前回の記事の最後にこう書きました。
辞書による自他の認定の違いがかなりの数あるということ、それをどう考えるか。
それをまた考えてみます。「ブレーンストーミング(脳内嵐)」風に、(私は賛成しないものも含めて)いろいろな意見を並べます。
A
一つの考え方は、まあ、別にいいじゃないか、というとらえ方。
国語辞典によって、自動詞か他動詞かが違っていても、大したことではない。それで使用者が悩むこともあまりない。(妙な文法マニア以外は。)
「学説」によって分析が違うのはごく普通のことで、そうやって学問は進展していくんだ、と悠然と構える。
形容動詞の範囲が辞書によって違うのも、問題点が明らかになっていいのではないか。「みんな違ってみんないい」。
B
いや、そうは言っても、やっぱりバラバラなのは困る。ある辞書は自動詞と言い、他の辞書は他動詞と言う。それでいいと言うなら、何のために自他の表示をしているのか。
漢字の表記がバラバラでは困るのと同じように、国語審議会だか何だかでいろいろ議論して、一つの基準を作り、基本的にそれでやっていくのがいいのではないか。
多少の「ゆれ」はあってもいいかもしれないが、現状のようにそれぞれが勝手にやるのはよくない。
一般人が使う辞書の記述の問題と、学問の進展は別のことだろう。
C
自他の区別というのは、要するに「を」をとるか「に」をとるか、という話だ。その違いは、(三国の言うように)重要なことだ。ただし、一般には移動の動詞は別にするという例外を認める。それはもともと、他動とは「他に働きかける」意味があるのが基本だから、ということだ。(では、「働きかける」は他動詞なのか、という問題。)
「を」か「に」か、という表面の形だけでなく、元に意味の違い、事象のとらえ方の違いがある。
動詞の分類として基本的なものだから、自他を表示するのはいいことだし、基本的には現在の方向でいいのではないか。ただ、もう少し、各辞書の編集者が(それぞれの)基準をはっきりさせ、個別の動詞をよく検討してほしいが。
D
現在の日本語の自他の区別は、他の言語ともおおよそ共通するものだろう。外国語の学習ということも考えると、自動詞・他動詞という概念を学習しておくことには意味がある。「動詞文型」という考え方の基本部分だ。
ただ、その場合、三国のように移動動詞を自他動詞とするのはどうか。
E
宮島達夫が「国語辞典の自他の揺れ」をはっきり指摘してからもう50年たっている。それで、「揺れ」は収束しつつあるか。まったくそうではない。三国の方針転換によって、違いの幅は一層広がった。国語辞書は、専門書や論文と違って、一般人の利用のためにある。言わば「公共性」があると言える。どの辞書を見ても、ある程度の共通性が必要だろう。何らかの協議が必要だ。
しかし、国による「権威的な統一」は弊害が大きい。「学校文法」がいい例だ。構文論の萌芽的段階での固定化のまま、その後の日本語学の成果が何も反映されていない。
学校文法にも功はいろいろあるだろうが、罪もまた多い。その轍を踏んではいけない。
協議は、日本語学者、辞書編集者、出版社などを含めて、自他表示の緩い方針の作成から議論を始めるのがいいのではないか。(三国の編集者は孤立するか?)
F
辞書に自他の表示をする必要はないのではないか。
利用者は、ある動詞が「自」か「他」かを示されても、それでその動詞が使えるようになるわけではない。「を」をとるか、「に」をとるか、両方とるか、どちらもとらないか、それを用例と解説で示すことが肝心だ。「自」とあっても「を」をとる場合があり、「他」とあっても何の用例もないのでは意味がない。
一つの方法は新明解のような「文型」を示し、その用例をきちんと示すこと。または、文型の指示はなくとも、用例を豊富にあげて、格助詞のとり方を示すこと。それをすれば、自他の表示などは無用だ。
G
なぜ動詞の分類として自他だけを示すのか。動詞の分類としては、状態動詞と動態動詞(動きの動詞)の区別が基本的なものとしてある。あるいは変化動詞と動作動詞、言い換えれば瞬間動詞と継続動詞とか。意志動詞と無意志動詞というのもある。それらはあまり考慮されず、自他だけが特別に示されるのは、英語などの西欧言語の文法に合わせるためか。
H
辞書の利用者にとって、自他表示というのはどの程度の意味があるのか。
国語辞典の利用者アンケートなどではどういうことが聞かれているのか。その結果は辞書の編集に反映しているのか。自他表示についての質問がされたことはあるのか。
おそらく、ほとんどの人が自他表示には関心を持たないのではないか。
利用者の視点というものを考えに入れて、自他表示を考え直してみることも必要ではないか。(中学の国語の先生などで関心を持つ人がいるとすると、三国の基準変更はどう評価されるか。)
いろいろとありそうな意見を書いてみました。私としては[E]または[F]に近いところでしょうか。
三国の考え方は、すっきりはしていても賛成はできません。新明解がそうするなら、おやおやと思いながらも、これもありだな、と思うでしょうか。