病気・病院
大したことではないのですが…。国語辞典の「病気」と「病院」の説明について。
病気 身体の生理的機能や精神の働きに障害が生じ、苦痛・不快感などによって
通常の生活が営みにくくなる状態。やまい。疾病。「━になる」 明鏡
-する (自サ)生理(精神)状態に異状が起こり、(発熱や痛みなどによって)
苦しく感じる状態(になること)。「-が治る/-にかかる/長年の-」
新明解
体の全部または一部が、生理状態の悪い変化をおこすこと。発熱・苦痛など
をともなうものが多い。やまい。わずらい。疾病。 岩波
これらの語釈を読むと、どうもその主体は人間に限られているように思われます。
もちろん、病気になるのは人間だけでなく、動物もなります。特に家畜やペットの病気は、それに関心のある人々にとっては重大な問題です。「鳥インフルエンザ」は大きな社会問題になります。
岩波は「体」だけで「精神」がないので、動物にも適用できますが、そういう意図で「精神」を省いたということでもないでしょう。
(それにしても、岩波は、このような誰もが知っている語に用例をつけるのは無駄なことだと考えているのでしょうか。)
私が見た国語辞典の中には、「動物も病気になる」ことをはっきり書いたものはありませんでした。
ただ、次のような注記をする国語辞典がありました。
病気 体に異常が起こり、正常に機能しなくなる状態。植物などについてもいう。
現代例解
病気(略)[表現]「葉の病気」のように植物について使うこともある。 例解新
農業関係者や園芸を趣味とする人にとっては、植物の病気は大きな問題です。
初めの三冊の国語辞典の語釈からは、植物について「病気」ということばが使えるとは予想できないでしょう。
日本語教育用の辞典で、「外国人のための基本語用例辞典 第二版」(文化庁1975)という辞典の「病気」の項には、
イモチ病はイネの病気の中でいちばんおそろしい病気である。
という例文がありました。日本人にとって、「稲の病気」はまさに重大な関心事です。
国語辞典の編集者には、ペットや農業・園芸に関心のある人は少ないのでしょうか。
次は「病院」です。
病院 医師が患者の診察・治療を行う施設。「━に通う」▽医療法では患者二〇人
以上の入院設備を有するものをいい、一九人以下のものは診療所として区別
する。 明鏡
病気にかかった(けがをした)人を二十人以上収容して、診察・治療を行なう
施設。「-をたらい回しにされる/総合-・大学付属-・-船」 新明解
入院・外来の患者を大勢迎えて診察・治療を行う施設。▽患者収容病床が
二十以上のを言う。 岩波
こちらも人間のみの話です。動物が病気になったらどうするか。獣医に見てもらうわけですが、ペットに関しては「動物病院」ということばが広く使われています。
いつものコーパス調査、NINJAL-LWP for TWC で「名詞+病院」という複合名詞を見てみると、頻度順で「大学病院」「総合病院」に次いで「動物病院」が三番目に入っています。その後は「附属病院」「精神病院」「市民病院」と続きます。
「動物病院」、なかなかよく使われることばなのです。
「動物の病院」はどうだろうかと「名詞+の+病院」を見ていくと、「人間の病院」という言い方が目にとまりました。用例を引用します。
・人間の病院と同じ事が動物病院でも確実におきています。
・それによると・・・まず、動物病院は、人間の病院と違い、建築できる場所が
限られてくる。
・人間の病院よりも動物病院の方が料金に差があるみたいですから、あちこち
回ったほうがよさそうですよね。
「動物病院」に対して、「人間の病院」という言い方がされるのですね。「病院」にかかるのは人間に限らないので、わざわざそう言う必要があるわけです。
私の見た国語辞典の中には、「動物」も「病院」へ行くのだということを書いたものはありませんでした。
まあ、書いてなかったからどう、というほどのことでもないんですが…。
やっぱり、国語辞典編集者にはペットを飼っている人、動物病院へ行ったことのある人は少ないのでしょうか。
植物は、病気になったらどうするのか。「植物のお医者さん」という仕事はどうなっているのでしょうか。そういう仕事はありそうだとは思いますが、何と呼ばれているのでしょうか。
農業試験場の専門家とか、「植木屋さん」、「花屋さん」がそれに当たる?
「樹木医」ということばを聞いたことがあるように思いますが、花は?
まあ、「植物病院」はなさそうですね。
二つの(書きことば)コーパス
前回の記事で、書きことばコーパスで「乳房を+動詞」のコロケーションを見てみたら、という話を書きました。
(乳房を)切除する 挟む 圧迫する (いる) 残す 再建する 作る
という動詞が並んでいて、ちょっとびっくりした、と書きました。
このとき参考にしたコーパスは、『筑波ウェブコーパス』(Tsukuba Web Corpus: TWC)で、NINJAL-LWP for TWCというツールを使って検索しました。いつも使っているものです。
もう一つ、以前からよく使っているコーパスがあり、そちらは『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(Balanced Corpus of Contenporary Written Japanese: BCCWJ)というもので、BCCWJと略称されます。国立国語研究所(国研)のコーパスです。検索にはNINJAL-LWP for BCCWJ(NLB)を使います。
つくばのコーパスは、厳密に言えば「書きことばコーパス」ではないのかもしれませんが、おそらく基本的にはそうなんだろうと思って、国研のコーパスと同じように「書きことばコーパス」という言い方でいつも紹介しています。
さて、「乳房を+動詞」の話に戻ります。
つくばのコーパスでは乳ガンの検査・手術関係の語が並んでいましたが、これをBCCWJで検索してみると、ずいぶん違った結果になりました。
BCCWJ
(乳房を)をつかむ もむ 失う もみしだく 吸う 持つ まさぐる 含む
ふむ。実際の例文を見ていくと、「失う」以外は性的な場面を描写する小説の例が多くを占めています。
どうしてこんなに違うのか。今まで、つくばでも国研でもほぼ同じような結果になるのだろうと思っていて、その時の気分でどちらかを使っていたので、この結果の違いにはかなりびっくりしました。
前回の記事でも紹介した複合名詞を調べてみると、
「乳房+名詞」
TWC
乳房温存 切除 再建 マッサージ 全摘 撮影 専用
BCCWJ
乳房全摘 切除 X線 温存 再建 組織
こちらは似たような結果になりました。小説では「乳房」の複合名詞はあまり使われないのですね。
では、「胸」ではどうかと思って、調べてみました。
「胸を+動詞」
TWC
を張る 打つ なでおろす 膨らむ 痛める 触る 締め付ける 開く
踊る(踊らせる) 刺す 叩く
BCCWJ
を張る なでおろす 打つ 叩く 締め付ける 刺す 痛める 膨らむ
踊る ときめく
こちらも、同じような結果になりました。
他にもいくつかの動詞と名詞を調べてみたのですが、やはり、つくばも国研も、基本的には同じような結果が出るようです。
では、なぜ「乳房を+動詞」では大きな違いが出たのか。
私には、謎、です。
胸・乳房
新明解国語辞典の「胸」の項目を。
胸 1人間などのからだの前面で、首と腹の間の部分。また、その中にある肺臓・
心臓・胃など。「-〔=肺〕を病む/-〔=心臓〕が騒ぐ/-〔=胃〕が焼ける/
-をかきむしる(なでおろす)/-に手を当てる/-のすくような〔=痛快な〕/
-を張る〔=悪びれない(誇らしい)態度をとる〕/-をときめかす〔=期待で
わくわくする〕/-が一杯になる〔=言いたい事が有り過ぎたり 強い感情に迫ら
れたり して、何も言えない状態になる〕/-を借りる〔=すもうで、下位の者が
上位の人に稽古(ケイコ)をつけてもらう〕2「胸1」の中に宿ると考えられて
いる、人の心。「-を打つ話/-のうちを明かす/-を開いて〔=隠す所無く
率直に〕語り合う/-に懐(イダ)く(刻む)」(子見出し略) 新明解
身体の部分と「心」の二つです。内臓を表す用法は用例の中で解説されています。
それはいいのですが、「胸」と言うと多くの人が思い浮かべるであろうものが一つ抜けていると思います。
5 乳房。「━を隠す」 明鏡
5〔女性の〕ちぶさ。「豊かな-」 三国
2(人の)乳房。「-が大きい」▽遠回しの言い方。 岩波
1 体の前面で、首と腹の間の部分。「-を張って歩け」〔女性の場合は、特に
乳房をさすことがある〕「-をかくす」 学研新
これは、用法としてはっきり書いておいたほうがいいでしょう。
日常語としては、「乳房」よりも「胸」のほうがよく使われるでしょう。
私は、「ちぶさ」なんて語を口にしたことが、この数年であったかどうか。
では、「乳房」はどんな場合に使われるのか。
「乳房」を書きことばコーパスで見てみたら、ちょっと驚きました。
「乳房を+動詞」というコロケーションで、頻度がいちばん高いのは、「乳房を切除する」でした。その後は「(乳房を)挟む、圧迫する、(いる)、残す、再建する、作る」と続きます。(「いる」は補助動詞の用法です。)
「挟む」とは何のことかと一瞬思いましたが、がん検診のためのX線検査の際に「挟む」ことが必要なようです。それが、コーパスで二番目に頻度が高いのです。
「圧迫する」も同じ。「残す、再建する」は乳がんの手術の後の話です。「作る」も多くはその話です。
ちょっとびっくりしました。
「乳房+名詞」で頻度が高い3語は、これまた乳がん関係の「乳房温存」「乳房切除」「乳房再建」です。
「乳房」は「ちぶさ」「にゅうぼう」2つの読み方があるので、実際の用例がどちらの読み方をしているのかはわかりませんが、上の複合名詞では後者でしょう。
国語辞典で「ちぶさ」を見てみます。
ちぶさ 人や哺乳動物の雌の胸に(から腹にかけて)ある、乳を出す突起状の
器官。 新明解
他の辞書もほぼ同じです。
では、「にゅうぼう」は。岩波と明鏡。
にゅうぼう ちぶさ。 岩波 明鏡
これだけです。言い替えただけ。これでいいと思っているんでしょうか。指すものが同じなら、国語辞典として区別する必要はない?
項目なし 新明解(「乳房炎」あり)
「乳房炎」を「にゅうぼうえん」と読ませるなら、「にゅうぼう」という項目が必要でしょう。「ちぶさ(乳房)」という項目があるのですから。
いつもの新明解だと、
にゅうぼう 「ちぶさ」の意の漢語的表現。
とやりそうなところですが。(「絵画」の項目参照。ついでに、「絵」の項も。)
他の辞書のいくつかは、「位相」の違いを指摘しています。
にゅうぼう〔医〕→ちぶさ 集英社
集英社は医学用語だとしています。これだけでも、重要な情報です。
三国は〔生〕、「生物・生理」の用語とします。学研新は〔文〕、つまり「文章語」だと。
〔文〕「ちぶさ」の医学分野での言い方。 講談社類語
文章語で、医学分野の言い方としています。どうでしょうか。
書きことばコーパスで頻度の高かった、「乳房を切除する(とる、切る)」「乳房再建」などは、医者と患者との会話で普通に使われている表現ではないでしょうか。そうすると、「文章語」としていいかどうか。(「乳房を~」の例で「ちぶさ」か「にゅうぼう」かは決められませんが、私の感覚では後者です。)
その辺の細かいことはともかく、たんに「にゅうぼう=ちぶさ」としてしまうのは、どう考えても国語辞典として不十分だと思います。
人体・肉体
新明解の「人体」はちょっと問題があります。
人体 人間のからだ。「喫煙が━に及ぼす影響」 明鏡
生きている人のからだ。「-実験」 新明解
「人体」は「生きている人のからだ」ですか?
「人体実験」はそうかもしれないけれど、では、「人体解剖」は?
解剖 -する (他サ)〔「剖」は開き分ける意〕病原・死因を探ったり 部分の構造・
作用などを調べたり するために、(死んだ)生物のからだを切り開く
こと。「-学」 新明解
「生きている人」だったら、それは「生体解剖」と言うのでは?
ただ「人の体」というだけでは足りないと思ったのでしょうか。
では、「人体」はたんに「人の体」ではないのだ、というような使い方はあるでしょうか。
「人体」という語について私がちょっと思いついたことは、「私/彼 の人体」「この人体」とはふつう言わないだろう、ということです。「人体」というのは、個別の体でなく、一般的に「人の体」について言う場合のことばのようです。(「私/彼 の肉体」は言えます。)
学研現代新は次のように書いています。
人体 〔生理学的な立場から見た〕人間の体。「-の解剖」「-模型」[類語]身体。
学研現代新
なるほど。このあたりが、たんなる「人の体」との違いでしょうか。
人体 「生理・物理・化学的な反応をする物」として見たときの、人のからだ。
「この薬品に含まれる成分は、~に悪影響を及ぼすことが報告されている」
▽~実験・~解剖 講談社類語
ただ、「人体デッサン」という場合は、「~的な反応をする」わけではないでしょうから、もう少しゆるやかな限定のほうがいいように思います。
「人体デッサン」では、人の、一般的、物理的な「形」の問題です。
「客観的・科学的にとらえられる、様々な性質・特徴を持ったものとしての人の体」でしょうか。
なお、私が見た中では、例解新国語辞典第九版も新明解と同じ説明です。(第十版はどうでしょうか?)
人体 生きている人間のからだ。[用例]人体に影響がある農薬。 例解新第九版
一方、明鏡は「肉体」について「生きている」ということばを使っています。
肉体 生きている人間の体。なまみの体。「堂々たる━」 明鏡
「肉体」も生きている場合だけでしょうか。また、人間にしか言えないのか。
肉体 人間の体。生身(なまみ)の体。「―美」「―労働」▽精神・霊魂に対して
言う。 岩波
〔精神活動にかかわる面を除いた〕人のからだの動物的側面を強調して言う
語。「-美」 新明解
「人が死ぬと、魂はその肉体を離れ~」という風に言われますから、死んですぐはまだ「肉体」であるのでしょうね。
と言うか、死んでしまったら「肉体」あるいは「体」もその形を長く保てないでしょうから、同じことなんじゃないでしょうか。「からだ」というのも、そもそも「生きている」時のものなのでは?
「肉体」も「体」も、「心」あるいは「魂」と対立するもので、死によって消え去るものです。「心」あるいは「魂」が死後どうなるかは別として。
つまり、あえて「[生きている]人間の体]という必要はないんじゃないかと思います。
死んでしまった後の「体」は、「死体」または「遺体」と言われるわけですが、では、生きているときは「肉体」で、死んだら「死体」なのか、と言うと、そういう使いわけではないような気がします。(「生きている体」は「生体」ですね。)
それと、頻度は少ないですが、「動物の肉体」「生物の肉体」という言い方が書きことばコーパスで見られます。こちらは、「精神」との対比はないので、どうして「体」でなく「肉体」ということばを使うのか、別の説明が必要です。
はあ。とにかく、ことばは難しい。
本・書物など
まず明鏡国語辞典の「書物」などの説明のしかたを見てください。
書物 本。書籍。「-を読む」
書籍 書物。本。図書。
図書 書物。本。「参考-」「-整理」 明鏡
ふーむ。これらがどう違うのか、一般にどう使い分けられているかという問題には、まったく関心がないようです。
明鏡の編集者は、これらの語を使う時、それぞれ何かそれを使う理由があって、他の語でなく、その語を使うのだろうと思うのですが。
なお、どうでもいいようなことですが、なぜ「書物」の解説(?)には「図書」がなく、「図書」には「書籍」がないのでしょうか。それには意味があるのか、単なる執筆者の気まぐれか。
これらがおおよそどういうものであるかということは、より一般的な語である「本」の項目に書いてあります。(以下の引用では用例などを省略します。)
本 1文章・絵・写真などを編集して印刷した紙葉を、ひとまとまりに綴じて
装丁したもの。書物。書籍。 明鏡
まあ、こういうものでしょう。そして、「書物・書籍・図書」は「本」とほぼ同じで、特に解説を必要とするような語ではない、と明鏡の編集者は考えるのでしょう。
新明解の「本」もだいたい同じようなものです。
1人に読んでもらいたいことを書い(印刷し)てまとめた物。書物。〔広義では、
雑誌やパンフレットおよび一枚刷りの絵・図をも含む〕 新明解
「人に読んでもらいたいこと」というところが面白いですね。「一枚刷りの絵・図」を「本」と呼ぶのはどういう場合でしょうか。
新明解では「書物」などはどう書かれているか。
書物 「本」の意の、やや改まった表現。
図書 「本」の意の漢語的表現。
書籍 〔個人の知識の源泉となり、生活を豊かにするものとしての〕本。〔普通、
写真・フィルムは除く〕 新明解
「書物」「図書」については「本」との文体的な差について書いています。
「図書」は単に「漢語的表現」というだけでいいかどうか。また、「書物」「書籍」も「漢語的表現」なのでは、と思いますが。
「書籍」の「生活を豊かにするものとしての本」というのは、「書物」についても言えるのじゃないか。「知識の源泉となる」のも「書物」に当てはまりそうです。
などと細かくケチをつけてしまっていますが、明鏡の無責任な態度よりずっとよいと思います。
とにかく、それぞれの項目に、何か書こうとしています。
岩波国語辞典の「本」。
本 ⑧㋑〘名・造〙かきもの。書物。書籍。 岩波
岩波は、「本」の項では説明がなく、「書物」の項で具体的に書いています。
書物 文章(や集めた表・図の類)を、手で書き記したり印刷したりして、一冊
に綴じたもの。本。書籍。▽雑誌を含まず、電子化したのも今はまだ含まない。
「書物」のほうが「本」よりも基本的な語である、という判断でしょうか。
そして「書籍」と「図書」。
書籍 本。書物。図書。
図書 書籍。書物。本。 岩波
明鏡と似ていますね。上に引用した「本」の「解説」を含めて、これが現在の国語辞典の水準を象徴している例です。(しかし、あげられている語の順番の違いが面白いですね。「本」の位置の違いは何を意味するのでしょうか。)
岩波は「書物」を基本的な語として解説し、「本・書籍・図書」は「書物」と同じ、で済ませています。それでいいんでしょうか。
また、「書物」の参考情報で、雑誌を含まないのはいいとして、「電子化したのも今はまだ含まない」というのはどうなんでしょうか。「電子書物」とはあまり言わないでしょうが、「電子書籍」はごく一般的な言い方ですよね。「デジタル本」という言い方もあります。それらは「書籍」であり「本」であるのでは?
「近頃の人は書物を読まなくなった。電子書籍やデジタル本は読んでいるらしいが。」というのは変でしょう。「書物」は「書籍」であり、「書籍」は「書物」だとしているのですから。
岩波はこういう辞書なんだなあ、という思いがますます強くなっていきます。
これらの語の違いを述べようとしているという点で、私がいいと思ったのは三国です。
本 文章・絵などをかいたり印刷したりした紙のたばを、厚みが出るくらい重ねて
とじ、きちんとした表紙をつけたもの。(用例略)[区別]「本」は最もふつう
の言い方で、広く使う。「書籍」は商品や情報媒体として、雑誌・テレビなど
と対比して使う。「書物」は読んで学んだり楽しんだりする場合に使う。
「図書」は部屋に収めるものや、内容によって分類したものに使う。 三国
(「本」については、「厚みが出るくらい重ねて」というところが面白い。あんまり薄いのはダメ。それはともかくとして。)
この[区別]の解説がぴったりかどうかはまだ議論の余地があると思いますが、この程度の解説を他の辞書にも望みたいと思います。(他の語の項目には、この「本」の項を見よ、という指示があります。)
この[区別]の部分は、三国第七版にはなく、第八版で書き加えられたものです。よい「改訂」だったと言えます。
三国がこれらの語の違いを初めて述べた本だというわけではもちろんなく、例えば小学館類語例解辞典には次のような説明があります。
本/書物/書籍/図書/書冊/書/巻/ブック の使い分け
1「本」が、最も広く一般に使われる。種類、内容、形状などを問わない。
紙製がふつう。
2「書物」「書籍」は、やや硬い言い方。絵本や雑誌などは含まない。
3「図書」は、図書館や学校が備えつけたり、教育に使用したりするものを
さしていうことが多い。
4「書冊」「書」「巻」は、硬い文章語。例文のような慣用的な表現で使われる
ことが多い。
5「ブック」は、他の語と複合して使われる。また、「スケッチブック」「スク
ラップブック」のように、「帳」の意もある。
(用例の一部)
本 ▽本を読む ▽研究成果を本にまとめる
書物 ▽書物をかかえた大学生 ▽貴重な書物
書籍 ▽書籍の売り上げが伸び悩む ▽書籍小包
図書 ▽図書を閲覧する ▽図書館 ▽児童用図書 ▽図書券
小学館類語例解辞典
この辞典は、ネット上の「goo辞書」の中にあります。
今となってはずいぶん前のもので、改訂されていないようなのが残念ですが、多くの語をとり上げ、類義語の違いを(不十分ではあっても)解説した辞典として、よいものだと私は思います。国語辞典の編集者はもっと参考にすべきだと思います。(きちんと参考にしていたら、明鏡や岩波のような書き方はできないはずです。)
さて、上の引用で、「書物」「書籍」が不十分なのが残念ですが、「ブック」をとりあげているのが面白いですね。「ブック」は、確かに「本」です。
三国の「ブック」を見てみます。
ブック 1書籍。本。「-カバー」 三国
「このブックを~」などと単独の語としては使えないので、「ブック」は名詞とは言えません。類語例解が「他の語と複合して使われる」と書いているように、「造語成分」でしょう。
これも上の三国の「本」の[区別]で触れたほうがいいかどうか。そこまではせず、参照指示「→ブック」でいいでしょうか。
生物
「生物」の国語辞典の説明が不正確です。
生物 命を持ち、生長し、繁殖するもの。動物・植物の総称。 三国
生きて活動する物。いきもの。〔動物・植物の総称〕 新明解第七版
生きて活動し繁殖するもの。動物・植物の総称。無生物。
▽「なまもの」と読めば別の意。→いきもの。 岩波
「生物」は「動物」と「植物」だけではありません。それで済ませようというのは、ずいぶん古い説です。
動物・植物など、生命をもち、成長・繁殖するもの。いきもの。「━学・━界」
明鏡
明鏡は「動物・植物など」としていますが、この「など」は、他にもあるという意味でしょう。では、「動物・植物」以外にどんな生物がいるのか。
上で、新明解第七版としたのはもちろん意味があって、第八版には重要な変更があります。
生きて活動する物。いきもの。〔動物・植物・菌類などの総称〕 新明解第八版
「菌類」が出てきました。しかも、なお「など」がついています。まだ他にもあるのでしょうか。
この項目に関して詳しいのは、私の見た中では三省堂現代新国語辞典です。
生物 1「いきもの」の学問的な言い方。細胞からなるからだをもち、代謝を
行いながら成長・繁殖するもの。動植物や菌類、原生生物、細菌など。
[類]生体・生命体 [対]無生物・非生物 →ドメイン② 三省堂現代新
「原生生物」「細菌」が、「動植物や菌類」とは別に立てられています。
さらに、「ドメイン」という項目を見るように指示しているのでそちらを見ると、
ドメイン 2 生物の分類で、最上位の分類階級。動物界・菌界・植物界・原生
動物界などの「界」のさらに上位。原核生物である細菌(バクテリア)
および古細菌(アーキア)と、真核生物の三ドメイン。 →界2
三省堂現代新
「古細菌(アーキア)」と「真核生物」です。いやまったく、本格的です。
(小型)国語辞典でここまで書く必要があるのか、とちょっと思います。
このように本格的に書いてくれても、結局よくわからず、不消化で終わりそうですから。
三省堂現代新は、高校生向けの学習辞典なので、生物という教科と連携させようということでしょうか。
同じく学習辞典である例解新国語辞典を見ると、
生物 1「いきもの」の学問的な言い方。細胞からなるからだをもち、代謝を
行いながら成長し、繁殖するもの。一般に、動物と植物の二種類に大きく
分けられる。(略)[参考]ワカメ・コンブ・アオミドロなどの藻類は、
かつては植物にふくめられていたが、いまは「原生生物」にふくまれる。
また、キノコ・カビなどの菌類や、細菌(バクテリア)も、動植物とは
別の生物として分類されている。 例解新 九版
項目の本文では「一般に、動物と植物の二種類に大きく分けられる」と常識的な線でおさめ、[参考]として「原生生物」「菌類」「細菌」という分類をあげています。また、具体例も挙げていていいと思います。
体系的な分類の紹介としてはちょっと不徹底ですが、このくらいでいいんじゃないかなあ、と私は思います。
ネット上で見られる百科事典の類では、
日本大百科全書(ニッポニカ)「生物」
生物は常識的には動物と植物に二大別されているが、動物と植物の両方に同時に
分類される生物もあり、無理がある。バクテリアなど単細胞でとくに微小なもの
を微生物とする動物、植物、微生物の三区分や、動物、植物、菌類、原生生物、
モネラの五生物界(五界)に分けることもある。
百科事典マイペディア「生物」
生命をもつもの。自然界を生物界と無生物界に分けることはアリストテレスの分類
に始まるが,ウイルスの発見その他によってその境界は明確なものではなくなって
きている。生物(生命)の定義はさまざまあり,万人の認める説はないが,生物学
的には,エネルギー転換(代謝)を行い,自己増殖および自己保存の能力をもつ
ものと定義するのが一般的である。生物はかつて動物と植物に2分されてきたが,
現在では菌類を独立させ,さらに,原生生物,モネラ類(原核生物)を加えて
5つのグループに分ける5界説が有力である。
のように解説されています。「動物と植物」の「二大別」では不十分で、「三区分」や「5界説」があるわけですね。
ただ、これらの百科事典は、現在ではすでに多少古いものです。
上の三省堂現代新はさらに新しい説を紹介しているわけで、それはウィキペディアの「生物の分類」という記事に詳しく書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E
我々になじみ深い「動物」「植物」は「真核生物」に含まれます。どうもピンときません。
というか、我々自身が「真核生物」なのですよ。自覚は全然ありませんが。
ということで、「動物と植物の総称」という説明では、国語辞典の編集者たちが若いころ(50年前?)に覚えた知識のままで、生物学の進歩を反映していないということです。
鉛分・塩分・鉄分
7年前に「鉛分」という記事を書きました。
元の記事は新明解の第七版についてのもので、2020年に第八版についてまた書きました。何も「改訂」はされていなかったので、同じ話になってしまいましたが、少し議論を書き足しました。
今度は三国について同じ話をもう一度しつこく書いておきます。三国はまたちょっと違うところがあるので。
鉛分 〔文〕なまりの成分。 三国
これで項目の全部です。いわゆる「一行項目」で、行の下のほうは空いています。
語釈は「なまりの成分」ですが、「なまりの成分」って、鉛ですよね。
成分 1物質を組み立てている<元素/一つ一つの物質>。2(略) 三国
「鉛を組み立てている元素」と言えば、やっぱり鉛です。
上の語釈は何を言っているのか。
すぐ隣に「塩分」という項目があって、そちらはわかりやすく書かれています。並べてみると、「鉛分」の奇妙さがわかると思います。
鉛分 〔文〕なまりの成分。
塩分 海水・食べ物などにふくまれている、塩の成分。また、分量。しおけ。
「-をひかえる」 三国
「塩分」とは、他の物質に含まれている(組み立てている)「塩の成分」です。
なぜ同じように書かないのでしょうか。例えば、次のように。
鉛分 〔文〕水道水・ガソリンなどに含まれている、なまりの成分。
これでは辞書の1行分に入りませんが、どうしても入れようとするなら、
鉛分 〔文〕なまりの成分。「ガソリンの-」
だけでもいいでしょう。これなら1行に入るはずです。
同じような書き方をしている項目があります。
糖分 糖類の成分(の量)。「-をひかえる」 三国
これも、前回の記事で書いたことですが、
糖分 食品などの中にふくまれる糖類(の量)。「-をひかえる」
としたほうがわかりやすいでしょう。「体・体内・血液の糖分」という言い方もあるので、それをはっきり示すなら、「食品・体の中などに」とします。
「水分」の項には用例がないので、語釈の「その中にふくまれる」の「その」が具体的にどのようなものなのかわかりません。
水分 その中にふくまれる、水の<成分/分量>。みずけ。 三国
明鏡は「水分を補給する」という例をあげていますが、「体の水分を補給する」とすればよりよいと思います。
三国では、第七版から第八版への改訂で、書き換えられた「-分」の項目があります。
鉄分 成分としての鉄。かなけ。 第七版
鉄分 栄養素としての鉄。かなけ。 第八版
なぜこう書き換えたのか。単に「成分として」では一般の物質の話と思われるから、ということでしょうか。それならば、書きことばコーパスの、
・体内の血液や鉄分が不足しがちです。
・女性の場合、鉄分が不足しがちです。
・鉄分が不足すると貧血になることも。
のような例を加えたほうが有益ではないでしょうか。
また、第七版の「成分としての鉄」と「かなけ」はどういう関係にあったのでしょうか。
これらは同じことの言い替えだったのではないでしょうか。
第八版ではそうなっていないように思います。
かなけ 1水や土にふくまれる金属〔特に鉄〕の成分。「-が多い水・-が出る」
三国
「栄養素としての鉄」と「かなけ」はずいぶん違うものでしょう。
この語釈のそれぞれに対応する用例がないと、使用者にはわかりにくいのでは。
話しことばコーパスからの例をいくつか。
・空気に触れて鉄分が酸化すると色がつきます。 (泉質について)
・もともとは透明だが、鉄分が酸化してこの色になる。 (ああ いい湯だな!)
・湧出時は無色だが、湯船では鉄分が酸化して赤褐色になる。
・赤土や黄土は鉄分が酸化したものですし、煤は炭素です。(絵の具コーナー)
・風化して茶色っぽくなるのは、鉄分が酸化して、酸化鉄ができるためです。
(出雲の地質)
・赤い色は、土中の鉄分が酸素と反応したもので、鉄サビの色だそうです。
(園芸用土)
ついでに、「鉛分」の隣の項目についても触れておきます。
艶聞 〔文〕恋愛に関するうわさ。
援兵 〔文〕たすけの軍勢。援軍。
短い用例でもつけたほうがいいと思います。例えば、次のような。
艶聞 〔文〕恋愛に関するうわさ。「艶聞を流す」
援兵 〔文〕たすけの軍勢。援軍。「援兵を求める/出す」
こういう、地味な、新語でも新用法でもない、目立たない語の語釈と用例の適切さにもっと心を砕いてほしいと思います。