ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

明鏡国語辞典と「形容動詞」

少し前に、国語辞典が「形容動詞」をどう扱っているかを何回か書きました。

  2021-09-18 新明解の副詞:くたくた・ぐたぐた(の前半)
  2021-09-20 新明解と形容動詞
  2021-09-25 新明解と形容動詞:「-な-に」/「-な」
  2021-10-01 岩波国語辞典と形容動詞
  2021-10-02 岩波国語辞典と形容動詞(2)
  2021-10-08 岩波国語辞典と形容動詞(3)

その続きとして、今回は明鏡国語辞典について書きます。

 

まず、明鏡の「品詞解説」から形容動詞について述べているところを。

 

  明鏡国語辞典 第三版(2021)「品詞解説」から

    原則として、語尾に「-な、-に、-だ」がつき、状態的な意味を表すもの
   を形容動詞とする。「健康だ」は、意味が大きく変わらずに、「健康を損なう」
   のように、語幹相当部分が格助詞を伴って用いられるし、「特別だ」も、「特別、
   何も言うことはない」のように、語幹相当部分が、直接、連用修飾したりする。
   このようなものは、名詞や副詞としての用法も併せ持つものとして、〔名・形動〕
   や〔副・形動〕などと示す。(略)

    また、「こわもて」「あつあつ」などのように、状態的な意味を表しながらも、
   連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形をとり、他は形容動詞の活用形を
   持つものは、〔名・形動〕や〔形動〕とする。   (p.1818)
  
引用の前半は形容動詞とする語の条件で、「語尾に「-な、-に、-だ」がつき、「状態的な意味を表すもの」です。

ここは問題ありませんが、後半の、「「-な」ではなく、「-の」の形を」とるもの(普通は名詞と見なされる)も形容動詞としているところが一般の品詞分類(「学校文法」)と違います。

つまり、岩波と違って、明鏡は「形容動詞」の範囲が広い、ということです。

その例として挙げられているのが、「こわもて」と「あつあつ」の2語です。

 

  こわもて 名・形動 こわい顔つき。また、(こわい顔をして)強硬な態度で相手

           にのぞむこと。「━に意見をする」▽「こわおもて」の転。

  あつあつ 名・形動1 料理などができたてで熱いこと。「━のうちに召し上がれ」 

           2 恋人・夫婦などが熱愛していること。「━の仲」  明鏡

 

それぞれ、名詞であり形容動詞でもある、としています。

しかし、この品詞表示だと、学校文法を習った一般の利用者は、「形動」なのだから「こわもてな」という形があるのだと思うのが普通でしょう。「あつあつ」も、「あつあつの」という形が用例にあるにせよ、「あつあつな」という形も言えるのだろうと思うでしょう。

一般の利用者は、付録の「品詞解説」などを丁寧に読むわけもないので、明鏡の「形容動詞」の範囲が「学校文法」とは違うことを知る可能性はほとんどありません。

そのへんのことは、明鏡の編集者はどう考えているのでしょうか。

 

さて、この2語を「形容動詞」とする根拠は、上に述べた2つのことです。

まず「状態的な意味を表し」ということです。ここが形容動詞と共通するわけです。ただし、「状態的な意味」とはどういうものを指すのか、それをはっきり定義できるのかが問題です。

例えば、「空(から)」という語は、「空の財布」のように「状態的な意味」を表すと言えると思いますが、明鏡では「名詞」とされています。「一流(の企業)」も「名詞」です。「大型(のバス)」も「形動」とはされません。

これらの語は、修飾される名詞の状態を形容している、と言えるでしょう。意味的には、形容動詞としての資格がありそうです。これらを形容動詞としないのはなぜなのか。

「状態的な意味」を表す、ということで、「形動」とするかどうかを決めるのは難しそうです。

 

次の条件、「連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形をとり、他は形容動詞の活用形を持つ」というところについて考えてみます。「連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形」をとる、というのはつまり名詞と同じですね。

次の部分、「他は形容動詞の活用形を持つ」というのはどういうことか。

巻末の「活用表」から、「形容動詞活用表」と、「名詞+だ」の「だ」、つまり「断定の助動詞」の活用を見てみます。

 

  形容動詞活用表

    語例  語幹  未然形 連用形    終止形 連体形 仮定形 命令形
   静かだ しずか  だろ  だっ/で/に  だ   な  なら   〇 

  主要助動詞活用表から「断定」

    語   未然形 連用形  終止形 連体形 仮定形 命令形
    だ  (だろ) だっ/で  だ  (な) なら    〇

 

形容動詞と断定の「だ」との大きな違いは、連用形の「に」があるかどうかということです。

しかし、「連用形の「に」」というのは、前に「2021-10-02 岩波国語辞典と形容動詞(2)」の「c」のところで多少詳しく述べたように、いろいろと難しい問題を含んでいます。

そこの議論がないので、たんに「形容動詞の活用形を持つ」というだけでは、「名詞+だ」との違いがわかりません。上に例として出した名詞も、「空になる・一流に育てる・大型にする」など、形の上では「に」の形にもなるからです。

これらは、「形動」とされる「こわもて・あつあつ」とは活用形の点でも違いがあるのでしょうか。

この「形容動詞の活用形」の問題は、もっと詳しく説明しておく必要があると思います。

 

一般には名詞とされる語を、明鏡が「名・形動」または「形動」としている、ことの根拠を検討してきました。

さて、実際にどのような語を「名・形動」としているのかを見ましょう。いくつか探してみました。

 

  明鏡で「名・形動」とされ、岩波・新明解では「名詞」のもの

   朝飯前 汗みどろ 厚手 一律 インスタント 永遠 永久
   大荒れ 多め 親思い おんぼろ
   がらあき 巨額 高速 好評 極秘 極貧 
   至近 時代遅れ ジャンボ 縦横 主流 正規 千差万別

 

このような語です。これらを「名・形動」として「名詞」から区別することの意義は何でしょうか。

「状態的な意味」を表す、というだけなら、名詞の中にはそのような意味を表すものがある、としておけばいいだけの話です。なぜ、それらの語を名詞と分ける必要があるのか。何か、文法的な違い、用法の違いがあるのでしょうか。

言い換えると、そう分けることによって、日本語の中にある法則性、今まで気づかれなかった何かが見えてくるのか、ということです。おそらく、明鏡の編集者はそのへんのことを考えてこのような処置をしているのだろうと思います。

前に見た岩波の議論は、「連用形の「に」」の問題を重視することによって、大きく「形容動詞」としてくくられてきたものの中の差異を明らかにしようとしていました。

それに対して、明鏡の上のような処置は何を明らかにしようとしているのか。そこのところを、もっとはっきり述べてほしいと思うのですが、どうでしょうか。