また「鉛筆」から派生した問題です。「包む」をひいてみました。
1 全体をおおって、その中に入れる。「ふろしきに-」(以下略) 三省堂国語辞典
語釈の意味がどうもはっきりしません。
「包む」の語釈だということを頭から除いて、さっぱり忘れて、この語釈だけを素直に読んでみてください。
まず、「全体」があります。この「全体」とは何か。何の全体か。
何だかわからない「全体」があり、それを「おおって」、「その中」に「入れる」んだそうです。
「その中」とは? 「全体」あるいは「おおった全体」の中、でしょう。どういう状況か。
何で何をおおうのか。また「入れる」のは何を入れるのか。
「(何かの)全体を(何かで)おおって、その中に(何かを)入れる」
例えば、「菓子箱をふろしきで覆い、その中(箱の中)に小判を入れる」。しかしまあ、先に小判を箱の中に入れ、それからふろしきで覆うんでしょうね、普通は。
あるいは、「ベッド全体を毛布で覆い、その中(ベッドと毛布の間)に身体を入れる」とか。
用例として「ふろしきに包む」という例があります。
では、「ふろしきに包む」とは、「ふろしきに入れる」のでしょう。
しかし、「全体」とは何のことか、何が「おおう」のか。
「ふろしき」が「おおう」ものだと、どこからわかるのか。「全体」がすなわち「中に入れる」ものだとどうしてわかるのか。
(しつこいようですみませんが、語釈をすなおに読むとこうなると思うのです。)
この語釈を書いた人は、どうしてこの語釈の言わんとすることがすぐわかると思っているのでしょうか。
これを読む人は、あらかじめ「包む」の語釈だとわかっていて、もちろん、「包む」の意味を知っているから、この語釈の言わんとするところがわかるのでしょう。(つまり、その人にとってこの語釈はまったく不要のものです。)
この語釈を、「包む」の意味を本当に知らない人が読んだら、何のことかわからないでしょう。(私は、知らない英単語を英英辞典で引くと、そういうことがよくあります。それは、その説明が悪いのではなく、私の英語力のせいですが。)
他の辞書を見てみます。(他の用法は省略します。)
ものをそとからおおう。[用例]金を包む。ふろしきに包む。新聞紙で包む。 例解新
これはつまり「おおう」ということだけ。不正確でも理解はしやすい。例が多いのがいいですね。助詞の「を」「に」「で」の例をそろえています。非常にいい。
一枚の紙や布を使い、形にそって一面におおうようにする。「オブラートで-」 新明解
「一枚の」「形にそって」「一面に」と、いろいろ細かく規定しています。何かに天蓋のようなもの、あるいはカゴをかぶせても「おおう」と言えますが、それではダメだということでしょう。
物を中に入れて、外側から完全におおう。「オーバーに身を-・む」 学研現代新
物を中に入れて、そとからおおう。「品物をふろしきで-」 三省堂現代新
「中に入れて」「外(側)からおおう」。「中」とは何の中なのかが一瞬はっきりしませんが、「おおった結果」の「中」だということが、なんとなくわかるのでしょう。「おおって、中に入れる」よりはいいように思います。それでも、私には、例えば鳥かごのような物の中に何かを入れて、その外側からおおう、というイメージが浮かんでしまいます。
外にこぼれ出てこないように、物を布や紙でおおう。「風呂敷に手土産を-」「新聞紙で弁当箱を-」「黒装束に身を-」 明鏡
何のために、という目的が示されています。でも、「こぼれ出てこない」ことだけが「包む」ことの目的でしょうか。「黒装束に身を包む」のは?
物をおおって外から見えないようにする。 新潮現代
こういう意見もあります。でも、それだったら「包む」というより「おおい隠す」でしょうか。
(「黒装束」はこのためですよね。)
さて、「包む」のは何のためでしょうか。こぼれでないように、外から見えないように、あるいは、ほこりや汚れがつかないように、保温・保湿のため、持ち歩きやすいように、などなど、いろいろな目的のために「包む」のでしょう。それは、「包む」の語釈として必要でしょうか。私は、必ずしも書かなくてもいいように思います。
物の全体を布、紙などの中に覆い囲む。覆ってその中に入れる。「コートに身を包む」 現代例解
おやおや、三国と同じ「覆ってその中に入れる」ですね。しかし、その前の「物の全体を布、紙などの中に」という部分があるので、理解しやすくなっていると思います。「覆い囲む」という複合動詞はよく使われるのでしょうか。
覆うようにしてその中に入れる。「本をふろしきに-」 集英社
「覆うようにして」と「覆って」の違いは何でしょうか。なんとなく、前者のほうがいいように感じます。
岩波を少し長く論じます。岩波のこの項目は、いくつか問題があると思います。
外側からおおう。「会場は熱気に-まれた」ア おおって、その中に入れる。「本をふろしきで-」「お祝いに一万円-」イ かくす。「うれしさを-・みきれずに顔に出す」 岩波
岩波は、基本的な意味として「外側からおおう」をあげ、さらにアとイの2つに分けて、「おおって、その中に入れる」と「かくす」としています。これで項目の全体です。
(岩波も「おおって、その中に入れる」です。この言い方は、「包む」の説明としてごく普通の言い方なのでしょうか。私が知らないだけ?)
語釈以上に、用例の出し方に問題があると思います。
まず、「会場は熱気に包まれた」は、「外側からおおう」という基本的な意味の用例として適当でしょうか。「会場の外側から(熱気が)おおう」だと、会場の回りが火事で、人びとが会場に閉じこめられているようです。
4 全体をある雰囲気が覆う。「熱気に-・まれる」 旺文社
2イ ある感じや状態が、ひとつの場や事柄全体に広く行き渡る。[例]重苦しい空気が会場を包んだ/彼の前歴はなぞに包まれている。 小学館日本語新
細かく意味用法を分ける辞書では、このような個別の語釈でこの用法を解説しています。
岩波は、凡例の中で、
その語の現象的な意味をいちいち細かく分けて説明するよりも、基本的な意味を明らかにするようにした。(「凡例」p.9)
と書いていて、それがうまくいっている場合も多いとは思うのですが、この「包む」では失敗しているように思います。
三国は、この用法を、
2 ある場所をそればかりにする。「会場は興奮に包まれた」 三国
と説明していますが、「そればかりにする」というのはいかにも舌足らずです。
岩波のもう一つの問題は、「お祝いに一万円包む」という用例を「おおって、その中に入れる」の例としていることです。この語釈では何だかわかりません。
これは、「一万円包む」という言い方をそもそも知っている人が、「ああ、そう言うなあ」と納得するための例です。
三国はこの用法を特に分けてとりあげています。(しかしなぜか金額は同じ「一万円」ですね。)
4 おかねを(袋などに入れて)人にあげる。「お礼を一万円-」 三国
岩波の用例は、その語の使い方を(新しく)知るための例ではなく、「ご存じでしょうが、こういう使い方もありますよ」と、使用者にある表現を「思い出させる」ための例になっていることが多くあるように感じます。
そもそも、どういう人をその辞書の使用者として想定するか、使用者がその辞書に何を求めていると考えるか、という点で、岩波は三国やその他の辞書とは大きく違うのでしょう。この用例の出し方は、説明が足りないというよりは、岩波のそのような態度の表れなのだろうと私は考えます。
さて、基本的用法の説明で私が感心したのは小学館です。
ある物のまわり一面、またはほとんどの部分に、ひとつづきのひろがりのあるものを密着させて、すっかりその中に入るようにする。[例]書類をふろしきに(で)包む/アーモンドをチョコで包んだ菓子/ロングドレスに身を包んだ女性/ご祝儀に一万円包む〔=袋などに入れて相手にわたす〕 小学館日本語新
ここまで書く必要があるかと思わせる、言語学的な(?)語釈です。
「まわり一面、またはほとんどの部分」というところは、「ロングドレスに身を包んだ女性」の、胸の部分が大きく開けられていたりすることを考慮しているのでしょうか。
他の辞書の「布や紙など」をやめて、「ひとつづきのひろがりのあるもの」という回りくどい表現にしているのは、「アーモンドをチョコで包んだ菓子」が頭にあるのでしょうか。(これはなかなか面白い例だと思いました。)
「一万円包む」の例も、わかりやすい説明を付けています。
しかし、この語釈自体は、あまりわかりやすいものとは言えないでしょう。「包む」という語は、幼稚園児でも知っていることばでしょうから、基本的意味はあっさり書いて、さまざまな用例を豊富にあげることによって細かい用法、意味範囲を示すのがいいのではないかと、私は考えます。(でも、こういう凝った語釈を見ると、喜んでしまうのですが。)