前回の続きです。
いわゆる「形容動詞」を国語辞典がどう扱っているか。新明解・岩波・明鏡の三冊を比較します。(参考として、通説に従っていると思われる三国も並べます。)
前回の比較表から、最初の5語を。
新明解 岩波 明鏡 三国
アカデミック ーな ダナノ 形動 形動ダ
悪質 ーなーに 名ノナ 名・形動 名・形動ダ
悪趣味 ーな 名ノナ 名・形動 名・形動ダ
悪平等 ーなーに 名・形動 名・形動ダ
あけすけ ーなーに ダナノ 形動 形動ダ
〇「アカデミック」
新明解は「-な」とします。連用形「-に」の用法はない、という判断です。
岩波は、「ダナ」つまり形容動詞だとしています。「「-に」の形が広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをしている」という判断です。(「ノ」は連体修飾で「アカデミックの」という形がある、ということです。)
新明解と岩波が連用形「-に」の形について対立しています。
明鏡は「形動」としています。ただし、明鏡の「形動」は、形容動詞以外の、他の辞書が名詞とするものも含んでいますし、「-に」の用法に注意を払っているわけではありません。
さて、「-に」の形を「書きことばコーパス(NINJAL-LWP for TWC)」で見てみましょう。
「助詞+動詞」で「に」を見ると、
アカデミックに なる・残る・考える・やる・学ぶ・過ぎる・論じる・勉強する・かたよる
などの例が並んでいます。(「いる・いく」もありますが、補助動詞の用法なので除きます。)
この中で、動詞が要求する補語の可能性がある「なる・残る・過ぎる・かたよる」など(つまり、「-に」は形容動詞の活用形ではなく、格助詞)を別として、「考える・学ぶ・論じる・勉強する」などは「(「アカデミックに」が)副詞と同様の連用修飾の働きをしている」と言えそうなので、「-に」の形を認めていいようです。
つまり、新明解の判断に問題がありそうです。
〇「悪質」
新明解は「-な-に」です。「-に」の用法を認めています。
岩波は「名ノナ」で、名詞だが「-な」の形がある、とします。「-に」は認めていません。
ここでも新明解と岩波は対立しています。「アカデミック」とは正反対の判断です。
書きことばコーパスを見ると、「悪質に」は、「なる」などを別にして、「利用する」が4例、「釣り上げる」が1例のみで、「-に」の連用修飾は限られているようです。(なお、下の「付記」を参照してください。)
前に新明解についての話(「2021-09-25 新明解と形容動詞:「-な-に」/「-な」」)で、
(略)これらの「-に」は「編集方針」でいう「連用形「に」の用法」と見なされ
ないのでしょうか。もしそうなら、なぜそう考えるのかという議論(説明)が
必要です。
と書いたのですが、新明解が「-に」と認定するのはどのような「-に」なのか、どこにも説明がないので困ります。
最初の「アカデミック」では「-に」を認めず、「悪質」では「-に」を認める、その基準は何なのでしょうか。
〇「悪趣味」
新明解は「-な」、岩波は「名ノナ」で、意見が一致したようです。「-に」はないと。
新明解は、「-な」の形があっても、基本的にはすべて名詞ですから、岩波の「名」と同じです。
明鏡は当然「形動」です。「原則として、語尾に「-な、-に、-だ」がつき」とはしていますが、「-に」の用法にはそれほど注意を払っていないのでしょう。
三国は文法の解説がないので、どういう基準で「形動ダ」という品詞認定をするのかわかりませんが、「-な」の形があれば形容動詞と認めるのでしょう。
〇「悪平等」
これは岩波が名詞としています。他はみな形容動詞扱いです。
書きことばコーパスを見てみると、「-な」は例がなく、「-に」は「なる・陥る・つながる・走る」などを除くと、「与える」の1例のみです。
この結果からすると、名詞とするのがいいようですが、でもまあ、三冊の国語辞典が形容動詞と認めているので、yahooでも検索してみます。
「-な」は、「悪平等な 仕事・仕組み・制度・日本の税金・税制・システム」などそれなりに例があります。「-に」は、なかなかいい例が見つかりません。
これを見て、例が少ないから名詞とするか、多少あるから形容動詞とするか、そこは編集者の判断によると思います。私は、形容動詞としてもいいかな、と思います。
〇「あけすけ」
これは皆さん形容動詞としています。岩波はそれに加えて「-の」の連体修飾も認めています。
「あけすけの」という形は、例は少ないのですが、あるようです。(「悪平等な」のほうが多いような…)
以上、各辞書の品詞判定の違いについて、5つの語を見てみました。
名詞との区別と、新明解、岩波が「-に」の形をどう扱うかという点が中心になります。
どういう品詞分類が日本語の構造をより明らかにするのか、どういう提示のしかたが辞典の利用者にとってわかりやすいか、考えていく必要があります。
付記:
「悪質に」には、「悪質になる」以外に、「悪質に 思う・見える・感じる・見せる」の用例もあるので、これらの述語の特徴的な性質について少し述べておきます。
前に、「2021-10-02 岩波国語辞典と形容動詞(2)」の「D」で、「有能に」を連用修飾としてとる動詞のことを述べた時に、
「有能に」は、「なる・する」以外には、「見える」がある以外は、「こなす・
調整する・語る・動き回る」などの例がごくわずかあるだけです。「元気に」ほど
広く(多く)は使えません。(「見える」については、あとで触れる予定です。)
と書いたまま、「見える」などについて述べる機会がありませんでした。
この「見える・思う・感じる」などは、一般の「-に」の補語をとる動詞(「に 耐える・慣れる・甘んじる・つながる・近づく・乗る」など、たくさんある)とは違った性質があります。
「見える」の基本的な「補語の型」は、
(人ニ)ものガ 見える(「山が見える」「(あなたには)あの星が見えますか」)
ですが、「悪質に見える」「有能に見える」の場合は、
彼に(は) そのことが 悪質に 見える
母親に(は) 息子が 有能に 見える
のようなものと考えられます。(この「見える」は視覚能力ではなく、「~と思われる」の意味です。)
上の例で、「有能に」を単なる連用修飾語と見なして、文の骨格を「母親に 息子が 見える」と考えてしまうと、文の意味として成り立ちません。(別の意味になってしまいます)
これを次のように考えることもできます。意味を表す構造を次のように考えるのです。
母親に [息子が 有能だ] 見える
この「だ」が「に」に置き換えられて、上の文が実際の形として使われるのだ、と。
(「有能」が、「母親」に関わるのでなく、「息子」のことだという関係もはっきり示せます。)
これは、上の文を説明するための一つの仮説ですが、この考え方は他の「思う・感じる」などにも適用できるものです。そうすることによって、連用形「-に」の用法を分類するときの一つの動詞のグループを作ることができます。
この類の動詞は、多くの形容動詞の「-に」の形を受けることができるので、岩波の言う「広く連用修飾の働きをする」かどうかを検討する場合には除いたほうがいいと思われます。
以上、説明が下手でわかりにくかったかもしれませんが、「見える・思う・感じる」などの動詞は、「-に」の連用修飾の話では特別扱いするということを述べました。