「い」の初めのほうの項目から。まずは「亥」。
い 亥(名) ①十二支の最後。いぬ(戌)の次。いのしし。「-年・-の年」〔月・日にも言う〕②昔の時刻の名。今の午後十時ごろに当たる。四つ。「-の刻」③昔の方角の名。北北西。 (三省堂国語辞典)
他の辞書はみな「二時間」を指すことも書いているのですが、それは不要という判断でしょうか。
明鏡 時刻では午後十時、または午後九時から十一時の間。
新明解 時法では午後九時ごろからの約二時間を指した。
新選 時刻について午後十時、またその前後二時間を、また一説に午後十時からの二時間をいう。
大辞林 ① 十二支の一二番目。年・日・時刻・方位などにあてる。いのしし。がい。 ② 時刻の名。今の午後10時頃。また,午後10時から12時まで。または午後9時から11時までの間。③ 方角の名。北から西へ30度の方角。 (大辞泉もほぼ同じ)
新選・大辞林などではどの2時間かで異説を紹介しています。この異説があることを考慮し、ごちゃごちゃするのを避けて、三国は書くのをやめた?
まあ、それならそれで一つの考え方です。
もう一つの問題。
②と③の語釈の「昔の」とはどのぐらい前のことでしょうか。十年か、百年か、千年か。
例えば、中学生にとって昭和の終わりは十分「昔」でしょう。その頃、「亥の刻」と言っていた?と思うかもしれません。
いや、それとも、この「昔」は戦前か、もっと前で明治、あるいは明治以前か。中学生には(あるいは、大学生にも)わかりようがありません。
何らかの限定が必要でしょう。で、「昔」を三国で引いてみると、
むかし [昔] (名) ずっと以前。
ちょ、ちょっと待ってください。これではあまりにもおおざっぱすぎます。
「亥」とは「ずっと以前の時刻の名。方角の名」ですか?
これは三国だけの問題でなく、他の多くの辞書も「昔の~」です。
「昔」って言えばわかるでしょ? 常識ですよ。ね?
わかるわけがありません。
新明解 亥 十二支の第十二。猪(イノシシ)を表わす。〔昔、方位では北から三〇度西寄りを、時法では午後九時ごろからの約二時間を指した〕
昔 過去の時代。〔自分が経験したことのある近い過去から、経験する以前の遠い過去までも指す〕
いや、そんな意味の幅の広いことばを不用意に語釈に使ってはいけないのですよ。
明鏡 昔 遠くさかのぼった過去のある時点・時期。ずっと以前。
「遠くさかのぼった」と言われても、どのくらいさかのぼるのか。
でも、結局、「昔」の語釈としては、新明解や明鏡のように書くしかないのでしょう。はっきり限定できる性質のものではありません。
では、「亥」の説明のほうはどう書けばいいのか。「亥の刻」というのは、いつ頃まで人々がふつうに使っていた言い方なのか。日本語の語の使用の歴史を調べないとわかりません。かなり難しそうです。
私の漠然とした印象では、江戸時代まででしょうか。明治になって、西洋の時刻の言い方が入ってきたのでしょう。しかし、明治初期、一般の人はどう言っていたのか。午前十時とか、午後十時とか言うようになったのはいつごろからか。これは、庶民が時計というものを使うようになったのはいつかということにつながるのでしょうか。
(いや、江戸時代でも、「亥の刻」の類よりも、「六つ」とか「八つ」とかいう方が普通の言い方だった? ふむ。つくづく、自分の無知を感じます。)
それにしても、これまで、誰かこの記述の不十分さに気づかなかったのでしょうか。