ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(2):越す・越える

前回の続きです。
いくつかの動詞について、国語辞典の自他表示を見ていきます。

 

まず、岩波国語辞典のところで問題にした「越す」と「越える」です。

「越える」を自動詞とすることには、私の見た10冊の国語辞典で異論はありませんでした。

前回引用した岩波の「語類解説」から。

 

  他動詞は助詞「を」のついた文節によって修飾され得るが、逆にそういう連用
  修飾語を伴えば必ず他動詞かというと、そうとは限らない。「山を越える」
  「空を飛ぶ」「席を立つ」などの「越える」「飛ぶ」「たつ」は皆、自動詞
  である。これらの動作の影響が他に全く及んでいないわけではないが、表現の
  重点がそこになく、この助詞「を」は動作の基準点・通過点を示すものである
  から、これらは自動詞ということになる。    岩波「語類解説」

 

「を」が「動作の基準点・通過点を示す」場合は、その「名詞+を」を目的語(動作の対象)とは考えない。つまり、その動詞は他動詞ではない。この点は広く認められているようです。

では、「越す」はどうでしょうか。10冊の辞書の品詞表示を並べます。

       越える 越す        

  新明解8  自  自         
  明鏡3   自  自         
  三国7   自  自         
  岩波8   自  自他        
  学研新6  自  自         
  三現新6  自  自         
  小学日   自  自         
  集英社3  自   他        
  旺文社11  自  自他       
  新選9   自  自

         

集英社は「越す」を他動詞としています。

岩波と旺文社の「自他」というのは、「越す」が「大阪に越す」のような「引っ越す」意味を表す場合は自動詞とする、ということです。「越える」と対応する用法の「越す」は他動詞です。

集英社と旺文社が「越す」を他動詞とする理由はわかりません。

集英社の付録に「日本語の品詞-口語を中心に-」という解説があるのですが、それを読んでも「山を越す」が他動詞であるという根拠は不明です。旺文社には文法解説はありません。

私には、「山を越す」という例も、岩波の

  動作の影響が他に全く及んでいないわけではないが、表現の重点がそこになく、
  この助詞「を」は動作の基準点・通過点を示すものである

という解説にぴったり当てはまる例だとしか思えません。

 

幸いなことに(?)他の7冊の国語辞典は、「越す」も(「越える」も)自動詞としています。

その理由はわかりませんが、おそらく、上に書いた私の考えと同じように考えているのではないかと思います。

 

「越える」と「越す」に近い意味を表す動詞を見てみましょう。

「飛び越える」と「飛び越す」です。(「飛び」は「跳び」とも書かれます。)

 

       飛び越える 飛び越す                      

  新明解8  自     自                       
  明鏡3   自     自                       
  三国7   自      他                      
  岩波8   自      他                      
  学研新6  自     自                       
  三現新6   他     他                      
  小学日   自     自                       
  集英社3  自     自                       
  旺文社11   他     他                     
  新選9    他     他

                      

「飛び越える」を自動詞とする辞典が7冊、他動詞とするのが3冊です。

岩波は「飛び越える」は自動詞で、「飛び越す」は他動詞とします。「越える」と「越す」の対応と同じです。そして、なぜか三国もそのようにしています。

三省堂現代新、旺文社、新選はどちらも他動詞とします。

三国の項目を見てみます。

 

  飛び越える(自下一)とんで、上をこえる。飛び越す。
  飛び越す(他五)1とんで上をこす。「山脈を-」2順序をとばして、進む。
     「先輩を飛び越して課長になる」▽とびこえる。[名]飛び越し。  三国

 

「とんで、上をこえる」(「越える」は自動詞)のが自動詞なのはごく自然な話ですが、「とんで上をこす」(「越す」は[三国によれば]自動詞)が他動詞とされるのは不思議な話です。

また、「飛び越える」の項目では、語釈の後に「飛び越す」があり、「飛び越す」の項目には「飛び越える」とあります。(「▽」の印は、用法1・2の両方に共通して言えることを表します。)

つまり、同じような用法だということでしょう。
しかし、この2語は自動詞と他動詞に分けられるのです。なぜでしょうか。 

前回の記事で引用した、三国の辞典本文からの引用、

 

  自動詞〔言〕その動作が直接に影響をおよぼす対象を持たない動詞。
    例、「走る・行く」など。(⇔他動詞)  
  他動詞〔言〕その動作が直接に影響をおよぼす対象を持つ動詞。
    例、書く・食べるなど。(⇔自動詞)            三国

 

この定義との整合性はどうなるのでしょうか。

 

岩波を見てみます。

 

  飛び越える〘下一自〙→とびこす
  飛び越す〘五他〙①物の上を飛んで越す。「垣根を―」
     ②順をとばして進む。「先輩を-・して出世する」   岩波

 

これは驚きです。「飛び越える」は「とびこす」を見よ、で終わり。つまり、意味用法は同じだということでしょう。

それでいて、自動詞と他動詞に分けるのです。まあ、何と言うか、呆れます。

「垣根を飛び越える」(と言っていいんでしょう、たぶん。)場合は、「を」は「移動の格助詞」で、「垣根を飛び越す」場合は、「動的目標の格助詞」なんでしょうか。

そして、その意味は、「物の上を飛んで越す」なのですね。「飛び越える」も。

 

三省堂現代新国語辞典と新選国語辞典は、「飛び越える」「飛び越す」共に他動詞とします。「越える」と「越す」は共に自動詞でした。

「越える」「越す」は「移動の動詞」と考え、「飛び越える」「飛び越す」は「対象(目的語)」をとる動詞と考える、ということでしょうか。

しかし、「峠を越える/越す」と「柵を飛び越える/飛び越す」とで、そのような違いを考えるべきでしょうか。

 

これらの動詞に関しては、一貫して自動詞とする新明解・明鏡・学研新・小学日の立場がいちばん無理がないように、私には思えます。(あるいは、「越える・越す」も含めて、すべて他動詞としてしまうか、です。)