ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

「会話する」

なんだか「国語辞典」のあら捜しみたいになってきましたが、まあ、それもこのブログの一つの目的(あらさがし、ではなくて、「国語辞典」の真面目な検討、ということです)なので、気づいたことをグチグチと。

「会話する」といういわゆる漢語サ変動詞について。

まず、各辞書の解説を。

 会話する
  岩波  向かい合って話すこと。また、その話のやりとり。 
  例解新 人がたがいに話をかわすこと。また、その話。

  新明解 ―する  〔日常生活において〕意志の疎通を図ったり 用を足したりするための話のやりとり。(第五版)

  類語大(小学館) 2人あるいは数人の人が、日常的な事柄などについて、互いに話をすること。

  明鏡 二人または数人の人が話をすること。また、その話。

どうでしょうか。私はみんなダメだと思うのだけれど。

たとえば、幼稚園の砂場で二人の子が何かかわいい声でおしゃべりしているとき、「2人の人が日常的な事柄」について「意志疎通」を図っていることに違いはないのだけれど、「会話している」とは言わないでしょう。

あるいは、電車の中で若い人が、あるいは、いわゆる「井戸端会議」でも、飲み屋でオジサンが、でも、みな「会話している」とは、普通、言わない。

つまり、上の辞書の説明は、どういうときに「会話する」という語が使えるのか、使うべきなのか、について何も情報を与えていない。いや、「何も」は言い過ぎだとしても、肝心なところがわからない。

じゃあ、どう書けばいいのか、というと、私もわかりません。けっこう難しいかも。

お手軽なのは、「会話する」は「改まった言い方」だとでもしておくことでしょうか。なんにしろ、何か考えた跡がみられるような説明にしてほしい。

一つの問題点は、「会話」と「会話する」の範囲が微妙に違うということでしょう。「意見」と「意見する」の違いほどではないにしても。

さてさて、小さな辞書に、ないものねだりでしょうか。(いやいや、「類語大辞典」は大きいし、高い!)

(それにしても、岩波の「向かい合って」というのは何なんでしょうか。ベンチや、電車で横に座っていたら、「会話」ではないというのでしょうか。英会話学校のイメージ??)

saburoo