変なタイトルですが、新明解の「教わる」を引いて不思議に思ったことを。
【教わる】(他五)
「教える」の受動形「教えられる」の口語形。
先輩(この本)から多くのことを教わった [新明解国語辞典第七版]
と言うのを見て、つまり、「教えられる」は「口語」ではない? え? と思ったのです。
あわてて、「口語」を見ると、
こう(オ) ご【口語】
音声で表現される言語のうち、その社会の人が日常の生活でごく一般的に使用するもの。 〔話し言葉そのものとは異なる整合性が求められ、同時に文語に対して、独自の文法・語彙(ゴイ)の体系が備わっている〕 -文
[新明解国語辞典第七版]
「教えられる」は「日常の生活でごく一般的に使用する」語だと思うのだけれど...
その辺の判断が、新明解の編者と私ではかなりちがうのでしょうか。
「口語」でないとすると、何なのでしょう。まさか、「文語」ではないし。
【文語】
表現される言語の中で、現代口語では すでに一般的ではなくなった
文体・文法体系に属する表現。
〔狭義では、平安時代の和文を規範とするものを指す〕-文法
[新明解国語辞典第七版]
また、「話し言葉そのものとは異なる整合性が求められ」というところも、どうもわからないので、「はなしことば」を調べてみました。
はなしことば【話し言葉】
日常の言語生活で、実際に用いられる言葉。
〔書き言葉が内省的であり 規範的であるのに対し、場面で理解されることが多いので、文法的に整わなかったり 省略表現が用いられたり することがある〕 ⇔書き言葉
この説明はまあ、納得できるところですね。でも、「口語」の「話し言葉そのものとは、、、」というのはやはりよくわかりません。
ああ、この「口語」は「口語文」の話なのかしら。つまり、書き言葉。いや、「音声で表現される言語」と言っているから、やっぱりそうではないのでしょう。
「口語:文語」と「話しことば:書きことば」は、問題となっている事柄の質がちがうのでしょう。そこが上の語釈でははっきりしない。「口語」と「話し言葉」の違いを、単に「整合性」の違いとしてしまっているところが問題なんじゃないでしょうか。
ふむ。よくわかりません。