雑草
三省堂国語辞典で「あかざ」という項目をみると、
あかざ 〔植〕雑草の名。昔は食用。
とあります。ずいぶんそっけないなあ、と思います。それに、「雑草」なんて語を語釈に使っていいのかなあ、とも。
で、「あかざ」をほかの辞書で見ると、
畑・荒れ地に自生する一年草。若葉は食用、茎はつえにする。〔アカザ科〕「-の羮」(新明解)
このぐらい書いてくれると、辞書を引いたかいがあります。「つえにする」は面白い情報です。もちろん、「雑草」ではありません。
では、「雑草」とは。
雑草 田畑にはえる、農作物以外のいろいろの草。生命力の強いもののたとえに用いる。(三省堂国語)
え?「田畑にはえる」草だけ?
では、我が家の庭に生えるのは雑草でない? そんなバカな。
他の辞書を見てみると、
栽培しないのにはえる、いろいろな草。(岩波)
ずいぶんあっさりした説明ですが、まあ、そうでしょうか。
あちこちに自然に生えているが、利用(鑑賞)価値が無いものとして注目されることがない(名前も知られていない)草。(新明解)
まあ、このぐらいが常識的な理解でしょう。「注目されることがない」というところがいいですね。
それにしても、三省堂の編者は何を考えているのか。
他のいろいろな草はどうなっているのか、三省堂国語を引いてみました。(語釈は一部のみ。形などの情報は省略します)
えのころぐさ 道ばたにはえる、イネの仲間の雑草。
つゆくさ 道ばたなどにはえる雑草。
なずな 道ばたなどにはえる野草。
母子草 道ばたにはえる雑草の名。
この中で、「なずな」の扱いの違いはなぜ?「道ばたなどにはえる」までは同じなんですけど。「野草」とは。
野草 山や野にはえる草。
特に「雑草」との違いはないような。
いや、「山や野にはえる」草が「道ばたにはえる」のと、もともと「道ばた」専門の雑草との違いがあるのか。これらの草をよく知っている人なら、この三国の記述をナルホドと思うのでしょうか。
さらにほかの草を。
なぜ「いなか」に限定されるのでしょうか。「いなか」ってどこでしょう。都市あるいは郊外の道ばたと、「いなか」の道ばたではやはり違うのでしょうか。
仏の座 ①田のあぜにはえる野草。形はタンポポに似ているが、小形。
②道ばたにはえる野草。春、紫色の小さな花が咲く。
なでしこ 野山や河原にはえる草。
ふじばかま 野山にはえる草。
雑草か、野草か、草か。その区別の基準は何なのでしょう。ふじばかまの「野山にはえる草」とはつまり「野草」ですよね。
単に、それぞれの項目の執筆担当者による違いでしょうか。もしそうなら、編集者の仕事とは何なのでしょう?