ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

なにげない

形容詞「なにげない」の用法について。形容詞の連用形(「なにげなく」)は、副詞と同じように使われます。
 

まず明鏡国語辞典から。


  1はっきりした考えや深い意図もなくふるまうさま。「━風を装う」「━一言が
    胸に突きささる」「━・く窓外に目をやる」 [注意]「何げなく」「何げな
    しに」を「何げに」と言うが、誤り。→助動詞「ない」の表現(3)
  2《連体形で》〔俗〕なんら変わったところのない意を表す。取りたてるほども
    ない。何ということもない。「━日常を描く」「━風景に安らぎを感じる」 
                              明鏡

 

明鏡は「はっきりした考えや深い意図もなくふるまう」としています。

 

  1相手に隠していることなどが気付かれないように振る舞う様子だ。「生活は苦し
    かったらしいが、-さまを装っていた」
  2これといった意図はなく、なかば無意識に何かをする様子だ。「-言葉が相手の
    心を傷つけた/何気無く窓の外に目をやる」(以下略)   新明解

 

新明解は、意図がない場合と、「隠していること」がある場合の二つの用法をたてます。

 

     1特に何も意図しない。「何気なくふり向いた・-ひとこと」2なんとも思って
   いないかのようだ。さりげない。「-顔つきでたずねる」   三国

 

三国も「特に何も意図しない」場合と、「なんとも思っていないかのようだ」つまり、本当は何か意図がある場合に分けます。

しかし、その二つの用法のどちらであるかはどうやってわかるのでしょうか。文脈でしょうか。

 

岩波は「何気ない」という形容詞は認めず、「何気」という名詞として項目としています。

 

  なにげ【何気】『―(も)無い』これといった考えもない。深い考えもない。特に
    注意せず、関心を示さない。「なにげない風をよそおう」▽これの副詞的用法
    や「意外に」の意味で「何気に」と言うのは、一九八五年ごろからの誤用から
    広まった。「―に面白い」   岩波

 

用法解釈は明鏡と同じですね。「これといった考えもない」だけです。

 

明鏡・岩波と、新明解・三国で解釈が分かれています。

ただ、明鏡も岩波も、用例に「何気ない風を装う」という同じものをあげています。

これはつまり、「何か意図がある」場合の言い方ですね。その用法には注意を払っている。

それに対して、新明解と三国は「何気ない」自体に「意図がある」という解釈です。

 

しかし、ここで問題があります。新明解の例文は「何気ないさまを装っていた」ですが、「~さまを装っていた」というのは、明鏡・岩波の「~風を装う」と同じく、何かを隠す場合の言い方です。例えば、

  何も心配事はない/安心している(という)さまを装っていた

本当はそうでないわけです。

それなら、新明解の「何気ないさまを装っていた」の「何気ない」を、2の用法の「何も意図しない」と解釈しても、「何気ないさまを装っていた」全体で「意図を隠している」意味になります。

つまり、新明解の1の解釈は不要になってしまいます。「~さまを装う」以外の用例もあったほうがいいのでしょう。

 

一方、三国の例は「何気ない顔つきでたずねる」です。こちらは、

  何も心配事はない/安心している(という)顔つきでたずねる

これは本当にそう思っていると考えていいでしょう。(そうでない場合もありますが)

 

さて、わからなくなりました。

「何気ない」は、「特に何も考えていない」というだけの意味なのか、それとも「隠していることがあって」、でも「何とも思っていないかのように」振る舞う、という別の用法もはっきり持った語なのか。

後者の場合、どうやってそれがわかるのか。どちらだかはっきりしないのでは困ります。

 

私は、「~さま/ふう/態度/顔つき」などの様子・態度を表す語と共に使われるとき、それらを含めて全体として後者の意味になる、と考える。それ以外の場合は、もっと大きな文脈から判断する、というのがいいのじゃないかと思うのですが、もっとたくさんの例を検討してみないとわかりません。

 

少し前にとりあげた「さも」と似ていますね。こういう語はなかなか難しいです。