広辞苑と形容動詞(1)
以前、国語辞典と形容動詞について何回か記事を書きました。(「2021-09-18 新明解の副詞:くたくた・ぐたぐた」(の一部)から6回分、「2021-11-07 明鏡国語辞典と「形容動詞」」から5回分)
その時、広辞苑についても書きたいと思ったのですが、手元に新しい版がなくて書けませんでした。
今回、公共図書館へ行って必要部分をコピーできたので、少し書いてみます。
広辞苑は形容動詞を認めない立場です。そのことは、付録の「文法概説」に書かれています。
それは、自らの立場をはっきりさせるということでよいことだと思いますが、なぜそうするのかという説明は、どうもはっきりしません。
第六版までの不明瞭な説明は、最新の第七版で大きく書き換えられました。その書き換えのあたりを紹介し、検討します。
まず、私の持っている「広辞苑 第五版(1998)」から。(第六版もほとんど同じ。もっと前の版も見てみたいのですが、それはまたいつか。)
「日本文法概説」の「名詞」から、形容動詞に関わる部分を。
また、「哀れ」「親切」「奇麗」「静か」「すこやか」「突然」「堂々」「断乎」
「泰然」などの語は、名詞とするか形容動詞とするか、現代の学界で議論のある語
である。これらの語は、意味の面では状態を表し、「なり」「たり」「だ」などが
付いて形容動詞の語幹の位置に立つことから、形容動詞とされることが多い。
しかし、本書では、これらの語が語幹だけで独立した意味を表し、「物の哀れは
秋こそまされ」「彼女の親切が彼を依頼心の強い人とした」のように、他の
名詞と共通する働きをすることがあることなどから、名詞として扱うことにした
(後述「形容動詞」を参照)。 (p.2889) 広辞苑 第五版(1998)
「これらの語」が「他の名詞と共通する働きをすることがある」のはそうだとしても、形容動詞を別に立てる説では「他の名詞とは何か違うところがある」と考えるから「形容動詞」とするのでしょう。そこのところをどう考えるのか。これでは議論になっていません。
「(後述「形容動詞」を参照)」とあるので、そちらに詳しく書いてあるのだろうと期待されます。
なお、細かいことですが、
~形容動詞の語幹の位置に立つことから、形容動詞とされることが多い。
という書き方は変です。「形容動詞とされる」根拠が「形容動詞の語幹の位置に立つこと」では、根拠の中に結論が含まれてしまっています。もう少し書き方を工夫したほうがいいでしょう。
せめて「形容動詞の語幹に当たる位置に立つ」ぐらいにしたらどうでしょうか。(この書き方では内容的に合わなくなるでしょうか。)
では、同じく「文法概説」の「形容動詞」から。
形容動詞は、形容詞と同様に状態を表す語である。(略)形容動詞は、もともと、
語尾に動詞「あり」の要素があり、助動詞・助詞への接続など、文法的に動詞
に近い。形容動詞を名詞に助動詞などの語が付いたものとして、独立した品詞と
認めない説もある(本書における見出しは語幹だけを示し、品詞表示も見出しの
形式に合わせて名詞と同等に扱う)。形容動詞を認める立場に立てば、「彼は男性
だ」「彼は親切だ」という文型の似た二つの文で、「男性」は名詞、「親切」は形容
動詞の語幹と区別される。「男性」が物の名であるのに対し、「親切」は状態の意味
であり、なおかつ、「とても親切だ」のように、「男性」などにはない副詞を修飾語
とする用法があることから、形容動詞は独立した品詞となりうるとする。
なお、形容動詞の語幹となる語には、次のような種類がある。
(1)和語から成る。「静か」「穏やか」「朗らか」「悲しげ」など。
(2)漢語から成る。「親切」「丁寧」「立派」「堂々」「滔々」など。
(3)外来語から成る。「モダン」「ノーマル」「ファナティック」など。
形容動詞は形容詞にくらべ、強い造語力を持つ。 (p.2892)広辞苑 第五版(1998)
ここにも、書き方の点でどうも不自然なところがあります。
「独立した品詞と認めない説もある」と他人事のような書き方をした後に、すぐ後ろのカッコの中で「本書」は「名詞と同等に扱う」としています。つまり、その説であることを述べているのですが、今一つはっきりしない論理のつなげ方です。
ここは、上の「名詞」のところの解説のように、「しかし、形容動詞を~認めない説があり、本書はその説に立って、~名詞と同等に扱う」とはっきり書いたほうがいいでしょう。なぜそう書かないのか。
どうもこの「文法概説」は歯切れの悪い文章になっています。あまりよく推敲されていないのでしょうか。(お前が言うか、と言われると、まあ、困りますが。)
さて、そのかっこの中の「品詞表示も見出しの形式に合わせて」というところ、何が言いたいのかどうもわかりにくい表現です。
以下、私の理解した(と思った)範囲で少ししつこく説明してみます。
「見出しの形式」とはどういうことでしょうか。
形容動詞は「用言」の一つです。他の用言、動詞と形容詞はその終止形を見出しとします。例えば、「歩く・起きる・寝る」とか「大きい・悲しい」などです。
形容動詞もそれに合わせれば、「静かだ・親切だ」となるはずですが、一般に国語辞典はその「語幹」だけの「静か・親切」を見出しとしてあげています。「だ」はすべてに共通だから、というわけで省略されるのでしょう。
それならば、形容詞の「い」もすべて共通だから「見出しの形式」を「大き・悲し」とするかというと、それはしません。なぜか。
「大き」という形では「一語」としてのまとまりと感じにくいのに対して、「静か」はそう感じる、という感覚が元にあるのでしょう。(形容動詞の「語幹用法」というのがあります。語幹だけでも使えるのです。)
それで、形容動詞は語幹を示すだけで「見出しの形式」として成り立つ、という判断になります。
ここまではいいのですが、それがどうして「品詞表示も見出しの形式に合わせて名詞と同等に扱う」という話になるのか。
名詞も、形容動詞と同じように「~だ」という形で述語になります。例えば「男性だ」のように。
それと、「親切だ」は、形の上で同じになります。そこで、名詞の「見出しの形式」が「男性」であり、形容動詞が(その語幹だけの)「親切」であるなら、形式としては「名詞と同等」です。
つまり、
本書における見出しは語幹だけを示し、名詞と同等に扱う
というだけなら、それは「~だ」を省略する、ということで、何も問題はありません。
しかし、「品詞表示も見出しの形式に合わせて名詞と同等に扱う」ということには、論理的にはまったくつながりません。
品詞というのは、「見出しの形式」の問題ではありません。その語の持つ、文法上の性質によるグループ分けの問題です。(「見出しの形式」がどういう形をとりうるか、というのは広い意味での文法の一部、形態の問題です。しかし、それは文法の中心課題、つまりその語が(他の語との関係において)どのように文の中で使われるのか、という問題ではありません。)
以上、「品詞表示も見出しの形式に合わせて」というわかりにくい、というか、わけのわからない部分を私が理解した範囲で敷衍してみました。
私の理解が正しいとするならば、この「文法概説」の言っていることは箸にも棒にもかかりません。なぜこの程度の「文法概説」が書かれ、それが第六版まで載せられていたのか。
以上の、わけのわからない話の後、「形容動詞を認める立場に立てば」という論の紹介が続き、そこには一応まともなことが書いてあります。
しかし、それに対する反論はありません。「見出しの形式」の話だけで「名詞と同等」に扱うという、おかしな論理があるだけで、「文法概説」の形容動詞の説明は終わります。
ここで問題とすべきことは、初めのほうで述べたように、形容動詞が「名詞と違うところ」は何かということです。
(この話は次回に続きます)
こびりつく
三省堂国語辞典の項目です。次の説明には問題が二つあると思います。
こびりつく〔俗〕ねばりけのあるものがかたくくっつく。「ごはんつぶが-」 三国
まず、文体の指示について。
〔俗〕というのは、「俗語」というその語の文体を示す記号です。「俗語」とは。
俗語 1正式な場面では使わないほうがいい、くだけたことば。例、びびる・まじ
で〔=本当に。〕この辞書では〔俗〕で示す。卑語〔例、ばかたれ〕・隠語
〔例、すけ〕などもふくむ。
2〔古風〕口語。「-文典〔=口語の文法書〕」(⇔雅語) 三国
もちろん、この2ではなく、1のほうでしょう。
しかし、「こびりつく」は俗語でしょうか。
コーパスからの実例をいくつか。
・使用後すぐに湯をかけると汚れがこびりつきません。
・歯ぐきの深いところに汚れがこびりついていないでしょうか?
・遺跡から出土した遺物には土や泥がこびりついています。
・また、揚げ物の油などが換気扇などにこびりついてベタベタしています。
・こびりついた汚れオトシにピッタリ。
・床や排水溝にこびりついた汚れを丁寧にふき取ったりした。
・飯盒の米、鍋にこびりついたものなど、とてもきれいに落ちます。
・専用の器具で歯の表面にこびりついた歯垢・歯石を掻き取ります。(歯科クリニック)
・次に、歯の表面にこびりついた歯石を、超音波スケーラーを使って除去します。
(歯科クリニック)
・超音波の力で肌に負担をかけずに毛穴のこびりついた皮脂やメイクの汚れを表面に
浮き上がらせ吹き飛ばします。 (エステサロン)
・しかしプラークが長期間こびりついたままだと、その刺激で歯周組織に炎症が起こ
ってきます。(予防歯科)
どうでしょうか。ごくふつうに使われる日常語だと思うのですが。
例の最後のほうは歯科関係の例を並べてみました。歯医者さんには「こびりつく」はきわめてなじみのある言葉のようです。
もう一つの問題は、「ねばりけのあるものがかたくくっつく」とは違った用法の存在です。
こちらもコーパスからの実例を。
・そんな光景が頭にこびり付いて離れません。
・でもその一言がその後もずっと頭にこびりついていました。
・目に焼きつく炎、耳にこびりつく叫喚。
・あのときの隊長の声は、今も耳にこびりついています。
・暗い笑いが今でも脳裏にこびりついている。
・まして子供ならなおさら忘れられぬ嫌な思い出として脳裏にこびりついている。
・そんな不安が、心にこびりついています。
・汗や汚れと共に、心にこびり着いた余計なモノも洗い流してくれる貴重な時間。
ひゆ的な用法ですが、よく使われるものです。なぜこれを書かないのか。(もちろん、こちらも「俗語」ではありません。)
他の辞書を見てみましょう。
しっかりくっついて離れない。かたくくっつく。「飯粒が-・いている」「あの事
が頭に―」 岩波
「くっついて離れない」で、抽象的なことも含めようというのはちょっと無理があるような。
1〔強い粘着力や強烈な印象のために〕くっついてしまって、容易に引きはがせ
なくなる。「頭にこびりついている〔=忘れようとしても忘れられないでいる〕」
2 ある人の身辺に まつわりつく。 新明解
「くっついてしまって、引きはがせない」ですか。「頭にくっつく」というのがどうもうまくないように思います。
1物がかたくくっついて離れなくなる。「ズボンにガムが━」
2ある考え・印象などが強く意識に残って忘れられなくなる。「悲惨な光景が
頭に━」 明鏡
この「こびりつく」に関しては、明鏡の説明がいいと思います。はっきり「強く意識に残って忘れられなくなる」と書いたほうがわかりやすいでしょう。
さて、三国の編集者がこの用法に気づいていないわけがないと思うのですが、どうしたのでしょうか。
手がはやい
短い話。
明鏡と新明解のそれぞれ一つ前の版から。
手が早い 1物事をするのが早い。2すぐに暴力をふるう。「口より━」3異性と
すぐに関係をもつ。「━男」[注意]「はやい」を「速い」と書くのは誤り。
[明鏡 第二版]
手が速い 1 処理の手順に むだが無く、速く仕事を終える様子だ。
2すぐに相手に手を出す傾きがある。A暴力を振るう。B 女性と関係を持つ。
[新明解 第七版]
明鏡は「手が速い」と書くのは「誤り」としていますが、新明解は「速い」としていました。(他の多くの辞書は「早い」としています。)
さて、それぞれ最近改訂され、「第三版」「第八版」になって、どう変わったでしょうか。
明鏡の第三版は、微妙なところで変化がありました。
手が早い 1物事をするのが早い。2すぐに暴力をふるう。「口より━」3異性など
とすぐに関係をもつ。「━男」[注意]「はやい」を「速い」と書くのは誤り。
「異性など」の「など」が加えられていました。なるほど。
では、新明解は。
手が早い 1 処理の手順に むだが無く、速く仕事を終える様子だ。
2すぐに相手に手を出す傾きがある。A暴力を振るう。B肉体関係を持つ。
「早い」になっていました。これは、新明解が「誤り」を認めたということでしょうか。
もう一つ、「女性と関係を」が「肉体関係を」に変えられています。これは?
明鏡の「など」と同じような配慮によるものでしょうか?
それと、第七版では「(男が)女性と関係を」ということだったのだろうと思いますが、第八版では「(女が)」もありうるということでしょうか。
こういう微妙なところの改訂は、妄想・邪推の余地が大きくて楽しいです。
小指
まったくどうでもいいような話なんですが…。
小指 手足の指のうち、一番外側にある最も小さい指。 明鏡
手足にある、一番外側の、一番小さい指。▽手の小指で妻・妾(めかけ)・
情婦などを表すことがある。 岩波第七版
親指からかぞえて五番目の、一番小さな指。〔小指を立てることによって、
妻・めかけ・情婦を示すことがある。また、指切りげんまんにも使われる〕
新明解第七版
「小指」の俗な意味として、その人にとって特別な関係の女性を指すことがあります。
明鏡はそれについて何も書いていません。
岩波と新明解(それぞれ第七版)は、「妻・妾・情婦」を表す/示すことがある、としています。
「第七版」にしたのはもちろん理由があって、それぞれ第八版ではこの部分が改訂されているのです。
注記の関係部分だけ引用します。
▽手の小指で恋人・妻などを表すことがある。 岩波第八版
〔小指を立てることによって、妻や恋人などを示すことがある。 新明解第八版
「妾・情婦」はカットされ、「恋人」に置き換えられました。
さて、問題は、この書き替えでいいのだろうか、ということです。
他の辞書を見てみましょう。同じような注記(あるいは一つの用法)のある辞書の、その部分だけ引用します。
まず、岩波・新明解第七版と同じように「妻・妾・情婦」とするもの。
[参]手の小指を立てて、「妻・情婦・めかけ」などの意を表すことがある。 学研大
2俗に、妻・妾・情婦などの隠語。浮世風呂三「おめヘンとこの-も派手者だの」
⇔親指 広辞苑五版
「情婦」の代わりに「愛人」とするもの。(「愛人」は「情婦」の新しい言い方、という解釈があります。→「2019-12-04 愛人・情夫・情婦」)
妻・妾・愛人などを俗にいう語。小指を立ててその意を示すこともある。 デジタル大辞泉
次に、岩波・新明解第八版と同じように「妻・恋人」とするもの。
▽小指で妻、恋人を示すことがある。 現代例解
[参考]俗に親指でボスや主人を表わすことがあるように、小指を立てて、妻や
恋人を表す習慣がある。 例解新 第九版
「妻・妾・恋人」とするもの。
(小指を立てて)俗に、妻・めかけ・恋人などを示す身振り言語。 新潮現代
「妻・愛人」とするもの。
[参考]手の小指を立てて、妻・愛人などを表す場合がある。 旺文社
「妻」を含まないもの。
◇小指を立てて恋人・情婦を示すことがある。 小学館日本語新
[参考]手の小指を立てて、「恋人・配偶者」などの意を表すことがある。 学研現代新
「愛人」とするもの。
小指を立てて、愛人である女性を指すことがある。 三国
以上のように、辞書によっていろいろ違いがあります。みんな違ってみんないい、とはいかないわけで、それぞれ問題があると思います。
まず、「妻・妾・情婦」という辞書。これは現代語としてもう古いでしょうから、書き直したほうがいいでしょう。しかし、岩波・新明解の第八版のように「妻や恋人など」とするのはどうか。
「小指」がさす対象が変化したわけではないでしょうから、「妾・情婦」を「恋人」で置き換えるのは無理があります。「など」に含める、というのもよくない。「愛人」でしょう。
妾 (正式または内縁の)妻としてではなく持続的な男女関係にあり、その男が
生活の面倒も見る、女。てかけ。▽第二次大戦後、この語を避けて「愛人」
と言うことが多い。 岩波
情婦 (みだらな関係として見た場合の)愛人である女。いろ女。 岩波
私は、どうもこの岩波の「みだらな関係として見た場合の」という注記の意味するところが分からないのですが。
「愛人」は「みだらな関係」でない場合があり、「情婦」は「みだらな関係」なのでしょうか。
「みだらな関係」とはいったいどういう関係か。
まあ、私はこういう事柄に詳しくないので、疑問は疑問としてそのままにしておきましょう。
元に戻って、「妻・愛人」(旺文社はこれですね。)の外に「恋人」を加えたほうがいいか。
「立てた小指」は、女性の見立てですから、その時の状況によって、何らかの関係がある女性を指している。「恋人」は当然入ると思うのですが、どうでしょうか。
岩波や新明解の旧版、学研大・広辞苑など、いわば「古い辞書」が「恋人」を入れず、「妾・情婦」としていたのはなぜなのでしょうか。
ちょっと場をはばかるような「隠語」だったから、つまり指す対象が「特別な女性」だから、という可能性もありますが、「妻」は入っているのですね。
この辺、私にはわかりません。
では、岩波・新明解第八版・現代例解などの「妻・恋人」、つまり「愛人」を除いてしまうというのはどうか。
これはダメでしょう。
昔のテレビCMで、「私はこれで会社を辞めました」というのがありました。
「私は~でタバコをやめました」という禁煙器具の宣伝の後に、いかにもまじめそうな男性が「立てた小指」を見ながら、上のセリフを言うのです。(これはYou Tube で検索すると見られます。便利な世の中です。)
このCMで「立てた小指」の意味するところは「妻や恋人」ではないでしょう。なぜ「小指(=女性)」のために「会社を辞める」に至ったのか。それはやはり、公にはできない関係だったからでしょう。わかりやすいところでは、部下の女性との不倫、とか。(この辺、私の発想の貧困はお許しください。)
やはり、「愛人」は必要です。
「恋人・配偶者」とする学研現代新。これだけ読むと、男性でもよいことになりますが、「小指」で男性を指すことは、たぶん、ないでしょう。
「妻」を含まず、「恋人・情婦」とする小学館日本語新。これも無理でしょう。
「妻」も「恋人」もなく、「愛人」だけの三国。これは限定しすぎのように思います。
結局、私としての結論は「妻・恋人・愛人」です。そう書いている国語辞典は(見た範囲では)ないのですが。(新潮現代が「妻・めかけ・恋人」としています。)
汁
前回の続きのような話。
前回の記事で、「煮る」の説明にあった言葉です。
食物などを水や汁と共に加熱して 岩波
食材を水や汁の中に入れて火にかけ 明鏡
この「水や汁」という言い方がどうもしっくり来ませんでした。
私にとって、「汁」とはそれ自体が料理、またはその一部です。「食材を水や汁の中に入れて」というような、料理を作る際の「材料」という感じではありません。
ここで言う「汁」とは、「だし汁」のようなものなのでしょうか。
それぞれの辞典での「汁」を見てみます。
汁 ①物の中にある液。物からにじみ出、または絞り出した液。
②吸い物。つゆ。みそしる。
③『うまい―を吸う』他人の労力・犠牲で利益を得る。 岩波
ふむ。これでは「煮る」の中の「水や汁」に当てはまりませんね。①ではないし、②の「吸い物」や「みそしる」と共に加熱する、わけではないでしょう。
汁 1物の中にふくまれている液体。また、その物からしみ出たり、搾り取ったり
した液体。「リンゴの━」
2すまし汁・みそ汁などの、吸い物。 明鏡
明鏡も同じですね。「食材」を入れる「汁」がありません。
「汁」の少し後のほうには「汁粉」という項目があります。岩波のそれは、
汁粉 あずきあんを水で溶いたしるに、餅や白玉しらたまを入れた、甘い食べ物。
岩波
「しる」という語が使われています。「あずきあんを水で溶いた汁」の「汁」は、上の「汁」の項目の語釈では説明できません。
まあ、大したことではない、と言えばそれまでですが、何度も改訂をくり返した現在の版でも、「汁」のようなごく日常的な、基本的な語の説明にこういう小さなミス(だと、私は思います)が残っているのですね。
私の見た範囲では、(小型)国語辞典の「汁」の解説はほぼ同じようなものでした。
大辞泉を見ると、さすがに(?)ちょっと違いました。
汁 1 物からしみ出させ、または絞りとった液体。「レモンの汁」
2 だし・調味料などで味をつけた料理用の液。
3 すまし汁・味噌汁などの汁物。つゆ。
4 自分が独り占めしたり、他人の努力や犠牲のおかげで受けたりする利益。
「うまい汁を吸う」 デジタル大辞泉
この2ですね。岩波と明鏡の「煮る」の語釈の「汁」はまさにこれでしょう。
(でも、「しるこ」の「汁」はやっぱり違うでしょう。)
講談社類語辞典の「汁」はなかなか個性的でした。(果汁などは別項目に)
汁(しる)1液体に固形物を入れて味つけした、飲んで食す和風の料理。「実の
多い~を飲む」▽~椀・出し~・粕~ ◇一般に副食にする。固形物が少な
いかほとんど入っていないものは、「スープ」という。
2うどん・そば・ラーメンなど麺類料理の液体の部分。「ラーメンの~を飲み
干す」 講談社類語
おそばの「汁(しる)」はまた「つゆ」とも言います。
汁(つゆ) うどん・そばの汁(しる)。◇だし汁にしょうゆで味をつけたもの
で、ラーメンなどの汁(しる)については普通はいわない。 講談社類語
講談社の類語辞典は、類語の違いについて常によく記述しているとは言えませんが、時々面白い記述に出会うことがあります。
(私は「ラーメンのつゆ」というほうですね。)
「しるこ」は1の「飲んで食す和風の料理」に入るでしょうか。モチの大きさにもよる?
煮る・ゆでる
新明解国語辞典の「煮る」の項から。
煮る (なにヲ-)液体の中へ入れ、熱を通して柔らかく(どろどろに)する。
〔狭義では、食品について言い、それに味をつけるまでをも指す〕 新明解
基本的にはこういうことなのでしょうが、何で用例が一つもないのでしょうか。「狭義では」と言うけれども、では「広義」では、食品以外にどんなものが「煮る」対象になるのかわかりません。
岩波は、
煮る 食物などを水や汁と共に加熱して、その熱を食物によく通す。「野菜を―」
「とろ火で―」 岩波
「食物など」と言っていますね。この「など」はどんなものなのか。でも、後半では「食物に」と限定しています。
この「~加熱して、その熱を食物によく通す」という書き方はどうも回りくどい感じですね。
たんに「よく加熱する」では足りないのでしょうか。
明鏡も見てみます。
煮る 食材を水や汁の中に入れて火にかけ、熱を通して食べられる状態にする。
「豆[芋]を━」「牛肉を甘辛く━」「弱火で━」「ぐつぐつ[ことこと]━」
[語法] ~ヲに〈対象〉をとる言い方。~ヲに〈結果〉をとる言い方もできる。
煮ることによって料理を作る意。「シチューを━」 明鏡 第二版
用例が多くていいですね。「語法」も親切です。「食べられる状態にする」というのは当たり前すぎるかもしれませんが、きちんと書いておくのはいいことです。
何のために「煮る」のかと言うと、「食べられる」ようにするためで、新明解によれば「柔らかく(どろどろに)」なるわけです。
では、似たようなことを表す「ゆでる」はどう説明されているでしょうか。
まず、新明解。
ゆでる 熱湯の中へしばらく入れて煮る。うでる。 新明解
「煮る」のですが、「熱湯の中へしばらく入れて」ということで、しっかり煮るようです。
岩波と明鏡も「熱湯」としています。
ゆでる (丸ごと(に近い)物を)熱湯の中に入れ、(短時間)熱を通す。うでる。 岩波
熱湯の中に入れて煮る。また、そのようにして食品を作る。うでる。
「枝豆[そうめん・タコ]を━」「ゆで卵を━」 明鏡
「煮る」では特に「熱湯」とは言っていないので、そこが違うのでしょうか。
岩波は、「(丸ごと(に近い)物を)」「(短時間)」と「煮る」との違いを出そうとしています。
新明解は「しばらく入れて」でした。これが長い時間を意味しているとすれば、岩波と違ってきます。新明解の「しばらく」については、前に記事を書いたことがあります。(「2021-07-24 新明解の副詞:しばらく」)
しばらく (副)長いと感じられるほどではないが、ある程度の時間を要する
(が経過した)ととらえられる様子。「今-お待ちください/彼とは-
会っていない/-ぶりの上天気/この問題は-置こう〔=当分の間触れ
ないことにしよう〕」[運用]「しばらくでした」などの形で、久しぶりに
会った人同士の間で交わされる挨拶(アイサツ)の言葉として用いられる。
例、「やあしばらくでした、お変りありませんか」 新明解
なんだかよくわかりませんね。でも「短時間」ではないような。
「煮る/ゆでる」時間の違いについては悩まないことにしましょう。
明鏡は、「煮る」との違いを「熱湯」以外には特に書いていません。「煮る」の「食べられる状態にする」と、「ゆでる」の「食品を作る」とは、同じことなのでしょう、たぶん。
もう一つの違いは、「食材を水や汁の中に入れて」と「熱湯の中に入れて」の違いです。つまり、「汁」の有無です。岩波も「水や汁と共に」でした。
この「汁」については、また別にとりあげてみたいと思います。
さて、以上の国語辞典の記述の中で、引っかかったところはないでしょうか。私は、ありました。
新明解です。
新明解によると、「煮る」は「熱を通して柔らかく(どろどろに)する」ことです。
そして、「ゆでる」は「熱湯の中へしばらく入れて煮る」なので、つまりは「煮る」ことです。
さて、明鏡の用例にある「ゆでたまご」は、「柔らかく(どろどろに)」なっているでしょうか。
反対に、固まっているんじゃないでしょうか。「ゆでだこ」は?
どこでおかしくなったのか。
まず、「煮る」は「常に」「柔らかく(どろどろに)する」のかどうか。たんぱく質は熱を加えると固まるものですね。それなら、「煮る」ことによって固くなる場合があると言えるのでは。
「煮すぎる」と、柔らかくなりすぎたり、反対に固くなってしまったりする、こともあるでしょうね。
そもそも、「ゆでる」を「~煮る」と言っていいのかどうか。基本的なところで違うのか。
私は全然料理をしない人間なので、この辺の語感はどうもはっきりしません。
三省堂国語辞典は、第八版で[区別]という類義語の違いについての解説をつけるようになりました。
「煮る」と「ゆでる」については次のように書いています。
煮る 1食材などに水(と調味料)を加え、火にかけて熱をとおす。「大根を-・
なべを-」[区別]「煮る」も「ゆでる」も、湯の中で加熱する点では同じ
だが、「煮る」は、湯も煮汁として料理の一部になる。「ゆでる」は、湯は
最後に捨てる。(以下略)
ゆでる 熱湯の中に入れて、しっかりと加熱する。うでる。「たまごを-・枝豆
を-」[区別]→煮る1。 三国
私はこの説明に賛成です。「煮る」場合は「汁」に味がついていて、食材に味をしみこませる感じですが、「ゆでる」はそうでない。(塩ぐらいは入れるかもしれませんが)
三国の「最後に捨てる」というところ、ナルホドと思いました。
また、「ゆでる」が「熱湯」で「しっかりと」加熱する、というのは他の辞書と同じです。
ただ、この[区別]が例外なく当てはまるか、というとよくわかりません。
「そばゆ」が頭に浮かんだのですが、これはちょっと別ですか。
そばゆ そばをゆでたあとの湯。そばつゆに加えて飲む。 明鏡
「煮る」と「ゆでる」なんて、昔から類義語としてその違いが考えられてきたように思うのですが、いまだにはっきりした記述が三国以外にないのはちょっと驚きでした。
追記:
◇「煮る」が味をつけるように加熱するのに対し、「茹でる」は調味料を入れない
のがふつうである。
私の「煮る/ゆでる」の違いは、これと同じでした。
(ただし、「水煮」というのもあるので、これは例外扱いでしょうか。)
とりおく・とりのける
「とりおく」ということばを岩波国語辞典で引いてみると、
とりおく 〘五他〙とりのけておく。 岩波
では、「とりのける」は。
とりのける 〘下一他〙物をとりのぞく。のぞきさる。 岩波
で、「とりのぞく」を見ると、
とりのぞく 〘五他〙①じゃま物、不用の物などを取り去る。また、取って
捨てる。「有刺鉄線を―」「傷んだ葉を―」「不安を―」
②「除く」の格式ばった言い方。「この点を-・けば問題は無い」 岩波
ということで、「とりおく」「とりのける」は、「じゃま物、不用の物などを取り去る。また、取って捨てる。」ことだ、というのが岩波の説明です。そうでしょうか。
他の辞書を見てみましょう。まず「とりおく」を。
とりおく 他五 残しておく。取りのけておく。「商品を━」[名]取り置き 明鏡
(他五)使わないで(捨てないで)保存して置く。[名]取り置き 新明解
「残しておく」「保存して置く」んだそうです。まるで反対ですね。
次は「とりのける」を。
とりのける 他下一 1そこから取ってなくす。「柵さくを━」
2そこから取って別にする。「売約済みの品を━・けておく」 明鏡
(他下一)1取りのぞく。のぞき去る。2別にとっておく。 新明解
用法を二つに分けて、その一つは「取ってなくす」「取りのぞく」意味ですが、もう一つ、「取って別にする」「別にとっておく」という意味もあります。「とりおく」はこちらですね。
「とっておく」という言い方が出てきました。話しことばでよく使われる言い方ですね。明鏡と新明解はこれを項目として立てていますが、岩波にはありません。
とっておく 他五 1いざというときのために残しておく。とっとく。「母の手紙
は大切に━」「この金は生活費として━」「会議の記録は必ず━」
2前もって準備しておく。とっとく。「最前列に席を━」
3お金などを当座の便宜として収め入れる。「遠慮せずに━・け」
[名]とっておき 明鏡第二版
(他五) 1後のち必要な場合に備えて、当座は使わないで置く。「最後の切り札
として-」
2予約を受けて、品物などを他に売らないで置く。「後で来るから一本取って
置いてくれ」 新明解
岩波は、「とる」+「~ておく」で、上のような意味用法は推測できるだろう、と考えるのでしょうか。とてもそうは思えないのですが。
「残しておく」という意味では、「とりおく」や「とりのける」よりも「とっておく」がごくふつうに会話で使われる言い方だろうと思います。国語辞典としてとりあげるべき項目です。
以上、岩波国語辞典の「とりおく」と「とりのける」の語釈には問題があり、それらの意味でよく使われる「とっておく」が項目として立てられていない、という話でした。