またひさしぶりですが、「おとな」の続きを。
「おとな」とは、
物の考え方やからだが十分に発達し、一人前の社会人としての能力が備わるものと認められる 明鏡「成年」
ような人で、
〔法律上の権利・義務などの観点から見て〕社会の一員とされる 新明解「成人」
というあたりが前回の話でした。
では、次の歌詞の中の、井上陽水が歌う「おとな」はそういうおとなでしょうか。
君は季節が変わるみたいに大人になった(「いつのまにか少女は」)
「一人前の社会人」とか、「法律上の権利・義務」という話ではなさそうです。「物の考え方やからだが十分に発達し」というところはつながりがありそうですが。
陽水の歌詞は、次のように続きます。
いつのまにか「愛」を使うことを知り
知らず知らず「恋」と遊ぶ人になる
だけど春の短さを誰も知らない
つまりは恋愛をするようになった、ということですね。
「一人前に成長する」とは、社会的なことばかりでなく、人間関係においても言えることです。
突然、古代の話になりますが、高校の古文の授業で「伊勢物語」の第一段、
昔、をとこ、初冠して、奈良の京かすかの里に、しる由して狩に往にけり
というのを習いました。「初冠(ういこうぶり)」というのは古代の元服ですね。「多くは十代なかばごろだったようです」と小松英雄は書いています。(『伊勢物語の表現を掘り起こす』p.28)
この若い「をとこ」は、「女はらから」を見て、恋歌を送ります。一人前の男なら、美しい女性を見たら心を動かされ、歌を送らなくちゃいけない。「おとなになる」とはそういうことです。
陽水の歌詞の「少女」はその女性版です。ここのところを、辞書でどう書くか、書かなくていいか、です。