一方が倒れればもう一方も倒れるというように、両方の運命が共通している(集団/国)。 三国
一方がだめになれば、もう一方もだめになるというように、両方が運命をともにしている集団(・国) 三省堂現代新
「運命共同体」というのは「二つの集団」でしょうか。
緊密な連帯関係にあり、存亡の危機に直面した際などには運命を共にする宿命を負わされているととらえられる、家族や国家などの組織体。 新明解
家族が二つあるということではないでしょう。「家族や国家」の中での話です。
「運命を共にする宿命」というのは強い言い方ですが、そういうことでしょう。
今後の運命や方針などをともにすることを相互に了解し合った、複数の個人または団体。 明鏡
運命をともにすることをたがいに了解した、複数の人間または社会集団。 新選
こちらは「互いの了解」を重視しています。実際にそうかどうかということより、互いの意識の持ち方の問題として「運命共同体」を考える。
運命を左右するようなできごとがあったとき、幸福も不幸も共にすることになる、そこにいるものどうし。 例解新
「そこにいるもの」というのは、わかりやすく言おうとしてかえって不明瞭になっていると感じます。
運命をともにするものの集まり。 学研現代新
これはまたずいぶんかんたんな。
大きな辞典では大辞林が「二つ」説です。
一方の盛衰がそのまま他方の盛衰となるような関係にあること。 大辞林
大辞泉はなぜか「所属する人」だけで、組織や国どうしのことは考えていないようです。もちろん、その中の人も「運命をともにする」ことになりますが。
所属する人が、繁栄するときも衰亡するときも運命をともにする組織や団体。また、その関係にあること。 大辞泉
日本国語大辞典は「相互了解」説。「複数の個人または団体」です。
運命をともにすることを相互に了解し合った複数の個人または団体。
精選版日本国語大辞典
私の考えは、家族や国家などの構成員がそうであるのは当然として、例えばいくつかの家族・企業・国家などもまた、互いの関係によって運命共同体でありうるので、日本国語辞典の「複数の個人または団体」をよしとし、ただし「相互に了解」はとった形がいいだろう、というところです。「了解」のとりようのない、家族の赤ちゃんもまた運命共同体の一員ですし。まじめな話、宗主国と植民地もそういう関係になることがあるでしょうが、植民地のほうは「了解」していないでしょう。
運命共同体 幸不幸、繁栄・滅亡などの運命をともにする複数の個人または組織・国家など。
どうでしょうか。