「南」から考えます。三省堂現代新国語辞典によると、
南 日の出る方向に向かって、右の方角。
右 南を向いたとき、西に当たるほう。
西 太陽のしずむ方角。 三省堂現代新
なんだか、いいような、ダメなような。
「南」の説明の「右」に、上の語釈を代入してみます。
南とは、「日の出る方向に向かって、[南を向いたとき、[太陽のしずむ方角]に当たるほう]の方角。
「南」の語釈に「南」がまた出てきてしまいます。だめですね。
次は「北」をみてみます。
北 日の出る方向に向かって、左の方角。
左 南を向いたとき、東に当たるほう。
東 日の出る方角。 三省堂現代新
これも「南」が出てきてしまうので、ダメですね。
方角の語釈に「右・左」を使わないようにするか、「右・左」の語釈に方角を使わないようにするか、どちらかにしないと堂々巡りになってしまいます。
新明解の「右」の語釈は有名です。
右 アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。〔「明」という 漢字の「月」が書かれている側と一致〕 新明解
これは、具体的に存在するものを使ったうまい説明です。ただ、ここで問題になるのは、「側」とは何かということです。
側 対象とするものを、何らかの基準となる線を軸として分けた、それぞれの部分。 新明解
この辺もきちんと書いていますね。新明解のこういうところは好きです。
あえて言えば、「右」の語釈にも、
アナログ時計の文字盤に向かった時に、[12時と6時を結ぶ線を(対称)軸として]一時から五時までの表示のある側。
という「軸」の説明をしたほうがよかったのでは、というのが私の感想です。
初めの「南」の語釈には、もう一つ、問題があります。
「日の出る方向に向かって」というのですが、そんなぼんやりした言い方でいいのか。
「日の出る方向」って、夏と冬ではずいぶん違いますよね。そのことも考えに入れてほしい。
これはほとんどの辞書がダメです。みな失格。あの「日本国語大辞典」も。
私が見た中では、一つだけ、注意を払っている辞書がありました。
東 春分の日の朝、太陽の出る方角の称。
西 春分の日の夕方、太陽の沈む方角の称。 新明解
ひと味違う新明解。いわゆる「個性的な」語釈、とかいう編者の偏った見方による語釈を話題にして面白がるのではなく、こういう、辞書としての語釈の正確さにこだわったところに注目するべきだと思います。
(「右」の語釈としては、岩波の「この辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う」というのも有名ですが、私は、デジタル版(第六版)の「右」が同じ語釈のままだった(デジタル版には「ページ」はありません!)のを見てあきれてしまったので、この語釈はあまり評価しません。)