ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

三国第八版:筆記・書きつける

 

三省堂国語辞典第八版が第七版からどう変わったか、このブログでこれまでにとりあげてきた項目を見てみます。

 

三国の「筆記・書きつける」について、短い記事を書いたことがあります。

niwasaburoo.hatenablog.com

第八版は第七版と同じ内容です。(表記についての注意書きが少し変わっています。)

 

  筆記(名・他サ)書きつけること。「-帳・-試験(⇔口述試験)」   
  書き付ける 1〔心覚えなどのために〕ちょっと書く。「ありあわせの紙きれに-
    ・歌を-・赤で-」2いつも書いていて、なれている。  三国七版・八版

 

「筆記」を「書きつける」とするのは、ちょっと意味がずれるんじゃないかと思います。
「筆記試験」は「ちょっと書く」のではないし、「いつも書いていて、なれている」わけでもない。
また、「筆記」は「書きつける」の2つの用法のどちらなのか、あるいは両方とも言えるのかという点でもあいまいです。

「筆記試験」が「口述試験」と反対語とされていますが、「実技試験」とも対立するでしょう。「書く」ということが基本にあるだけで、「書きつける」という、より細かな意味合いはないのでは?


それよりも文体的な違いについて触れていないのが不思議です。
「筆記する」という動詞を日常生活で使うことはあまりないでしょう。書きことばコーパスで検索すると、多くの例が「公証人が…」とか「口述を…」などです。

残念ながら、第八版への改訂では、この「筆記」の項目は「問題なし」とされてしまったようです。

 

では、他の辞書は「筆記」をどう説明しているかを見てみましょう。
まず明鏡国語辞典

 

  筆記 書き記すこと。書き取ること。また、書き記したもの。「口述━」「━試験」

  書き記す あとに残るように、書きつける。「一部始終を手帳に━」

  書き付ける 1忘れないように、書きとめる。「手帳に電話番号を━」
       2書きなれる。「━・けない毛筆で署名する」     

  書き留める 忘れないように書いておく。「伝達事項をメモに-」  

  書き取る 1 耳で聞いたことを文字で書く。「談話を━」
       2 文章などを書き写す。「掲示された注意事項を━」  明鏡

 

他の語で言い替えている部分を抜き出して、語釈のつながりを追ってみます。

   筆記 → 書き記す → 書きつける → 書きとめる → 書いておく
                     → 書きなれる
      → 書き取る → 書く
             → 書き写す

結局、「筆記」とは「あとに残るように、忘れないように、書いておく」と、「耳で聞いたことを文字で書く(/文章などを書き写す)」ということのようです。「筆記帳・口述筆記」に対応する意味合いですね。「筆記試験」の場合はぴったりする説明がありません。

 

次に、岩波国語辞典。

 

  筆記 書きしるすこと。書きしるされたもの。「口述―」
  書(き)記す 字や言葉を書きつける。      
  書(き)付ける 書きとめる。
  書(き)留める 心覚えなど後に読み返せるように書いておく。「手帳に―」
                            岩波

なんだかずいぶんあっさりしています。

  筆記 → 書きしるす → 書きつける → 書きとめる → 書いておく
   
岩波によれば、「筆記」とは「(字や言葉)心覚えなど後に読み返せるように書いておく」ことです。

そうですか?

用例も少なく、「書きつける」の語釈は「単なる言い替え」(「第八版刊行に際して」という文章を参照)で済ませています。

岩波は、このような、あまり重要視していない(?)項目の記述が非常に手抜きなんじゃないかと、最近感じることが多くなりました。

 

新明解。

 

  筆記 見た事・聞いた事や尋ねられた事を、紙やノートなどに書く事。「口述-・
     -試験・-用具」

  書き付ける 1必要な事柄を 備忘のために(求められて)そこに書く。2書き慣れる。

  書き記す 「書く」意の改まった表現。      

  書き留める 〔忘れないように〕書いて残す(おく)。「ノートに-」 新明解

 

新明解は、「見た事・聞いた事や尋ねられた事を」「(求められて)」など、その語の意味合いを何とかとらえようとしています。それがピッタリかどうかはともかく、そういう姿勢をはっきり持っているのはいいことだと思います。「筆記試験」はまさに「尋ねられたことを紙に書く」が当てはまりますね。

また、「単なる言い替え」をできるだけ避けようとしていることもうかがえます。

ただ、「書き記す」の、「「書く」意の改まった表現」というのは不十分だと思います。「論文を書く・SFを書く」などの例には当てはまらないでしょう。「改まった表現」ではあるにせよ。

「筆記」についても、「書く」の意の「改まった表現」あるいは「硬い言い方」とか何とか、文体的な特徴について書いたほうがいいように思います。小学生は「筆記する」という言い方をあまりしないでしょう。「筆記試験」という熟語は知っていても。

 

「書く」という動詞は、それにちょうど対応するような名詞を持っていない、と言えるでしょう。「書き」は用法がかなり限定されます。他の名詞、特に漢語と複合する際に、「筆記」という硬い言い方がうまく合うので都合がいいということでしょうか。

他の辞書との比較のため、三国の「書き記す・書き留める」の項目を書いておきます。

 

  書き記す 文字や文章を<書く/書いておく>。 
  書き留める 〔あとで役に立てるために〕書く。書きのこす。 三国七版・八版

 

「書く」と「書き記す」(と「記す」)の違い、「書きつける」と「書きとめる」(と「書きおく」「書き残す」)の使いわけ、などを考えだすと、どうしてこんなに似たような語があり、また我々は苦もなくそれらを日々使いこなしているのだろうか、などと思います。