前回の「何気ない」を受けて、類義のことばを。
前回の記事で、三省堂国語辞典の「何気ない」の項を引用しました。
なにげない 1特に何も意図しない。「何気なくふり向いた・-ひとこと」
2なんとも思っていないかのようだ。さりげない。「-顔つきでたずねる」 三国
2の用法と類義のことばとして「さりげない」があげられています。「なんとも思っていないかのようだ」けれども、本当は「ある意図がある」という意味の言葉として、です。
明鏡国語辞典から。
さりげない はっきりした考えや深い意図もなくふるまうさま。また、そう見え
るようにふるまうさま。なにげない。「━会話」「━・く証言を聞き出す」
「さりげなく」を「さりげに」というのは誤り。 明鏡
この「そう見えるようにふるまう」という用法ですね。(本当はそうでない、のです。)
しかし、明鏡によれば、「さりげない」も「はっきりした考えや深い意図もなく」という意味を持つので、三国の「なにげない」の1の用法でも類義語になるはずです。2だけにあげているのはなぜでしょうか。「さりげない」には、「特に何も意図しない/深い意図もなく」という用法はないと考えている?
新明解国語辞典から。
接する人に必ずしもその真意がわからないような目立たない言動をする様子だ。
「-気配り/-調子で答える/さりげなく忠告する」[文法]助動詞「そうだ
(様態)」に続くときは「さり気なさそうだ」の形になる。 新明解
「その真意がわからないような」言動、つまり「隠している意図」があるという解釈です。
新明解は一つの用法だけとしています。「深い意図もなく」という用法はありません。
前回の「何気ない」の議論では、「隠している意図がある」という意味を「何気ない」自体が持っているか、という話でしたが、「さりげない」の場合は「深い意図がない」という意味を持っているかどうかが問題になるようです。
では、三省堂国語辞典は。「深い意図もなく」という用法はあるのでしょうか。
1〔本心をかくして〕なんとも思っていないかのようだ。「-声で問う」
2自然な感じだ。「-心づかい」 三国
「本心をかくして」が第一義ですが、2として「自然な感じだ」という語釈をしています。
(隠している)意図の有無という問題ではなく、どのような感じかというとらえ方です。
用例は「さりげない心づかい」です。「心づかい」の意図を「隠して」というよりは、それを感じさせないような「自然な感じ」でする、ということでしょう。
新明解の用例の「さりげない気配り」も同様の例だと思われます。
岩波は、
《連語》そんな様子が見えない。なにげない。「-おしゃれ」
▽「さりげなく」の意味で「さりげに」と言うのは誤用 岩波
「そんな様子が見えない」というのは、ずいぶんあっさりしたというか、あんまり詳しく考えた形跡のない語釈のように思われます。「そんな様子」とはどんな様子なのか。「さりげない調子/声」の「そんな様子」とは。
「なにげない」が類義語としてあげられています。「これといった考えもない」調子?
では、用例の「さりげないおしゃれ」とはどういう「おしゃれ」なのでしょうか。
いかにもおしゃれしました、というのではなく、三国の「自然な感じ」に近いのでしょうか。
しかし、明解の「さりげなく証言を聞き出す」、新明解の「さりげなく忠告する」などの微妙な心づかいは、岩波の「そんな様子が見えない」という言い方では表せないように思います。
「接する人に必ずしもその真意がわからないような目立たない言動をする様子」という、新明解の苦心の(?)語釈はやはりよく考えているなと思います。
さて、明鏡の「はっきりした考えや深い意図もなく」という解釈はどう考えたらいいでしょうか。
「さりげない会話」がその例だと思われますが、この解釈で合っているでしょうか。
書きことばコーパス「NINJAL-LWP for TWC」には、
店内では『○○さん、今日のお召し物、素敵ですね〜、とっても似合ってますよ〜』
ゆっくり、気持ちをこめて話しかける女性の店員の声がひびく。
『これはね・・・』お客様がうれしそうに答える。
さりげない会話が聞こえてくる。
聞いているこちらまで、心が“ほっ”と温かい気持ちになる。
という例がありました。この例では、「隠している意図」はないようですね。
「さりげない」は「何気ない」より「意図を隠す」用法に傾いていますが、「特に意図がない」という用法もあるように思います。
「何気ない/く」「さりげない/く」「さも」の三語は、動作者の様子をそのまま信じていいかどうかという点で関連ある言い方のようです。それぞれ、どう記述したらよいのか、辞書編集者の腕が試されるところです。(なんて他人事みたいに言ってちゃいけないんですが。)