ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

新明解の副詞:大層

新明解国語辞典の「大層」の項です。

 

  大層 (副)-な (予測に反し)度が過ぎていると思われる様子。「-お喜びのご様子です/-な にぎわいだこと/若僧のくせに-な口をきく」 ⇒ごたいそう   新明解

 

用例の一つ目、「大層お喜びのご様子です」で「大層」は「お喜びのご様子です」にどんな意味を加えているのでしょうか。

語釈の「(予測に反し)度が過ぎていると思われる様子」でしょうか。

「お喜びのご様子」と言っているのですから、話し手はこの喜んでいる人より社会的立場が下のはずです。その話し手は「あんなに喜ぶとは思わなかった。あの喜びかたは度が過ぎている」と思っている、ということを「大層」が表しているのでしょうか。

どう考えても、私の語感とは全く違います。

この例では、たんに「大変・非常に」のような、程度が強いことを言っているだけのように思うのですが。

で、「大変」と「大層」の違いは何か、と考えることになります。

 

  副〔あらたまって、また感情をこめて〕ひじょうに。たいへん。「-お世話になりました」  三国

  副 程度や数量などが甚だしいさまを表す。非常に。丁寧な改まった感じを伴う。[例]彼女は大層疲れた様子だった/それは夏の大層暑い日でした/大層大勢の方が見えました。  小学館日本語新

 

三省堂国語辞典小学館日本語新辞典は「大層」の特徴を「改まった」言い方だとします。基本的に、「大変/大層」の違いを文体的な違いと捉えることには賛成です。

三国はそれに加えて、「感情をこめて」と言い、小学館日本語新は「丁寧な」と言っています。私は、これらの点については賛成できません。

「大変/大層 お世話になりました」で、「感情の込め方」に違いは感じられませんし、「彼女は大層疲れた様子だった」に特に丁寧さを感じないからです。「大変」のほうが話しことばで、日常語だな、と思うくらいです。

 

新明解に話を戻すと、新明解の問題点の一つは、「大層」の形容動詞としての用法と、副詞としての用法を分けていないことにあるのではないかと考えられます。

三国は、上に引用した副詞の用法の前に、形容動詞の用法をのせています。

 

  (形動ダ)1大げさに思われるようす。「-な言い方をする・-にきこえるが」→ごたいそう。2おどろくほどであるようす。「-な人気・-なお屋敷」  三国

 

新明解の「(予測に反し)度が過ぎていると思われる様子」はこちらの用法でしょう。それを、新明解は分けていません。

新明解の品詞の指示は、「大層 (副)-な」とあるように、副詞であり、かつ「-な」という形を持つもの、となっています。その用法はまとめて解説され、用例も分けられていません。

 

この扱い方の問題点は、新明解が「形容動詞」という品詞を基本的に認めていない、という方針に関わっています。

新明解が「形容動詞」を認めていないらしいことは、「編集方針 細則」の「品詞などの指示」を見るとわかります。

 

  29名詞・副詞のうち、サ変動詞またはいわゆる形容動詞としての用法を併せ有するものは次のごとく扱った。

    -する 名詞のほかにサ変動詞の用法

    -な -に 名詞のほかに連体形に「な」、連用形に「に」の用法

    -な  右のうち、一般には連体形の用法だけのもの

    (以下略)  新明解

 

一般の「学校文法」では、「形容動詞」は「名詞」「副詞」とは違う品詞ですが、ここでは「名詞・副詞のうち」とあるように、その中のあるものが「いわゆる形容動詞としての用法」を「併せ有するもの」と見なされているだけです。「用法」にすぎず、一つの「品詞」ではないのですね。

それにしても、「用法」として分けておくことはできなかったのでしょうか。

 

明鏡は「形容動詞」という品詞を認めるのですが、用法の分け方は三国とは違っています。

 

  (形動)1(副)程度がはなはだしいさま。「朝から━な人出だ」「今朝は━寒い」
    2規模が大きいさま。りっぱなさま。「━な祝賀会を開く」
    3おおげさなさま。「━なことを言う」 

 

全体としては「形動」なのですが、1の用法に関しては「副」でもあり、「朝から━な人出だ」という形容動詞の例と、「今朝は大層寒い」という副詞の用例が挙げられています。

三国と明鏡と、どちらの取り扱い方がよりよいと考えるかは、もう少し考えてみたいと思います。