ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

岩波国語辞典と「形容動詞」(2)

前回の記事からの続きです。

 

岩波国語辞典の「語類概説」の「形容動詞」から、少し長く引用します。

 

  形容動詞の語幹は、しばしば名詞と紛れる。学者によってはこの品詞を認めないが、
この辞典は通説に従って、語類を〔ダナ〕で表示した。表示が〔名・ダナ〕の場合には
名詞・形容動詞両用なので、連体修飾には当然「-の」も「-な」も現れる。ただし
次の基準に合うものだけを形容動詞と認めた。口語で言えば、
   (1)「-に」の形が広く(「なる」「する」の類と結合して結果を表す格助詞の
   「に」だけでなく)動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをすること。
   (2) 連体修飾語となるときの形が「-な」であること。
   (3)「だろ・だっ・で・に・だ・な・なら」の活用語尾が、原則としてそろって
    いること、
などである。

  「有能な男」という言い方がある。しかし「有能に」の形は右の基準(1)に合わない
から、この辞典では「有能だ」という形容動詞は認めず、「有能」を名詞とした。
ただし、「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕を用いた。
  「清らか(だ)」「きれい(だ)」などは右の三基準に合うから形容動詞であり、前述の
通り〔ダナ〕と注記した。
  「健康」「自由」などには、名詞の場合と形容動詞の場合とがある。形容動詞は
意味上、事物のありさまを表す言葉であるから、そのうちのあるものは、「健康を
保つ」のように、そのありさまの呼び名として名詞になる。これらは〔名・ダナ〕と
注記した。
  また元来は名詞であった「達者」「じょうず」「大幅」などのように、それが指す
物の特色的な性質を取り出して使い、形容動詞に転じた例もある。こうした言葉には
「大幅の値上げ」のように「-の」の形もある。
  「特別」は副詞として使い、また「特別に」の形でも同様に使う。これが連体修飾語
となる時には「特別の人」「特別な人」どちらの形もある。しかも形容動詞の活用形の
すべてがそろう。ゆえに前記三基準に照らして「特別だ」は形容動詞と言えるから、
「とくべつ」という見出しには〔ダナノ・副〕と注記した。
  「主観的」など「-的」の形をした言葉も、この辞典では〔ダナ〕と注記した。
「主観的だ」などを形容動詞と認めたわけである。この類の単語には次の特色がある。
それは「主観的な見解」のほかに「主観的見解」ともいうことで分かる通り、語幹が
連体詞的な用法も持つ点である。この用法は「特別立法」「きれいどころ」などに
見られるように、「的」を含まない形容動詞の一部にも認められる。
  以上の通りこの辞典では、形容動詞かと思われる場合には、かなり細かい検討を
 した。そこで〔名ノナ〕〔ダナ〕〔ダナノ〕のような注記の区別が生じたわけである。
  なお文語では形容動詞である「堂々たり」の類は、口語では「堂々と」「堂々たる」
の形でしか使わない。これらは〔ト タル〕と注記した。「切に」「切なる」や「単に」
「単なる」の「切」「単」なども、品詞論的には同類である。
  国語では形容詞があまり豊かでなかった。その不足を補うために発達した品詞が、
 形容動詞である。したがってその文法的性質は、形容詞とかなりよく似ている。
   (見やすさのため一部改行を加えた:引用者)
          『岩波国語辞典 第八版』「語類概説 形容動詞」[p.1701]

 

重要なところを少しずつ見ていきます。

 

A 形容動詞の語幹は、しばしば名詞と紛れる。学者によってはこの品詞を認めないが、
  この辞典は通説に従って、語類を〔ダナ〕で表示した。

 

形容動詞と名詞をどう分けるかが問題です。形容動詞否定論者の多くは、名詞と同じだとします。

「学者によってはこの品詞を認めない」という学者とは、岩波の編者である水谷静夫の「私の師匠である時枝誠記」と、水谷自身がその代表です。(広辞苑新村出もその一人です。)

しかし、岩波国語辞典は「通説に従って」形容動詞という品詞を立てます。立てますが、品詞名の略称を他の辞書のように「形動」とはせず、〔ダナ〕で表示します。

 

名詞と形容動詞の両方の用法を持つ語(安静・安全・粋・異質・異常・違法などたくさんある)は、

 

B 表示が〔名・ダナ〕の場合には名詞・形容動詞両用なので、連体修飾には当然
 「-の」も「-な」も現れる。

 

となります。

 

ここまでは通説と同じと言っていいでしょう。問題は次のところです。

 

C ただし次の基準に合うものだけを形容動詞と認めた。口語で言えば、

  (1)「-に」の形が広く(「なる」「する」の類と結合して結果を表す格助詞の
  「に」だけでなく)動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをすること。

 

「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをする」とはどういうことか。「広く」とは。

カッコの中の注記が重要で、「格助詞の「に」だけでなく」ということですね。

「なる」「する」は、名詞にも接続します。「~になる」という形があっても、それが「名詞+格助詞+なる」なのか、「形容動詞-に なる」なのかをどう判別するか。そこが問題になります。

例えば、

 

  病気になる  貧乏になる  元気になる  きれいになる

 

これらの中で、格助詞の「に」はどれか、形容動詞連用形の「に」はどれでしょうか。

 

学校文法をはじめ、一般的な文法では「名詞を連体修飾する形が「-な」になるのが形容動詞、「-の」になるのが名詞」と言われます。上の引用の「基準」の(2)ですね。

普通に考えて、「病気」は「病気な母」とは言わない(「病気の母」)ので、名詞と考えられ、「病気になる」の「に」は格助詞です。(「病気な人」という言い方がありますが、この場合は本当の病気というより、「変な人、おかしい人」の意味で使われるので別の用法です。)

また、「きれい」は「きれいな姉」で、「きれいの姉」とは言わないので、名詞ではなく、形容動詞です。「きれいに」は、形容動詞「きれいだ」の連用形と考えられます。

 

「病気」と「きれい」の間の二つ、「貧乏」と「元気」は、「貧乏な私・貧乏の原因」「元気な父・元気のもと」のように「-な/の」どちらの形も普通にあり得ます。つまり、形容動詞・名詞の両方の用法があります。

では、「貧乏になる・元気になる」はどう考えたらいいのか。「名詞+に」か、「形容動詞の連用形」か。ある状態を表すような名詞の場合、形容動詞と意味で区別することは難しいでしょう。

 

ここで、(1)の「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをする」ということを考えます。「広く」とはどういうことか。

「貧乏」の、「貧乏になる(する)」以外の「~に」にはどういうものがあるでしょうか。

  貧乏に 耐える・慣れる・おちいる・甘んじる・あえぐ・苦しむ(NINJAL-LWP for TWCから)

これらを見てすぐ気づくのは、これらの動詞は「名詞+に」をとる動詞だということです。
例えば、

  痛みに 耐える・慣れる・苦しむ   罠におちいる  最下位に甘んじる

などのように、動詞として「名詞+に(格助詞)」をとる動詞です。
これらと同じように、上の「貧乏に耐える」などは、「名詞+格助詞」で、この「貧乏」は「耐える」の対象です。「副詞と同様の連用修飾の働きをする」ものではありません。

 

それに対して、「元気に」の例を見ると、

  元気に 育つ・過ごす・遊ぶ・生きる・がんばる・働く・暮らす

などがあり、これらの動詞は「対象+に」を補語としてとる動詞ではありません。
そして、「元気に」は、「育つ」「遊ぶ」などの動詞が表す行動の様子を示しています。

つまり、この「元気に」は「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをする」ものと言えます。

そこで、岩波は

 

  げんき【元気】〘名・ダナ〙   岩波 

 

と、「元気」を「形容動詞」であると認めます。

 

さきほど「「きれいな姉」で、「きれいの姉」とは言わない」として形容動詞だとした「きれい」はどうでしょうか。

「きれいに描く・撮る・仕上げる・咲く」など、「広く」連用修飾に使えるので、この点でも形容動詞としての基準を満たしていると言えます。

 

一方、「貧乏」は次の「有能」と同じ語類になります。

 

D 「有能な男」という言い方がある。しかし「有能に」の形は右の基準(1)に合わない
  から、この辞典では「有能だ」という形容動詞は認めず、「有能」を名詞とした。
  ただし、「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕を 
  用いた。

 

「有能に」は、「なる・する」以外には、「見える」がある以外は、「こなす・調整する・語る・動き回る」などの例がごくわずかあるだけです。「元気に」ほど広く(多く)は使えません。(「見える」については、あとで触れる予定です。)

それを岩波は、

 

  「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕

 

という形で示します。「貧乏」も同様です。

 

  ゆうのう【有能】〘名ノナ〙才能・能力があること。無能。「―な人材」
  びんぼう【貧乏】〘名ノナ・ス自〙収入・財産が少なくて、生活が苦しいこと。 岩波

 

この「前述した〔名ノナ〕」というのは、「類語概説」の「形容動詞」の解説の前に名詞の解説があり、その中で、

 

  名詞でありながら連体修飾に「-な」の形が使えるものもかなりある。
  これには〔名ノナ〕の表示をした。 (「語類概説 名詞・代名詞」)

 

とあることを指します。(しかし、ここで「名詞でありながら」と簡単に言っていいのかという問題があります。これもまた後で議論する予定です。)

 

E 「清らか(だ)」「きれい(だ)」などは右の三基準に合うから形容動詞であり、前述の
  通り〔ダナ〕と注記した。

F 「健康」「自由」などには、名詞の場合と形容動詞の場合とがある。形容動詞は
  意味上、事物のありさまを表す言葉であるから、そのうちのあるものは、「健康を
  保つ」のように、そのありさまの呼び名として名詞になる。これらは〔名・ダナ〕
  と注記した。

 

「きれい」が形容動詞〔ダナ〕であること、「元気」が「健康」「自由」などと同様に〔名・ダナ〕であることは、以上の解説から問題がないでしょう。  

 

そのあとの、「達者」「特別」「主観的」の話は飛ばすことにして、

 

G 以上の通りこの辞典では、形容動詞かと思われる場合には、かなり細かい検討をし
  た。そこで〔名ノナ〕〔ダナ〕〔ダナノ〕のような注記の区別が生じたわけである。
  
ということばでまとめられます。

 

岩波の考え方の紹介だけで十分疲れてしまったので、その内容の検討はまた次回に。