私は、「おいら」というのは単数だと思っていました。
(代)〔俗・男〕おれ。おれたち。 三国
(代)〔「おれら」の変化〕「おれ(たち)」の意の口頭語的表現。 新明解
《代》〔俗〕一人称の人代名詞 おれ。おれたち。「━がやったんじゃないや」「おれら」の転。やや粗野で子供っぽい言い方。 明鏡
いつも使っている辞書がみな、「おれたち」でもあるとするのを見て、ちょっと驚きました。複数の人間を代表して、「おいらは」という状況が想像できません。
ところで、ある世代以上の人は、「おいら」と聞くと、ある台詞(?)が頭に浮かぶのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
《代》〔俗〕自称。「-はドラマー」▽「おれら」の転。普通は男(の子供)が言うが、きちんとした町家以上では使わなかった。 岩波
この用例が石原裕次郎の映画だとわかる人は、けっこうな年齢以上の人でしょう。岩波の編者はかなりの年齢のはずです。(「元ネタ」を知らない人にとっては、ずいぶんヘンな用例に感じられるでしょうね。)
さて、岩波の「自称」というのは、「おれ」ということでしょう。私の感覚と同じです。
「おいら」が「おれたち」を表しうるかどうかで、国語辞典は二つに分かれます。
単数のみ(=おれ・おら) 現代例解 学研現代 旺文社 集英社 例解新
単数・複数(=おれ・おれたち) 三省堂現代 新選
上にあげた「三国・新明解・明鏡」は単複派、岩波は単数派です。
大きな辞典は単数派です。
[代]《「おれら」の音変化》一人称の人代名詞。おれ。おら。ふつう、男性が用いる。 大辞泉
(代)〔「おれら」の転〕一人称。主として男性が用いる語。近世江戸では女性も用いた。おれ。「幸せは-の願い」「 -も弱虫ぢやあねえよ/滑稽本・浮世風呂 前」 大辞林
〘代名〙 自称。「おれら」の変化したものといわれる。男が用いるのが普通であるが、江戸時代には町人の女も用いた。おれ。おら。※雑俳・三国志(1709)「どの様な茶がおいらには似合ふぞい」※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前「おいらも弱虫じゃアねへよ」 精選版 日本国語大辞典/
しかし、「「おれら」の変化したもの」なら、もともと複数であって当然のはずですね。
両方の用法をあげて区別している辞典が一つだけありました。新潮現代です。
(代)〔俗〕自称の人代名詞。1話し手が自分をふくめて自分の側に立つ人々を指す語。おれ。おれら。2話し手自身を指す語。おれ。〔ヘボン〕「驚いてあきれて-は嫌やだな〔たけく〕」「-は浮かれてぽんぽこぽんのぽん〔童・証城寺の〕」 新潮現代
1のほうに用例がないのが残念です。
近世のある時期に「おれら」から「おいら」に変化した時、複数として使われ続けても不思議はないわけですが、その実例と、いつまで使われたのか、あるいは、現代でも複数で使われうるのか、が知りたいところです。
上の「単複派」の辞書は、現代の用例を持っているのでしょうか。
また、「おれら」から「おいら」に変化したあたりのことは、近世語研究で明らかになっているのでしょうか。
いつも思うのですが、こういう時、三省堂の辞書(三国・新明解・三省堂現代・例解新・大辞林)はけっこう二つに分かれるのですね。辞書編集部の中ではどうなっているのでしょう。