新明解国語辞典から。
おてんば 女性としてのたしなみを忘れて ふざけさわぐ少女(女性)。 新明解
「女性としてのたしなみを忘れて」だそうです。批判的な新明解。
女らしいとされるしとやかさのないようす。また、そのような<少女/女性>。
おきゃん。おはね。フラッパー。〔「手早い」の意味の「てんば」からという〕 三国
三省堂国語辞典は「女らしい[とされる]しとやかさのない」という言い方で、世間の価値観だとします。編集者はそう思っていない?
(「フラッパー」ということばは知りませんでした。よく使われるのでしょうか。)
若い娘や女児がしとやかさに欠け、いたって活発な・こと(さま)。また、そういう女。おきゃん。「うちの娘は-で困る」「-な女の子」「-をする」 大辞林
大辞林は「若い娘や女児」は「しとやかさ」があるべきだと言っているようです。
若い女性が、恥じらいもなく、活発に行動すること。また、そのさまや、そのような娘。おきゃん。「お転婆な少女」 大辞泉
大辞泉は「恥じらいもなく」です。かなり強く批判的です。
「恥じらいながら、活発に行動する」というのも変ですから、「若い女性が」「活発に行動する」のはダメだという考えでしょうか。
辞書編集者は、(年配の)男性が多いでしょうから、どうも女性の行動に対して保守的な考えなのでしょうか。
若い女性が元気よく、活発に動き回ること。また、そのような女性。「━な妹」
「━娘」 明鏡
おや、ぜんぜん批判的でない辞書がありました。「若い女性が元気よく、活発に動き回ること」。明鏡の編者はそれを肯定しているようです。
でも、それを「おてんば」とわざわざいうのはなぜなんでしょうか。
少女・娘が周囲に気おくれせず、活発に元気よく動き回ること。そういう人。おはね。 岩波
岩波国語辞典も肯定的です。「周囲に気おくれせず」というのは、「気おくれ」するのがこれまでは一般的だったのだけれど、という含みでしょうか。
時代・意識が変わってきている、という背景を前提としているのでしょうが、そこを書かないと、わかりにくい説明です。
岩波は、利用者の持っている社会通念を前提とした説明をすることがよくあります。
女の子が、男の子にも負けないほど、元気で活発であること。[用例]おてんば娘。
[類]おきゃん。はねっかえり。[参考]男の子の「わんぱく」にあたる。 例解新
例解新国語辞典は「男の子にも負けないほど」という説明を加えます。
「元気で活発である」ことは、「男の子」の特長とされるけれども、「女の子」にもそういう子がいること、そのことを肯定的に書いています。
しかし、それが「おてんば」と言われ、その語を否定的な意味合いでとらえる辞書が多いことは、社会的には肯定的に見られていない、ということを示しているのだと思います。
むかし、『国語辞典にみる女性差別』(1985)といういい本がありました。この「おてんば」が扱われていたかどうか、そのころの辞書はどう書いていたか、見てみたいと思います。
もう一つの問題は、対象となる女性の年齢層です。
少女(女性) 新明解
少女/女性 三国
若い娘や女児 「うちの娘は-で困る」「 -な女の子」 大辞林
若い女性 娘 「お転婆な少女」 大辞泉
若い女性 「━な妹」「━娘」 明鏡
少女・娘 岩波
女の子 例解新
「少女/女性」という書き方だと、「おてんばなおばあちゃん」もありうることになります。かわいいおばあちゃんなんだな、という印象を受けます。
明鏡は「少女/女児」と書いていません。「若い女性」だけです。小中学生は「おてんば」になれない?
大辞泉は、用例に「少女」が出てきます。「娘」に含まれるのでしょうか。
逆に、例解新だけが「(若い)女性」「娘」と書いていません。「女の子」は何歳ぐらいまででしょうか。会社では、20代の女性を「若い女の子」と言ったりするようですが、例解新の「女の子」は20代を含まないでしょう。
前に、「こども」とは何歳ぐらいを言うのだろうか、ということを書いたことがあります。(2019-12-27 ヤングアダルト(2):こども)
「おてんば」という語をどうとらえ、どう記述するか。辞書編集者にとって難しいことばだと思います。