前回の続きです。
前回は、三国の
・「〇〇を」の形を受ける動詞は他動詞〔(他)と表示〕 三国八版「文法解説」
という定義を受けて、だったら「ヲ動詞」といっても同じことで、さらには「ガ動詞」「ガ・ヲ動詞」「ガ・ニ動詞」のように動詞を分類していけばより用法が明確に示せるし、そこに使われる名詞の種類も明示して、「だれガ なにヲ」あるいは「人ガ ものヲ」のような形でその動詞がとりうる文型を示すのがいいのではないか、ということをまず書きました。
そのような「構文の型」を示している辞書として新明解の例をあげました。
それに関して、岩波の編者の一人である丸山直子が、岩波も新明解のような「格パターン」を記述しようと試みたが結局やめたということを書いているのを紹介しました。「用例をして語らしめる」方針をとることにした、と。
国語辞典の利用者としては、実際にその語をどのように使うのかが示されていればいいわけですから、どういうやり方にせよ、結果的に情報量の多いほうがいいわけです。
前回例に出した「ひらめく」をどう記述しているか、新明解と岩波を比べてみましょう。
ひらめく(自五) 1((どこニ)-)一瞬、鋭く光る。「いなずまが-」
2((なにニ)-)〔よい考えなどが〕瞬間的に思い浮かぶ。「名案が-」
3〔旗などが〕風に吹かれて、波打つように動く。 新明解
ひらめく〘五自〙①瞬間的にひかる。きらめく。「上空に閃光せんこうが―」
②旗などがひらひらする。「英国軍艦旗が―」
③思いつきなどが瞬間的に心の中に姿をあらわす。「名案が―」 岩波
新明解は「(どこニ)」を示しながら、例をあげていません。それに対して岩波は「上空に閃光が-」という用例で場所を示しています。ここは岩波のほうがいいですね。
また、どちらも「名案が-」という同じ用例を出していますが、新明解の「(なにニ)」に当たるものを示していません。これはどちらも足りない。
他の辞書の用例を見てみましょう。
明鏡 脳裏にアイデアが
学研現代 丘の上に旗が-・く 心に-・くものがある
小学日 抜いた刀が月の光にひらめいた 山の上に白旗がひらめいている
明鏡は「脳裏に」、学研現代新は「心に」と場所を示しています。
小学日の「刀が月の光に」というのは1の用法ですが、新明解の「(どこニ)」とは違いますね。
これは「月の光が刀にひらめく」とも言えるでしょうか。それなら「(どこニ)」の文型でしょう。
「刀が月の光に」は「月の光によって」と考えて、原因を表す「に」としますか。
新明解は原因の「に」も「構文の型」として示すので、これも書かなければならないでしょうか。それも大変ですね。
この辺、丸山直子の言うように、詳しく記述すると煩雑になる、というところでしょうか。
新明解は、上の「(どこニ)」「(なにニ)」のように、「構文の型」を示すだけでその実際の用例を出さないことが多く、困ったものだと思います。用例の重要性ということがわかっていないわけではないでしょうが、「紙幅の制限」という理由なのか、用例をサボることが多いです。
型を示すだけよりも実際の用例を出すほうがずっと意義があることだと思うのですが。
ほかの動詞の同じような例を言うと、新明解は「生まれる」で「(だれ・なにカラ)」という型を示していますが、その例は出していません。
岩波は、「生まれる」で「名家に―」「日本人に―」「桃から-・れた桃太郎」という例をあげていて、「用例をして語らしめ」ています。
なお、新明解には、この「に」を使う「構文の型」は書かれていません。「(どこニ)」「(なにニ)」の両方をたてなければならないでしょうか。なかなか大変です。
ただ、「どこニ(生まれる)」という文型だけを示してしまうと、「生まれる」の場所は「に」で示すのだ、と誤解される恐れがあります。
小学館日本語新は「で生まれる」の例もあげています。
芝で生まれて神田で育つ 貧しい家に生まれる 日本人に生まれる 小学日
やはり、いろいろな用例を出すことが大事です。
新明解の話に戻ると、「降る」では「(どこニ)」と示しながら、その用例はありません。
ここはやはり、
巷に雨の降るごとく わが心に涙降る (ボードレール:堀口大学訳)
という用例がほしいところですが、もっとおとなしい例でもいいと思います。
岩波の「降る」には「棚からお札が-・って来た」という状況がよくわからない例があります。どういう棚なのか。せめて「ビルの窓から」ぐらいにしたらどうでしょうか。(ひょっとして、ボタモチに引っかけた冗談?)
以前とりあげた「暮らす」をもう一度見ます。(「国語辞典の自動詞・他動詞(23)」)
暮らす(自五)((なにヲ)-/(なにデ)-)寝たり起きたり 食事をしたり 仕事を
したり遊んだりなどして、一日(一日)を生きていく。「わずかな収入で今
まで何とか暮らして来た/自由気ままに-/遊び-」 新明解
暮らす〘五他自〙①月日をすごしてゆく。転じて、生活する。生計を立てる。
「気楽に―」▽②から。②日が暮れるまでの時間をすごす。「本を読んで―」
岩波
新明解は「(なにヲ)-」という構文の型を示しながら、自動詞とし、その用例はありません。
岩波は「を」の例を出さず、「他自」です。
この項目はどちらもダメですね。
もう一つ。これも以前とりあげた「自慢する」。(「国語辞典の自動詞・他動詞(22)」)
自慢 -する (自他サ)(なにヲ-する/なんだト-する)自分のした事や 自分に
関係のある物事に満足しきって、それがいかにすぐれている(他人には まね
の出来ない)ものであるかを強調して語ったり 示したり すること。
「-高慢、ばかのうち/腕- ・ お国-・ -話(バナシ)」 新明解
自慢〘名ナノ・ス他〙自分のこと、自分に関係の深いものを、自分でほめ人に誇
ること。「腕―」「のど―」(→のど)「―ではない(=というわけではない)
が」 岩波
新明解は「なにヲ」も「なんだト」の例もありません。
岩波も他動詞としながら「を」の例なし。
それに、どちらも「人に自分の才能を自慢する」の「人に」がありません。
新明解は「誇る」では「((だれニ)なにヲ-)」とし、「(だれニ)」を入れていたのですが、「自慢」では忘れているようです。
岩波の語釈には「人に誇る」とあるから、「人に」は当然のこととして省略したという言い訳は通りません。やっぱり「用例をして語らしめ」ないと。「名ナノ」としながら「~な」の例も「~の」の例もないし。
ということで、新明解も岩波もまだまだ不十分だと思います。
新明解のように動詞文型を示し(ただし、私は「だれ/なに ガ」も示したほうがいいと思います。)、しかもそれに対応するような例をきちんとあげる、という国語辞典としての基本をしっかりおさえていく辞典編集者が現れないものだろうか、と望み薄の期待を持ち続けています。