「愛器」と「愛機」の違いは、次の例であげられているものの違いということでいいのでしょう。
愛器〔文〕愛用の楽器・器具。
愛機〔文〕気に入ってたいせつにあつかう、機械・写真機・飛行機・機関車など。
つまり「楽器・器具」だから「愛器」、「機械・写真機・飛行機・機関車」だから「愛機」となるんだ、と。
そういうものかなあ、ともちょっと思うのですが、まあ、それでいいことにします。
ここでちょっと気になるのは、それらの例の前にある説明の部分です。「愛用の」と「気に入ってたいせつにあつかう」の違いは何でしょうか。
愛用(名・他サ) 気に入って、いつも使うこと。「-のカメラ」 三省堂国語辞典
ふむ。「気に入って」までは「愛機」の語釈と同じですね。そのあとの「いつも」と「たいせつに」が違うということのようです。
でも、「愛用の楽器」は、やはり「たいせつに」使うんじゃないか、と。
それに、「愛用のカメラ」という例は、「愛機」の例の中の、「写真機」と同じじゃないですか。
そうすると、「愛器」のほうを「愛用の~」としたのは、単に、
気に入って、いつも(たいせつに)使う楽器・器具。
気に入ってたいせつにあつかう、機械・写真機・飛行機・機関車など。
のような、似た説明が並ぶのを避けただけ、ということでしょうか。
逆に、両方を「愛用の」にしてしまうと、
愛用の楽器・器具。
愛用の機械・写真機・飛行機・機関車など。
となって、いかにも手を抜いているような感じになってしまいますし。
他の辞書を見てみると、
愛機 その人の使いなれた飛行機・写真機など。
愛器 その人の使いなれた楽器。 新明解
愛機 飛行機・カメラなど、大切に使っている機械。
愛器 楽器・文具など、大切に使っている器具。 明鏡
のように、同じ説明のしかたですましています。(新明解の「使いなれた」だけで「愛機・愛器」ということばに込められた「気持ち」が伝わるかどうか、多少疑問に思います。)
岩波、三省堂新など、どちらの語も項目としてとりあげていない辞書があるのはちょっと驚きでした。「アイキ」ということばを、例えば映画の中で聞いたとして、それを辞書で調べようとしてものっていない、それでいいのでしょうか。