ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

三国の(感)と〔話〕の関係

三省堂国語辞典の「感動詞」(感)と、「話しことば」〔話〕の関係がよくわからないという話です。

三国が、ある語について「話しことば」という「文体」を注記するのは非常にいいことだと思うのですが、その注記の基準がよくわかりません。

特に感動詞の場合をとりあげます。(語釈は省略し、例文のみ引用します)

 

  あ(感)〔話〕1「-、そうだ、忘れてた・-、こわれちゃった」2「-、久しぶり・-、これおいしい」  三国

 

これらの例が「話しことば」であることにはまったく異議ありません。

しかし、次の例を見ると、わからなくなります。

 

  ああ(感)1「-、いい気持ちだ・-、忙しい」2「-、おじさん、こんにちは・-、そうですか」3〔話〕「-、私は、-、このたび…」4〔話〕「-、君、君」5〔話〕「『早く行こうよ』『-』」  三国

 

「ああ」の1と2には、なぜか〔話〕つまり「話しことば」であるという注記がありません。その例を見れば、どう見ても「話しことば」だという以外にないと思うのですが。

編者には何らかの理屈があるのでしょう。(なければ困ります。)

しかし、それは利用者にはまったく伝わりません。

 

また、〔俗〕や〔男〕、つまり「俗語」や「男性語」の場合に、〔話〕の注記がなくなるということがあります。

 

  あちゃあ(感)〔俗〕「-、まいったなあ」

  おい(感)〔男〕「-、どこ行くんだ」  三国

 

これらも、どう見ても「話しことば」でしょう。

もちろん、

 

  「俗語」(「男性語」)ならすべて「話しことば」であり、〔話・俗〕/〔話・男〕は〔俗〕/〔男〕と略して示す

 

という規則が三国の「文体」注記にあるわけではありません。「俗語/男性語」であって、「話しことば」でない例はいくらでもあります。

 

  さくら〔俗〕「大道商人の-・ウェブサイトに-が書き込む」

  おれ[俺](代)〔男〕「-についてこい・-たち」  三国 

  

次の「おう」の文体注記はなかなか複雑です。

 

  おう(感)1〔男〕「『ただいま帰りました』『-』2〔俗・男〕「-、そこのにいちゃん」3〔話〕⇒おお 4〔古風〕⇒応[2]  三国

 

1も2も、どう見ても「話しことば」でしょう。3だけが「話しことば」で、「おお」を見よ、とあります。

 

  おお(感)〔話〕1「-、きみか・-、寒い」2「-、そうだ」3「『行くぞ』『-』」  三国

 

これらは皆、「話しことば」なんですが、上の1と2の例は違うのです。

そして4の〔古風〕は、

 

  おう[応](感)〔古風〕「-と答えてやって来る」  三国

 

という例があげられています。「古風」ではありますが、やはり「話しことば」でしょう。

 

いったい、これらの〔話〕〔俗〕〔男〕〔古風〕の関係はどうなっているのでしょうか。

 

なお、三国の「この辞書のきまり 7分野・文体」(p.(10))によれば、

 

  〔文・男〕は「文章語でしかも男性語」

 

という書き方もあるで、〔話・男〕という表記ができないということはありません。

上の「おう」の2には〔俗・男〕がありました。

 

さて、皆目わかりません。