比べられるのも、結局重さ・重量だからです。
新明解は
〔物理で〕物体が有する物質の量。〔昔は密度と体積の積と考えられたが、現在では、物体に働く力を加速度で割った値、すなわち動きにくさを表わす量として定義される。基本単位はキログラム〕
[新明解国語辞典第七版]
力と加速度で定義します。それだけではわかりにくいので、「すなわち動きにくさ」のことだ、と説明を加えています。質量とは「動きにくさ」を表す量だ、と言われて、なるほど、と思う人は少ないかもしれませんが。
しかし、そう言わざるをえないのが科学的な定義というもので、三国の「てんびん」の説明はわかりやすいのですが、不正確です。
私が見た中では、例解新国語辞典がわかりやすく、正確だと思いました。
質量〔物理〕物体のもっている、物質の量。大きさは、キログラムで表す。重いものほど、また、力をくわえたときに加速しにくいものほど、質量が大きい。[参考]地球上では、ふつう、重量が質量であるが、重量は地球の引力〔=重力〕にひかれて生ずる重さだから、月では重量は六分の一になり、無重力状態では、重量ゼロになる。これに対して、質量はどこにあってもかわらない。
例解新国語辞典
すべての項目をこのように詳しく説明することは、辞典の大きさという問題を考えると、できないのですが、きちんと説明しようとすると、こうなるのだと思います。例解新の「中高生向け」という態度がよく出た項目です。
愛器・愛機
「愛器」と「愛機」の違いは、次の例であげられているものの違いということでいいのでしょう。
愛器〔文〕愛用の楽器・器具。
愛機〔文〕気に入ってたいせつにあつかう、機械・写真機・飛行機・機関車など。
つまり「楽器・器具」だから「愛器」、「機械・写真機・飛行機・機関車」だから「愛機」となるんだ、と。
そういうものかなあ、ともちょっと思うのですが、まあ、それでいいことにします。
ここでちょっと気になるのは、それらの例の前にある説明の部分です。「愛用の」と「気に入ってたいせつにあつかう」の違いは何でしょうか。
愛用(名・他サ) 気に入って、いつも使うこと。「-のカメラ」 三省堂国語辞典
ふむ。「気に入って」までは「愛機」の語釈と同じですね。そのあとの「いつも」と「たいせつに」が違うということのようです。
でも、「愛用の楽器」は、やはり「たいせつに」使うんじゃないか、と。
それに、「愛用のカメラ」という例は、「愛機」の例の中の、「写真機」と同じじゃないですか。
そうすると、「愛器」のほうを「愛用の~」としたのは、単に、
気に入って、いつも(たいせつに)使う楽器・器具。
気に入ってたいせつにあつかう、機械・写真機・飛行機・機関車など。
のような、似た説明が並ぶのを避けただけ、ということでしょうか。
逆に、両方を「愛用の」にしてしまうと、
愛用の楽器・器具。
愛用の機械・写真機・飛行機・機関車など。
となって、いかにも手を抜いているような感じになってしまいますし。
他の辞書を見てみると、
愛機 その人の使いなれた飛行機・写真機など。
愛器 その人の使いなれた楽器。 新明解
愛機 飛行機・カメラなど、大切に使っている機械。
愛器 楽器・文具など、大切に使っている器具。 明鏡
のように、同じ説明のしかたですましています。(新明解の「使いなれた」だけで「愛機・愛器」ということばに込められた「気持ち」が伝わるかどうか、多少疑問に思います。)
岩波、三省堂新など、どちらの語も項目としてとりあげていない辞書があるのはちょっと驚きでした。「アイキ」ということばを、例えば映画の中で聞いたとして、それを辞書で調べようとしてものっていない、それでいいのでしょうか。
愛好・愛慕
続けて、愛に関わることばを。
愛好(名・他サ)好きで、したしむこと。「-者・平和を-する」
「平和が好きで、したしむ」? 「音楽を愛好する」なら、「好きで、したしむ」でいいかもしれませんが、「平和を」だと、どうか。
親しむ ①したしくする。「友と-・ファンに親しまれる」②その中に、とけこんで楽しむ。なじむ。「自然に-」 三国
なんか違うような。
「平和を愛好する」というのは、もっと積極的な態度でしょう。何かと好戦的なことばを投げつける、人をあおるような風潮に対して、静かに、しかし決然とした態度で「平和を愛好する」と言い切る、そういう態度だと思います。(ちょっと思い入れが過ぎるでしょうか?)
愛好 好ましいものとして、その物事を積極的に受け入れること「平和を-する/音楽-家・切手-者」 新明解
「積極的に」は賛成ですが、「受け入れる」でいいかどうか。
「平和」の場合は「積極的に高く評価し、尊重する」こと、ぐらいでどうでしょうか?
それを「受け入れる」と言うんだ、というのが新明解の編者の考えかもしれませんが、少し違うように思います。
まあ、この辺は、とらえ方の相違、と言ってもいいでしょうか。三国の「好きで、したしむ」よりはずっといいように思います。
三国も、「平和を-」という例でなく、「音楽/自然を-」ぐらいの例だったら、「好きで、したしむ」でよかったのだろうと思います。
「平和を-」という例をあえてあげるのならば、それに合った語釈を考えてほしいと思うのです。
もう一つ。
愛慕(名・他サ) 〔文〕愛ししたうこと。「-の念」 三省堂国語辞典
これは「愛慕」の漢字を訓読みしただけです。意味はまさにそのままなんだから、それでいいじゃないかと言われればそうかもしれませんが、どうもねえ。(他の辞書も、ほとんどすべて「愛し慕う」です。)
できれば、「愛し慕う」のあとに、それを別のことばで説明してほしいと思います。例えば、次のように。
特定の相手に対して深く心を寄せ、できることならいつもそば近くにいたいと思うこと。 新明解
この語釈でぴったりかどうかはおいて、「愛」も「慕う」も使わずに、という努力を買います。
新明解は、こういうところが好きです。
ただし、新明解は用例がありません。三国の「-の念」だけというのも、まったくないよりはましですが、不十分すぎます。
私が、「愛慕(する)」ということばに関して知りたいことは、どのような人が、どのような対象に対して、このことばを使えるのだろうか、ということです。
愛唱・愛誦・愛読
愛のことばを。
あいしょう 愛唱(名・他サ)好きで歌うこと。「私の-歌・世界の-歌」
好きで歌えば「愛唱」なんでしょうか。今ひとつ語釈が「浅い」感じがします。
「愛飲」の項では、「日ごろから好んで飲むこと」と、いい語釈をつけていたのに、ここでそう書かないのはなぜでしょうか。
明鏡 ある歌を日ごろから好んで歌うこと。
新明解 好きで、折につけて歌うこと。
「折につけて」というのはいい表現ですね。
では、もう一つの「愛誦」。
あいしょう 愛誦(名・他サ)〔文〕好きで<くちずさむ/節をつけて声に出す>こと。 三省堂国語辞典
この語釈も同じですね。しかも用例がない。何を「くちずさむ」のかわかりません。
明鏡 ある詩歌や文章を、日ごろから好んで口ずさむこと。「漢詩を-」
新明解 好きで、折につけて声に出して言って見ること。「-する古典」
現代例解 「啄木の歌を愛誦する」
学研現代・岩波 「牧水の歌を-する」
新潮現代 「万葉集中の-歌」
この用例を比べると、それぞれの編者の好み(?)がわかります。
大漢和辞典の大修館はさすがに「漢詩」です。広辞苑は限定して李白。
岩波と学研が同じ牧水というのは意外でした。啄木は曲が付いているものもありますね。
「愛読」も見てみましょう。
三国 好きで〔本や雑誌を〕読むこと。「-書・-者」
明鏡 特定の書物を好んで読むこと。「冒険小説を-する」「-者」
新明解 〔その書物や新聞などを〕好きでよく(いつも)読むこと。「-者・-書」
現代例解・例解新 「漱石の作品を愛読する」「愛読書」
岩波 「-者」「-書」
学研現代 「魯迅を-する」「-書」
三省堂現代 気に入って、くり返し読むこと。「-書・少年時代に-した本」
広辞苑 「-書」「-者」
「冒険小説」「推理小説」というのはいいですね。こういうところで気取ってもしかたがない。いや、「漱石・魯迅」が好きなのは、それでもちろんいいのですが。
岩波と広辞苑はつまらないですね。三国・新明解も。
皆、同じような例の出し方をしていますが、三省堂現代はちょっと工夫しています。こういう工夫が、国語辞典として大事だと思うのですが。
この「愛読」に関しては、圧倒的に他に差をつけている辞書があります。
新潮現代 「足元には積み重ねた五六冊の-書が」「お目にかかりたかっただけです。僕も先生の-者の」「『つれづれ草』などは未だ嘗て-したことはない」
「愛読書」「愛読者」も文学作品からの実例です。最後の例は芥川の「侏儒の言葉」から。用例の集め方が根本から違います。やはり新潮現代はすごい辞書です。
愛煙・愛飲
やっと色の話を離れて、今度は「愛」にまつわる語を。
愛煙(名・他サ)タバコが好きなこと。「-家」 三省堂国語辞典
広辞苑、明鏡、新明解は「愛煙」はなく「愛煙家」のみ。つまり、「愛煙」だけで名詞として使うことはない、という判断でしょう。確かに、「愛煙を/が/に」という用法はほとんどありません。「愛煙の」はそれなりにあるようです。「愛煙の銘柄」という言い方は、私にも自然に感じられます。
三国は「愛煙する」という動詞を認めています。これは新しい情報で、ネットで検索すると例が多くあります。
でも、せっかく他の辞書にない、新しい用法だというなら、用例がほしいですね。「この銘柄を-している/する人は多い」とか。
愛飲(名・他サ)〔酒・コーヒーなどを〕日ごろから好んで飲むこと。「-者優待」
まあ、悪くはないんですが、もう少し限定したほうがいいような。
好んで飲むこと。「辛口の酒を-する」 広辞苑
特定の飲料をいつも好んで飲むこと。「吟醸酒を-する」 明鏡
これらの例のほうがわかりやすいと思いませんか。しかし、なんでお酒ばかりなんでしょう。編集者がおじさんだから?
飲み物のほか、たばこやサプリメントなどについて言うこともある
三省堂現代新
こういう説明を付ける辞書もあります。
青写真
しつこく、また「青」に関する語を。
青写真 ①青い地に白で、設計図や文字などをあらわした写真。青図。
設計図などを青地に白く焼き付けた写真。青焼き。ブループリント。
明鏡国語辞典
他の辞書もだいたい似たようなものですが、広辞苑だけ、ちょっと違うことが書いてあります。
青写真①(略)青地に白線あるいは白地に青線の印画が得られる 広辞苑
私の学生時代(1970年代です!)、明鏡の言う「青焼き」あるいは「ブループリント」と言えば、「白地に青線」が普通でした。それで、レジュメや論文のコピーなどを作りました。(「青地に白線」では、論文など長いものを読むのは辛いでしょう。)
現在のコピー(当時は「ゼロックス」と言いました。)と同じものはとても料金が高かったのです。(今でも覚えていますが、1枚40円でした。バイトの時給が160円くらいの時です)
大辞泉にも、こういう記述があります。
青焼き 青写真。特に、オフセットやグラビアの印刷で、校正に用いる淡青色の地に濃青色の印画。藍(あい)焼き。
「印刷の校正」で使う、ということで、私の知っているものとは違うのかもしれませんが、「淡青色の地に濃青色の印画」というのは、つまり薄いところに濃い青で、ということでしょう。
「青焼き」は「白地に青」のものもあったのです。それも「青写真」と呼んでいいかどうかは、私にはわかりません。