ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(1)

ずいぶん前に「自動詞と他動詞」という記事を書きました。それぞれ短いものです。

  2015-08-30 自動詞・他動詞
  2015-09-14 自動詞・他動詞(2) 
  2015-09-21 自動詞・他動詞(3)

これをもう少し詳しく書いてみようと思います。

 

まずは基本的なことの確認から。いくつかの国語辞典が「自動詞・他動詞」をどう定義しているかを見ます。

 

  自動詞〔言〕その動作が直接に影響をおよぼす対象を持たない動詞。
    例、「走る・行く」など。(⇔他動詞)  

  他動詞〔言〕その動作が直接に影響をおよぼす対象を持つ動詞。
    例、書く・食べるなど。(⇔自動詞)            三国

 

三省堂国語辞典の説明はかんたんなものです。

これで利用者(例えば中学生)は納得するのでしょうか。「直接に影響をおよぼす」とはどういうことか。ちょっと考えてみれば、かんたんな話でないことは想像がつくでしょう。

実際に動詞を引いてみると、「かみつく」が自動詞だったり、「かなしむ」が他動詞だったりします。(どちらも三国の品詞情報です。)

「かみつく」が「直接に影響をおよぼす対象を持たない」、つまり、(犬に)かみつかれても直接影響を及ぼされていない、と言うのは無理があるでしょう。

また、「愛犬の死を悲しむ」行為は、「愛犬の死」に何か「直接に影響を及ぼす」のでしょうか。「月を見た」とき、月が直接に受けた影響とは。

 

明鏡国語辞典

 

  自動詞 その表す動作・作用が他に及ばないで、主体の動きや変化として
    述べられる動詞。「馬が走る」「皿が割れる」の「走る」「割れる」など
    の類。ふつうは目的語をとらない。⇔他動詞  

  他動詞 動詞の中で、その表す動作・作用が直接他に及ぶ意味をもつもの。
    動作・作用が及ぶ対象は格助詞「を」のついた目的語として表される。
    「小説を書く」「コーヒーを飲む」「ビルを建てる」の「書く」「飲む」
    「建てる」の類。⇔自動詞                    明鏡

 

基本的に三国と同じです。「動作・作用が他に及ばない」「主体の動きや変化」が自動詞。(明鏡のもっと詳しい自動詞・他動詞の論を「国語辞典の「自動詞・他動詞」(10)」で紹介しています。)

「動作・作用が直接他に及ぶ」「対象は格助詞「を」のついた目的語」が他動詞です。
(自動詞の「ふつうは目的語をとらない」の「ふつうは」がちょっと引っかかります。)

「作用が及ぶ」とはどういうことか、が問題ですが、例えば「月を見る」というとき、「見る」という作用が月に及んでいるんだ、と言われると、まあそうかなあ、という気もします。

では、「犬が人にかみつく」とき、「動作・作用が」及んでいない、と言えるでしょうか。こちらは難しいでしょう。(「かみつく」は明鏡でも自動詞とされています。)

やはり、これだけではうまくいかないだろうということは、三国と同じです。

「目的語」を引いてみます。

 

  目的語 文の成分の一つ。述語となる動詞の動作・作用が及ぶ人や事物を表す語。
    客語。▽「顔を洗う」の「顔を」、「弟を助ける」の「弟を」のように、現代語
    では多く格助詞「を」を伴う。   明鏡

 

「現代語では多く格助詞「を」を伴う」の「多く」がちょっと気になります。そうでないものがあるということでしょう。それはどんなものか。

 

次は新明解国語辞典

 

  自動詞 〔日本語の文法で〕その動作が動作主体自身の自律的な営みに関する
    ものであって、他に影響を及ぼす対象を持たない動詞。例、「道を歩く」の
    「歩く」、「雨が降る」の「降る」など。〔構文上、目的語が不要な動詞を
    意味する英語[=intransitive verb]の訳語〕⇔他動詞   

  他動詞 〔日本語の文法で〕その動作が動作主〔=文法上は一般に主語〕以外の
    ものを対象として行なわれ、それに変形・変質・位置の移動や(心理的な)
    摂取、知的・物質的な生産、現象の出現など、何らかの影響・変化を及ぼす
    動詞。例、「岩を砕く」の「砕く」、「白地を赤く染める」の「染める」、
    「石を投げる」の「投げる」、「パンを食べる」の「食べる」、「友人の死を
    悲しむ」の「悲しむ」、「ビルを建てる」の「建てる」、「未来社会を思い
    描く」の「思い描く」、「光を発する」の「発する」など。〔構文上目的語を
    必要とする動詞を意味する英語[=transitive verb]の訳語〕⇔自動詞  新明解

 

詳しく説明されていて、それはいいのですが、自動詞の「動作主体自身の自律的な営みに関するもの」というのは何が言いたいのかわかりません。

 

  自律 -する (自サ)自分で決めた規則に従う(従い、わがままを抑える)こと。
    「-的改革が求められる」⇔他律    新明解

 

他動詞の例にある「岩を砕く」「パンを食べる」「ビルを建てる」など、みな「自律的な営み」なんじゃないでしょうか。自動詞の「道を歩く」と比べて、何か違うのでしょうか。

「自律」の反対語は「他律」ですが、それが他動詞と関係あるわけでもない。

(まさか、「自立的な営み」の誤植だなんてことはないでしょうね。

  自立 自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。「―心が強い」   岩波

 「対象」となる語がなくても、文として成り立つ、とかなんとか。) 

そこを除けば、「他に影響を及ぼす対象を持たない動詞」で、三国と同じですね。

ただし、三国と違うのは、新明解は「かみつく」を他動詞としているところです。ここは上の自動詞・他動詞の定義にあっています。

しかし、他の動詞を調べてみると、例えば「殴り込む」や「話しかける」を自動詞としているんですね。殴り込まれたり、話しかけられたりしたら、やっぱり影響を受けるんじゃないでしょうか。それらについて、新明解の編者はどう考えているのか。

 

さて、他動詞は「何らかの影響・変化を及ぼす動詞」です。

その例の一つに、「友人の死を悲しむ」が挙げられています。これは、

  その動作が動作主以外のものを対象として行われ、それに 
   変形・変質・位置の移動や(心理的な)摂取、
   知的・物質的な生産、現象の出現など、
  何らかの影響・変化を及ぼす動詞。

という説明の中のどれに当たるのでしょうか。「(心理的な)摂取」というのがどういうことを指すのかわからないのですが、これでしょうか。

 

  摂取 -する (他サ)自分のからだを保つために栄養物などを取り入れること。
    〔精神や文化を高めるために他から何かを学ぶ意にも用いられる〕「-量」
                               新明解

 

何にせよ、「友人の死」が、それを悲しむことによって「何らかの影響・変化を」及ぼされる、とは考えにくいのですが。

 

岩波国語辞典を見ます。

岩波の辞典本文には「自動詞」「他動詞」という項目はありません。そもそも、「動詞」という項目すらありません。それらについては付録の「語類解説」というところに詳しく書いてありますが、一般の利用者は気がつかないのでは?

 

  動詞は自動詞と他動詞とに分けられるが、国語の場合この区別は文法的なもの
  というより意味上のものである。他動詞は動作・作用が他に影響を及ぼす意を
  積極的に表した動詞、自動詞はそういう意を積極的には表していない動詞である。
  他動詞は助詞「を」のついた文節によって修飾され得るが、逆にそういう連用
  修飾語を伴えば必ず他動詞かというと、そうとは限らない。「山を越える」
  「空を飛ぶ」「席を立つ」などの「越える」「飛ぶ」「たつ」は皆、自動詞
  である。これらの動作の影響が他に全く及んでいないわけではないが、表現の
  重点がそこになく、この助詞「を」は動作の基準点・通過点を示すものである
  から、これらは自動詞ということになる。「山を越える」と「山を越す」を
  比べてみるとよい。「越す」は他動詞である。   岩波「語類解説」から

 

自動詞と他動詞の区別は、「国語の場合この区別は文法的なものというより意味上のもの」だそうです。以上とりあげた辞典も、基本的にはこの考え方なんでしょうね。

  他動詞は動作・作用が他に影響を及ぼす意を積極的に表した動詞、自動詞はそう
  いう意を積極的には表していない動詞である。

「他に影響を及ぼす」とはどういうことか。岩波で「かみつく」は自動詞です。

 

  かみつく ①かんで取りつく。「足に―」②反抗的な意見や文句を言う。くって
    かかる。「議論の相手に―」   岩波

 

犬が「足に」かみつくとき、あるいは(もちろん、人が)「議論の相手に」かみつく時、積極的に「他に影響を及ぼす意」はないということです。そうですか?

 

いっそうわからないのは、

  「山を越える」と「山を越す」を比べてみるとよい。「越す」は他動詞である。

というところです。

「比べてみるとよい」と言われても、比べてみて、何も違いは感じません。

岩波の「越す」「越える」の項を。

 

  越す  ①手前から向こうに移るために、その上を過ぎて動きを進める。
       「山を-」(略)▽「越える」と互換的でも、「越す」はその動作や
       作用をもたらす意。「を」が動的目標の格助詞。(以下略)

  越える ①手前から向こうに、その上を過ぎて移る。「山を―」「国境を―」
       「二メートルのバーを―」▽①②の一部は「越す」と互換的でも、
       こちらはその状態になる意。「を」は移動の格助詞。
      ②ある時期、特に年を過ごしてその後になる。「暑い夏を―」
        「…・えて天明九年の正月」(以下略)         岩波

 

丁寧な説明があります。

  「越える」と互換的でも、「越す」はその動作や作用をもたらす意。「を」が
    動的目標の格助詞。
  「越す」と互換的でも、こちらはその状態になる意。「を」は移動の格助詞。

この二つの「意」は誰がそう認定するのでしょうか。岩波の編者、水谷静夫でしょうか。「越える」が「その状態になる」とはいったい何を言っているのか。

そう認定する、何か言語学的な論拠はあるのでしょうか。

以上の説明で、なるほどよくわかった、と思う人がいるのでしょうか。

 

次回からは、各国語辞典の自他の認定を細かく見ていき、その違いについて考えていこうと思います。