昨日の「異性」がらみの話ですが、、、。
「新明解」で有名なのは「恋愛」の語釈ですが、「恋」もほぼ同様です。
こい[1]コヒ【恋】
(一)特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられる ときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が昂揚(コウヨウ)する一方、破局を恐れての不安と焦躁(シヨウソウ)に駆られる心的状態。 『新明解国語辞典 第五版』
まあ、この内容の大筋に関しては私にはあまり言うことはありません。だいたい、「恋」について語るには、私は適格でない、、、。
ま、それはともかくとして、考えてみたいのは「特定の異性に深い愛情を抱き」というところです。何が問題かって?
「異性」じゃなきゃ「恋」じゃないのか、という問題です。
フランスやアメリカで、同性愛者の結婚は合法かどうかということが大きく問題になっていることは、みなさんご存知でしょう。
日本でも、「忍ぶ恋」と言えば、武士道の「葉隠」で有名なことばでしょう。本当かどうかは知りませんが、日本は伝統的に(男性の)同性愛に関して、比較的寛容な社会だったといわれます。
で、辞書です。こう書いているものもあります。
こい【恋】コヒ 名
特定の異性(まれに同性)を強く慕うこと。切なくなるほど好きに なること。また、その気持ち。 [明鏡国語辞典 第二版]
なかなか。「まれに」ですか。
明鏡も初版ではこの注意書きはありませんでした。ほかの辞書を調べてみると、気づいた限りでは、小学館の「日本語新辞典」(2005)が「(時には同性)」と書いていました。こちらのほうが明鏡の第二版より早いようです。もっと早くから「同性」の恋について書いた辞書があるかどうかは、今のところわかりません。
こういう問題はどう考えたらいいのでしょうか。セクシャルマイノリティの問題。NHK教育テレビの「ハートをつなごう」という番組が、けっこう前からLGBTの問題をとりあげています。その流れを受けて、辞書もどうにか考えていったほうがいいのでしょう。「まれに」か「時には」か、あるいはもっと別の書き方がいいのか。
「デートする」も「異性」と限定していいのかどうか、問題ですね。
saburoo