ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

岩波八版:音楽用語

音楽用語というものは、小学校あるいはそれ以前からなじみのあることばも多いのですが、まじめに考えるとどういう意味なのかわからず、かなり複雑で難しい理論的なもののようです。

以前、三国と三省堂現代新で音楽用語を少し調べたことがあります。(三国「2017-07-02 イ」、三省堂現代新「2019-12-18   ハ調・ラ」)

三国では「イ」、三省堂現代新では「A」が出発点でした。

 

  い イ (名)〔音〕長音階のハ調のラに当たる音(オン)。A音。  三国  

  A 音名。ハ調のラ。  三省堂現代新(巻末のABC略語集)

 

それぞれの語釈に出ている「長音階」「ハ調」「ラ」「音名」などを調べていって、音楽用語の体系がある程度わかるように書かれているかどうかを見ました。

三国は、かなりの努力の跡がうかがえました。三省堂現代新はすぐ行き詰まりました。音楽用語を全体として調整し、わかるように書こうという努力はしていないようです。

岩波はどうでしょうか。岩波には「い」も「A」も項目としてはありません。ぱらぱらと探してみたら、「ド」が項目としてありましたので、そこから始めてみましょう。

 

  ド〔音楽〕1長音階の第一音。2音名で、ハ(C)の音。▽イタリアdo  岩波

(以下辞書名のないものは岩波から)

 

長音階」「音名」を調べます。まず「音階」を。

 

  音階 ある決まった音程によって、楽音を順次に並べたもの。楽曲を組み立てるもとになる。

  音程 1二つの楽音の高低の差。2特に、音の高さ。「-が狂う」

  楽音 音波が周期的に構成されていて、振動数を正確に測定でき、聴覚に快感を与える音。⇔騒音(ア)

 

「楽音」の説明がいいですね。三国を調べていた時、ちょっと物足りない説明だったのを思い出しました。

 

  楽音〔理〕規則正しく振動する音。例、楽器のおと。(⇔騒音)  三国

 

「音階」とは、その「楽音」が「決まった高低の差によって」順に並べられたもの、です。

では「長音階」とは。

 

  長音階〔音楽〕主音と第三音との間が長三度をなす音階。一般に、明快な感じを表すのに使う。⇔短音階  岩波

 

急に難しくなりました。「主音」とは何か。「長三度」とは何か。
 
  主音 音階の中心となる、その第一音。主調音。トニカ。キーノート。

  主調音 →しゅおん(主音)              

  キーノート 1音階の第一音。主音。

 

初めの「ド」の語釈に「長音階の第一音」とありました。ドが長音階の「主音」になるわけですね。

では「第三音」とは。ここは常識的に「ドレミファ~」を思い出して、おそらく「ミ」のことだろうと考えてもいいでしょう。

岩波には「ドレミファ」という項目が(なぜか)あります。「ド」の項には何も書いてなかったのですが。

 

  ドレミファ 音楽の音階。▽イタリアdo re mi fa

 

で、「ド」と「ミ」の間が「長三度をなす」。ここですね、問題は。
「長三度」はもちろん項目としてなく、「三度」には音楽関係の説明はなし。「長」「度」を見ても音楽の話はありません。

ここで「長音階」の探究は行き詰まってしまいます。

一応、対義語の「短音階」を見てみます。

 

  短音階〔音楽〕主音と第三音との間が短三度をなす音階。一般に悲哀・感傷的な感じを表すのに使う。⇔長音階

 

今度は「短三度」ですね。これもわかりません。

短音階の「主音」または「第一音」は何なのでしょうか。それも、この辞書からはわかりません。
(「ラ」だと思うのですが、「ラ」という項目は岩波にはありません。)

岩波の中では「長三度」「短三度」がわかる人でないと、「ド」や「長音階」の意味がわかりません。つまり、岩波国語辞典の中では、音楽用語がわかるように解説されていない、ということです。

 

ここでちょっと気を取り直して、「ド」の2の用法に出てくる「音名」を見てみましょう。

 

  音名 音楽で、ある高さの音に付けた名前。西洋音楽のハニホヘトイロ、CDEFGHなど。

 

ん?「ド」の項では「音名で、ハ(C)の音」でしたね。「音名」の中には「ド」はありません。どういうことでしょう?「ド」と「ハ」の関係やいかに? 「ハ」という項目はありません。 

岩波で音楽用語を見ていくと、よけいにわからなくなるだけです。

 

前に三省堂現代新で音楽用語を調べた時、「音名」の対義語として「階名」ということばが出てきました。それを見てみましょう。

 

  階名 音階の中の、それぞれの音に付けた名前。その音階の主音をもとにした相対的なもの。西洋音楽のドレミファソラシなど。  岩波

 

おお、なじみのある「ドレミファソラシ」が出てきました。

「階名」は「音階の主音をもとにした相対的なもの」ですが、では「音名」の「ある高さの音に付けた名前」というのはどういうことなのか。この辺もはっきりわかりません。

岩波の音楽用語担当者は、全体を見渡して体系的に説明しよう、という気がないようです。というより、音楽用語を全体として見渡した編集者はいるのでしょうか。

ちなみに、三省堂現代新で「音名」「階名」は次のように説明されています。

 

  音名 [音楽で]音の絶対的な高さをあらわす名前。日本では、ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロの七つ。[対] 階名  三省堂現代新

  階名  [音楽で]音階の中の一つ一つの音の名前。音の相対的な高さをあらわす。「ド」「レ」「ミ」など。[対] 音名  三省堂現代新

 

「絶対的な高さ」と「相対的な高さ」の違いですね。岩波よりはわかりやすく書かれています。(岩波は、少なくとも「音名」と「階名」で相互参照指示をつけておくべきです。)

しかし、三省堂現代新もこれ以上のことを調べようとすると、すぐ行き詰まってしまいます。

 

三国も振り返ってみましょう。三国では「長音階」「短音階」はどう説明されているか。

 

  長音階 七つの音からできていて、第三音と第四音の間と、第七音と第八音の間が半音である音階。メジャー。(⇔短音階)  三国

  短音階 七音からできていて、第二音と第三音の間、および、第五音と第六音の間が半音である音階。マイナー。(⇔長音階)  三国

 

こちらのほうが具体的で岩波よりわかりやすいでしょう。
(しかし、それらの違いが結局何を意味するのかはわかりません。なぜ、岩波の言うように「一般に、明快な感じを表す」「一般に悲哀・感傷的な感じを表す」のか。私としてはそこが知りたいのですが、それを国語辞典に求めるのはそもそも無理なのでしょう。)

それでは、「音階」とは。

 

  音階 一オクターブの楽音を高さの順に配列したもの。  三国

  オクターブ 1ある音から、半音でかぞえて、十二音だけ高い音。ある音に対して二倍の振動数を持つ。2半音で十二音ぶんの、音のはば。一オクターブ。  三国
 
三国の面白いところは、「半音」の説明で、

 

  半音 ピアノの鍵盤でとなり合った鍵どうしの、音の高さの差。例、ミとファ。(⇔全音)

  全音 半音二つ分の、音の高さの差。(⇔半音)  三国

 

急にピアノの鍵盤という現実のものが出てくることです。そうせずに、「全音」と「半音」を基本的なところから理論的に説明するのは難しすぎるのでしょう。しかし、そうやってでも、何とかわかりやすく、具体的な説明をしようという三国の執筆者・編集者の努力ははっきり感じられます。

 

それに対して、岩波の「半音」と「全音」を。

 

  半音〔音楽〕全音の半分の音程。例、長音階でミとファ、シとドの間の幅。「-上げる」▽→ぜんおん  岩波

  全音〔音楽〕半音を二つ含む音程。長二度に相当する。▽→はんおん

 

「半音」には「ミとファ、シとド」という例がありますが、「全音」には例がありません。「ドとレ、レとミ」の間は「全音」なのか。この辺も不統一ですね。

「半音」は「全音の半分」で、「全音」は「半音を二つ含む」音程です。ここはこれ以上説明しようのないところなのでしょう。理論的には難しすぎて。(だから三国はピアノを持ち出した。)

 

「長二度」が出てきました。何のことかわかりません。「半音」はどうなのでしょうか。岩波流の説明では、この「長二度・長三度」を何とか説明しないと、全体が見えてきません。

それに、「ミとファ、シとド」と言っても、この辞書の中ではそもそも「ミ・ファ・シ」の意味はわからないのです。説明があるのは「ド」だけです。

すでに見たように「階名」の中に「ドレミファソラシ」と書かれていますが、その理解は常識を頼っています。(この順に「音が高くなる」のだということはどこにも説明されていません。また、シの上の音がまたドなのだということも。そして、その低いドと高いドとの関係も。)

 

結論。岩波国語辞典では音楽用語はわかりません。