ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

三省堂国語辞典から。

 

  い イ (名)〔音〕長音階のハ調のラに当たる音(オン)。A音。

 

ひらがなの次にカタカナがあるのは、カタカナで書くのが標準表記である、ということです。音楽用語です。

他の辞書にはあまりありません。学研現代にはあります。

他の音も引いてみます。

 

  ろ ロ (名)〔音〕長音階のハ調のシに当たる音(オン)。B音〔=ドイツではH音〕。「-短調
  は ハ (名)〔音〕長音階のハ調のドに当たる音。C音。


  「ニ・ホ・ヘ・ト」もほぼ同じです。ニとトにだけ「ニ長調」「ト調」という例があります。「イ」にも、例として「イ短調」などがほしいところです。
 ロにだけ、ドイツでの言い方が書いてあるのはなぜかわかりません。謎です。

さて、「長音階のハ調のラに当たる音。A音。」という語釈で、「イ」とは何かがわかるでしょうか。

大辞林はもう少し詳しく書いています。


  大辞林 洋楽の音名。欧語音名Aにあてた日本音名。洋楽音律では、通常四四〇ヘルツのイを基準音とする。 

 

これも、わかりやすいとは言えませんが、この語の背景が少しわかります。まず、「洋楽の」つまり「邦楽」ではない、「音名」、音の呼び方だとわかります。そして、「日本音名」であること。「欧語」での音名では「A」であること。

後半の「洋楽音律」以下は何だかわかりませんが、物理的な高さが、ともかくわかります。「基準音」がいったい何の基準なのかはわかりません。  

さて、これと「長音階のハ調のラに当たる音。A音。」とではどちらがわかりやすいか。

三国のほうがわかりやすそうですが、それでも「長音階」とは何か、私にはわかりません。「ハ調」もよく聞くことばですが、なぜそういうのか、理由ははっきり知らない人(もちろん私も)が多いでしょう。「ラ」は(正確なことはともかく)「知っている」と言ってもいいでしょうか。「ドレミファ~」の6番目の音をそう言う、ということで。(しかし、そもそも「ドレミファ~」とはいったい何なのか、はわかりません)

最後にポンと置かれた「A音」は、大辞林のいう「欧語音名」なのでしょうが、それがわかるくらいなら「イ」を辞書で引いたりしないでしょう。わかる人にはわかる、という例。

そして、わからない人が調べようとしても、「エーおん」という項目は三国にはありません。「A(エー)」はありますが、音楽用語としての説明はありません。つまり、「イ」の語釈の中の「A音」は、三国の中では説明が見つけられません。困ったもんだ。

さて、ここから話は長くなります。「長音階」「ハ調」「ラ」を三国の中で調べるとどうなるか、を追いかけてみます。

 

  長音階 七つの音からできていて、第三音と第四音の間と、第七音と第八音の間が半音である音階。メジャー。(⇔短音階)


「七つの音からできて」いる音階で、「第八音」とはなんぞや。説明が要りますね。「音階」がわからないといけないようですが、その前に、反対語の「短音階」を。


  短音階 七音からできていて、第二音と第三音の間、および、第五音と第六音の間が半音である音階。マイナー。(⇔長音階)


あるところが「半音」であるのはいいのですが、それ以外が「全音」であることを言わないと足りないんじゃないでしょうか。

「半音」と「全音」を調べる前に、「音階」です。

 

  音階 一オクターブの楽音を高さの順に配列したもの。

 

「一オクターブの楽音」とは何か、いくつあるのか、が問題です。


  楽音〔理〕規則正しく振動するおと。例、楽器のおと。(⇔騒音)

  オクターブ ①ある音から、半音でかぞえて、十二音だけ高い音。ある音に対して二倍の振動数を持つ。②半音で十二音ぶんの、音のはば。一オクターブ。


「音階」の「オクターブ」はこの②のことだとわかります。「半音で十二音ぶん」だと。で、「半音」とは。


  半音 ピアノの鍵盤でとなり合った鍵どうしの、音の高さの差。例、ミとファ。(⇔全音)

  全音 半音二つ分の、音の高さの差。(⇔半音) 


急にピアノを説明に使うとは。理屈だけで説明しようとすると、どうも行き詰まってしまうので、具体的な、読み手にわかるようなものを出してくる、ということ自体はいいことだと思うのですが。

しかし、ファとソも「となり合った鍵」と言えませんか?

白鍵どうしも「隣り合っている」のだけれど、間に黒鍵があるところではそう言えない。「ミとファ」という、ちょうど都合のいいところの話だけでなく、黒鍵のことも言わないと。

全音」のほうで「ファとソは間に黒鍵があるので全音の差になる、とか言えばいいのでしょうか。

  また、「ミとファ」というのも、何調かによってどちらかが黒鍵になったりするのでは? ピアノにおいて、「隣の鍵」とは。

  なぜピアノは「半音」の差を基準として鍵を並べるのか、というのが根本的問題だと思うのですが、それは、国語辞典としては解説不能ということになるでしょうか。

さて、元に戻って、「ハ調」と「ラ」です。

 

  ハ調 「ハ」から始まる音階の調子。

  調子 ①音や声の<高さ/高低>「-はずれの音・-が狂う・高い-で話す」②リズム。拍子。(略)

  ラ〔イla〕〔音〕ソの一つ上の音(オン)の名。

 

以下、ソ・ファ・ミ・レ、と下がって、

 

  ド〔イdo〕〔音〕長音階の、第一の音の名。

 

で、「長音階の、第一の音」という出発点が定まります。

 

以上の項目の説明をそれぞれ読んでいって、全体像がわかるのでしょうか。結局、ピアノの鍵盤に行き着くのなら、それをもっと使うとか。


少なくとも、最初の「長音階短音階」の説明の所で、「全音階」であることを言っておいたほうがいい、とは言えないでしょうか? そうしないと、「オクターブ」「全音」「半音」の関係が見えてきません。少なくとも「→全音階」を最後に付けるのがよいと思います。


  全音階 オクターブの中に、五つの全音と二つの半音を含む音階。(⇔半音階)
  半音階 十二個の半音からできている音階。(⇔全音階)

 

それから、「オクターブ」のところで、①の一オクターブ高い音から、また次の②のオクターブ分の音が並ぶのだという、当たり前のことを示唆するような言い方も必要ではないでしょうか。
  長音階の「七つの音」が「オクターブ」の基礎としてあり、その七つの音が何度も繰り返されるのが全体としての長音階だということ。やはりピアノの鍵盤のイメージがわかりやすいですね。
    しかし、ピアノがあのような形に作られている、その根本原理を説明するのは大変なのでしょう。

国語辞典が、数学や物理学の難しいことを説明する必要はありませんが、音楽は、かなり身近なものなのですが、それを説明しようとするとかなり複雑な話になってしまう。そこをどうわかりやすく説明するか。

三国がかなり頑張っているのはわかるのですが、もうちょっと、と期待するところです。