また三国の語釈の問題です。
意図的 (形動ダ)自分でそうしようと思っておこなうようす。「-に隠す」 三省堂国語辞典
これだけ見ると、いいような気もしますが、例えば、
「午前の仕事はこれで終わり。さて、昼ご飯にしよう」→「意図的に昼ご飯を食べる」??
「昼ご飯にしよう」と言って御飯を食べるのは、「自分でそうしようと思っておこなう」んですよね。どう考えても。でも、この場合、「意図的に昼ご飯を食べる」とは言わない。どこがまずいのか。
明鏡も同じようなものです。
形動 はっきりした意図があるさま。「━な行動」「情報を━に隠す」 明鏡
「はっきりした意図がある」というのはどういう状況を言うのか。「昼ご飯を食べよう」というのは「はっきりした意図」なのか、そうとは言えないのか。
ここで言う「意図」とは、「昼ご飯を食べる」ことそのものではないような感じですね。もっと別の意図があって、「昼ご飯を食べる」んですね。まさに、「意図的な行動」として。何なんだろう。
「意図」とは何か。
意図 (名・自他サ)何かをしようと思う(考え/心)。つもり。「-が不明だ」 三国
名・他サ変 あることを(実現)しようと考えること。また、考えた事柄。もくろみ。ねらい。「早期解散を━する」「企画の━が不明だ」 明鏡
どうもはっきりしませんが、「意図的に早期解散をする」というと、「選挙に有利なように」というような別の「意図」を感じますね。「意図的に何かをする」のと、「何かを意図する」のは、微妙に違うのか。「選挙で優位に立つ」ことを「意図」して、「意図的に早期解散をする」のか。
①-する (他サ)何か目的があって、積極的にそうしようと考えること。「早期実現を-する/-的な ごまかし」②その事の背後に察知される もくろみ・考え。「関係改善の-が うかがわれる/真の-がどこにあるのか全く分からない」 新明解
新明解は、「-する」つまりサ変動詞となるのは①の意味の場合で、②の意味の場合は「その事の背後」に「意図」があるんですね。
やはり、
何かを「意図する」
のと、
「意図」があって、なにかをする
のは違うのでしょう。
では、「意図的に何かをする」のは、どちらか。私には、後者のように感じられます。つまり、「別の意図」があって、「何かをする」。
例えば、
情報の拡散を意図する
は、「そうしようと思っておこなう」ので、「情報を拡散させよう」と思っているだけです。
意図的に情報を拡散させる
と言うと、「情報を拡散させよう」と思っている点では同じですが、その後ろに何らかの「意図」がある。「情報が拡散する」ことの影響で何かが起こる。その「何か」をめざしている。その含みがあることを示すのが、「意図的に」ということばの効果です。
「意図的」と似た意味のことばで「意識的に」というのがありますが、こちらはまさに「しようと思ってする」という意味じゃないでしょうか。
意識的に情報を拡散させる
というのは、「特に何もしないで、情報が拡散するのをほうっておく」のではなく、「情報が拡散するように努力する」ということです。しかし、その結果、何をめざしているかについては何も言っていない。
新明解には「意図的」という項目はないのですが、なぜか「意識的」はあります。
意識的 -な-に そうすれば どういう結果になるか(が自分に はね返るか)を知りながら、構わずそれをする様子だ。 新明解
この語釈はずいぶん踏みこんだ解釈をしています。「意識的」にはそこまでの含みがあるかどうか。
実際の例を多く見た結果、このような語釈をしたのでしょう。
「意識的に情報を拡散させる」という例についてこの説明が当たっているかどうか、いかがでしょうか。「どういう結果になるかを知りながら」というよりも、「どういう結果になるか知りたくて」という意味合いを感じますが。
他の例をいろいろ見て考えなくてはなりません。