新明解国語辞典の記述がどうも変です。
寒い ⇔暑い 気温が低くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。
〔赤道から遠く隔たった地帯やヒマラヤの高山などのように、年間を通じて
気温が低く寒く感じられる所を指すこともある〕「冬の-朝/背筋(セスジ)
が寒くなる〔=⇒背筋〕/懐(フトコロ)が-〔=⇒懐〕
暑い 気温が高くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。
〔赤道やそれに近い地帯のように、年間を通して気温が高く暑く感じられる
ところを指すのにも用いられる〕⇔寒い 新明解
それぞれのかっこの中は何が言いたいのか。
赤道から遠く隔たった地帯やヒマラヤの高山などのように、年間を通じて気温が
低く寒く感じられる所を指すこともある
これが「寒い」の記述?「~所を指す」?
例えば、次のような書き方なら、まだ、わかるのですが。
寒い ⇔暑い 冬、気温が低くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。
〔赤道から遠く隔たった地帯やヒマラヤの高山などのように、年間を通じて
気温が低く寒く感じられる所の状態を指すこともある〕
こういうことが言いたかったのでしょうか?(でも、「~こともある」は、やはり変ですね。)
もちろん、「寒い」のは「冬」に限った話ではありません。私は、夏の暑いときに冷房の効きすぎたコンビニなどに入ると、「涼しい」を通りすぎて「寒い!」と感じます。(この時のコンビニの室温は、ふつう「寒い」というような温度ではありません。)
また、ずいぶん昔の中学時代の思い出ですが、梅雨時の外のプールの授業は曇り空だと寒かった記憶があります。
人が「寒い」と感じるのは、気温(あるいは「室温」)だけの問題ではなくて、人の側の状態、感じ方にもよるわけです。
次の三国の記述がいいのではないでしょうか。
寒い まわりの空気が、からだ全体に冷たく感じられ(て、がまんできなくな)る
状態だ。 三国
上の「暑い」の記述についても同じようなこと(「赤道や~ところを指すのにも用いられる」について)が言えますが、省略します。
もう一つ、「涼しい」もちょっと変です。
涼しい (今までの)不快な暑さが感じられない気温になり、快適に過ごせる
状態だ。〔一般に夏の終りから秋にかけての空気が多少冷ややかに感じられ
る気候の状態を指す〕 新明解
この語釈はちょっと限定しすぎではないでしょうか。「夏の終りから秋にかけて」に「涼しい」ということばを使うことが多いのは確かでしょうが、その「気候の状態を指す」のを「一般に」と言っていいかどうか。
たんに、暑い夏に、扇風機をつけて「ああ~、すずしい~」と言うのはごく一般的な使い方ではないでしょうか。
同じ気温でも、夏に木陰に入って風が吹いてくれば「涼しい風」と感じます。風そのものの温度が低いわけではありません。(これは「気温」ではなくて「体感温度」です。)
もっと普通には、クーラーをつけた部屋に入って「涼しい」と感じる。これは「室温」ですね。
ということで、上の「涼しい」の項目の記述は、執筆者の思い込みが偏っているように思います。
私の勝手な想像ですが、執筆者の思いは、「同じような気温でも、春にはそれを「涼しい」とは言わず、「暖かい」と言う」というようなことがあるのじゃないか、と思いました。その辺のことをあれこれ思い、しかしそんなことを詳しく書くこともできず、上のような書き方になったのじゃないか、と執筆者の気持ちを勝手に想像してしまいました。(同じ執筆者が、「寒い」と「暑い」の項も書いたのでしょうか? そこでの「思い込み」の内容は何だったのか?)