ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典:私の見方

2019年も今日で終わりです。今年はこのブログにずいぶん書くことができました。

今回は、私が国語辞典をどうとらえているのかということを書いてみます。

 

国語辞典を考える際にいちばん重要な点は、国語辞典とはいったい何のためのものなのか、国語辞典の利用者は何を求めて国語辞典を引くのか、という点だろうと思います。

日本語の、ある語の意味用法・表記などを知るため、というのが一般的な答えでしょう。知らない語の意味用法を知るため、あるいはいちおう知っているつもりの語をよりよく知るため、その情報を国語辞典に求める。

あるいは、単に漢字でどう書くのかを知るために引く。

その要求に応えるため、国語辞典は様々な情報を、簡潔に、わかりやすく示す。

実際の問題として、引きやすさ・購入しやすさ(値段)などのために、あまり大きな、高価なものでは困るということもあります。

以上のようなこと、それ以外の様々な条件が重なった結果として、現在の国語辞典の状況があるのでしょう。

 

私が国語辞典に求めるものは、以上のこととは少し、方向性が違っています。その理由は、おそらく、私が多少は言語学をかじった日本語教師だということにあるのだろうと、自分で思っています。

まず、日本語教師であること。国語辞典の利用者は、ほとんどが日本人でしょうし、編集者もそのつもりで作っているでしょう。(在日韓国人など、「日本語母語話者」の外国人のことはちょっとおいて考えます。)

中には、外国人への日本語教育ということを意識の中に入れている編集者もいるようですが、まだ少数でしょうし、実際の編集に大きく影響しているとは思えません。

しかし、私の中では、国語辞典を日本語教育の観点から考える、ということは当然のことであり、逆に言ってそれ以外の見方はできない、ということがあります。

現在の国語辞典を日本語学習者が使うことはまれでしょうが、しっかりした国語辞典があれば、それを大いに利用して、学習者用の初級・中級の辞書を編集することができます。

それは、日本の英和辞典が英米の辞典を大いに参考にしてきたであろうことを考えれば、当然のことでしょう。

 

また、「言語学を少しかじった」点ですが、「語の意味用法の記述」ということの内容が、日本人が国語辞典に求めるものとは少し、あるいはかなり、違ってくるだろうということです。

ここは、詳しく書こうとすると大変そうなので(よくわからないので)、これ以上は述べませんが、「知らない語を調べるため」よりも「知っている(と思う)語をきちんと、詳しく記述する」ことを国語辞典に求めてしまう、ということです。

ですから、国語辞典というとよく話題になる、「新語・新用法」の話にはあまり興味を感じません。日本人なら小学生でも知っているような語をどれだけ正確に記述できるか、で辞書の良し悪しを考えてしまいます。

 

ふだん思っていることをざっと書いてみました。2020年も、同じような内容で、あるいはちょっと違った観点で、たくさん書いていきたいと思います。