北東・東北:岩波国語辞典の項目選択
6年前に、岩波七版について「2015-09-27岩波:北東」という記事を書きました。
岩波国語辞典についての話です。
「北東」が項目としてありません。「東北」も。
方角はいらないという判断です。そうかなあ。
驚いたのは、「南北」もないこと。「南北問題」も「東西南北」もこの辞書ではわからない。
「東西」はあります。この辺の判断の根拠やいかに。
「東西東西」「東西屋」という複合語が追い込み項目としてあります。これらを書きたかったからでしょうか。
それより、「南北」や「北東」のほうが基本的で、重要な言葉だと思うのですが。(以下略)
この問題をもう一度考えてみます。
まず、国語辞典に収録する「語」の範囲についての考え方を、岩波の「語構成概説」から引用します。ちょっと長いですが。
どれほど詳しい辞典でも、その対象とする言語に現れる語をすべて見出しに立てているものはない。いわゆる新語を別問題にするとしても、言語表現に託する概念の数は無限に多いと言ってよい。その一つ一つにまったく別の語を使うのでは記憶力の限界を越えてしまう。例えば、ここで使った「言語表現」「記憶力」という語は、この辞典の見出しに立てていない。それでも、「言語」と「表現」と、そして「記憶」と「力」との意味を知っていれば、それらの意味は推し測れるであろう。こうしてわれわれは、限りある基本的な語をもとにして、はるかに多様な語を構成している。中には、その場の必要で臨時に作りそのまま使い捨てにする語まである。だから辞書がすべての語を取り上げることはできず、またそうする必要もない。
この辞典もこうした事情を考え、要素的な語によって割合たやすく分かるような語はかなり省いてある。したがって辞典を十分に利用するには、語構成の大要を心得ている方がいい。例えば「出演料」も「借用料」も動詞的意味の漢語名詞が「料」と結合しているが、前者が「出演者に払う料金」なのに後者は「借用者が払う料金」である。また、「管理人」が「管理する人」であっても、「使用人」は「使われる人」であり、「使用者」は「使う側の人」である。
このように形式上同じ構成と見えながら意味的特徴の異なるものが多いから、その点に注意して語構成の概略を述べよう。 岩波八版「語構成概説」p.1696(前の版も同じ)
昔、ここを読んで、なるほどなあ、と思ったのですが、では、実際に岩波がどのような語を「要素的な語によって割合たやすく分かるような語」と見なし、「かなり省いてある」のかは考えませんでした。
6年前に問題にした語を例にして考えてみます。
まず、「北東」から。
岩波初版の「はじめに」は次のように述べています。
この辞書は、現代の、話し、聞き、読み、書く上で必要な語を収め、それらの意味・用法を明らかにしようとした。携帯用であるため、採録の総語数は五万七千余に過ぎないが、どういう語を採録するかについては、厳密な検討を加えたので、現代人の生活に必要なものはほとんど収めてあるはずである。ただし、固有名詞は除いた。(以下略) 岩波初版「はじめに」から(引用は七版から)
「北東」が、ここで言う「現代人の生活に必要なもの」でないとは、とうてい言えないでしょう。(web検索でも、「書きことばコーパス」でもかなりの数があります。)
ではどうして項目として立てられていないのか。
おそらく、上の「語構成概説」の「要素的な語によって割合たやすく分かるような語」だと考えたからでしょう。
しかし、そうでしょうか。
「北」と「東」から、「北東」の意味がわかるものでしょうか。
「南北」は「南と北」ですが、「北東」は?
「北と東」ではありませんし、「北の東」でもありません。
【北東】〔風向などで〕北と東との中間にあたる方角。 新明解
どう考えても国語辞典の項目とすべき語だと思うのですが。
「東北」も岩波にはありません。「東北地方」の略語としてとらないのは、固有名詞だからでしょう。
それはまだわかるとしても、方角を表す言葉として「東北」は要るのではないでしょうか。
そして、「北東」と「東北」という二つの語の違いについても、国語辞典として何か述べておく必要があると思います。(違いがないなら、「同じ」と言えばいいのです。)
【東北】1 東と北との中間にあたる方角。〔風向などでは、北東〕ひがしきた。
2「東北地方」の略。「-大学」
3 中国の東北部の地方。もとの、満州。 新明解
新明解は、中国のことまで書いています。
「北東」との違いについては「〔風向などでは、北東〕」としています。古くからある地名などでは「東北」なのですね。South-East Asiaは「東南アジア」ですし。東西が南北より前に来ます。
ところが、反対の方角の場合は「西南戦争」と「南西諸島」というのがあって、どう考えればいいのか面倒なようです。(net上では色々な議論がなされています。新明解は〔風向などでは、南西〕としています。)
とりあえず、国語辞典としては「東北:北東」「西南:南西」など、二つの言い方があるのだということだけは示しておくべきでしょう。岩波のように、どちらも載せないのはよろしくないでしょう。「現代人の生活に必要な」語ですから。
「東北地方」という地方名についても一言。
岩波は「固有名詞は除いた」(上記引用「はじめに」から)ので、「東北」以外でも、「北海道・中国・四国・九州」などはありません。
しかし、関東と関西はあります。
かんとう【関東】東京およびその近県一帯の地域。⇔関西。「―武士」▽関の東の地の意。
かんさい【関西】京都・大阪およびその近県一帯の地域。⇔関東。「―弁」▽関の西の地の意。 岩波
これは、「関東地方」「関西地方」という現在の地方名の省略ではなく、漠然とその「一帯の地域」を示すと考えればいいのでしょう。
そう思って納得したのですが、さらにあれこれ見ていくと、なぜか「東海(地方)」がありました。
とうかい【東海】①東の方の海。「―の君子国」(日本のこと)
②中部地方の太平洋岸。普通、静岡県・愛知県・三重県と岐阜県の一部を指す。東海地方。 岩波
この②は「東海地方」の省略ですね。つまり、固有名詞。
「中部地方の太平洋岸」とあるので、「中部」を引いてみました。
ちゅうぶ【中部】(特に地理的位置が)中央の部分。「―地方」 岩波
この用例の「中部地方」は、固有名詞としての「中部地方」(「東海」の語釈での使い方と同じ)なのか、それとも一般的な言い方として、例えば「沖縄県の中部地方」のような言い方のつもりなのか。(この語釈からはそちらの意味にとれそうです。)
用例としてあまりいい例とは言えないような。
我ながら、ずいぶん細かいことをごちゃごちゃと書いているとは思います。
私の問題意識は、この程度の「固有名詞」は国語辞典にあったほうがいいと思うんだけどなあ、というところにあります。
例えば、「中国」ということばが、国としての中華人民共和国の略称と、「中国地方」の略称でもあるという曖昧さがあることは、国語辞典として示しておくべきことだと考えるのです。(岩波に「中国」という項目はありません。)
しかし、いったん固有名詞を入れ始めると、では「東京」は国語辞典に載せないのか、「イギリス」は、という議論になります。どこまで入れるべきか、筋の通った論は立てにくいでしょう。(これらの語を載せている小型国語辞典は?)
岩波の漢字項目「東」(とう)には、
②「東京」の略。「東大・東名」 岩波
という説明があります。
では、「東名」の「名」とは、と漢字項目「名」(めい)を見ても、「名古屋」の略であることは書いてありません。これも、どこまで書くべきか、です。
岩波は「固有名詞は除いた」とし、方針としてはすっきりしていますが、前回の記事の「文科相」があって「文科省」がないということ、なぜか「警視庁」があること、今回の地方名のことなど、問題があるように思います。
他の辞書は、それぞれの判断で、ある程度の固有名詞を入れているようです。上の日本の地方名や、外国名など。(新明解は付録に「世界の国名一覧」というものがあります。)
結局、その辞書を使う人がどのような語があることを期待しているか、を編集者がどう推測しているか、にかかっているのでしょう。
一般の使用者は、どういう評価をしているのでしょうか。