ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

煮る・ゆでる

新明解国語辞典の「煮る」の項から。

 

  煮る (なにヲ-)液体の中へ入れ、熱を通して柔らかく(どろどろに)する。
    〔狭義では、食品について言い、それに味をつけるまでをも指す〕  新明解

 

基本的にはこういうことなのでしょうが、何で用例が一つもないのでしょうか。「狭義では」と言うけれども、では「広義」では、食品以外にどんなものが「煮る」対象になるのかわかりません。

 

岩波は、

  煮る 食物などを水や汁と共に加熱して、その熱を食物によく通す。「野菜を―」
     「とろ火で―」   岩波

 

「食物など」と言っていますね。この「など」はどんなものなのか。でも、後半では「食物に」と限定しています。

この「~加熱して、その熱を食物によく通す」という書き方はどうも回りくどい感じですね。
たんに「よく加熱する」では足りないのでしょうか。

 

明鏡も見てみます。

 

  煮る 食材を水や汁の中に入れて火にかけ、熱を通して食べられる状態にする。
   「豆[芋]を━」「牛肉を甘辛く━」「弱火で━」「ぐつぐつ[ことこと]━」
   [語法] ~ヲに〈対象〉をとる言い方。~ヲに〈結果〉をとる言い方もできる。
    煮ることによって料理を作る意。「シチューを━」  明鏡 第二版

 

用例が多くていいですね。「語法」も親切です。「食べられる状態にする」というのは当たり前すぎるかもしれませんが、きちんと書いておくのはいいことです。

何のために「煮る」のかと言うと、「食べられる」ようにするためで、新明解によれば「柔らかく(どろどろに)」なるわけです。

 

では、似たようなことを表す「ゆでる」はどう説明されているでしょうか。

まず、新明解。

 

  ゆでる  熱湯の中へしばらく入れて煮る。うでる。  新明解

 

「煮る」のですが、「熱湯の中へしばらく入れて」ということで、しっかり煮るようです。

岩波と明鏡も「熱湯」としています。


  ゆでる (丸ごと(に近い)物を)熱湯の中に入れ、(短時間)熱を通す。うでる。                                        岩波

      熱湯の中に入れて煮る。また、そのようにして食品を作る。うでる。
     「枝豆[そうめん・タコ]を━」「ゆで卵を━」   明鏡

 

「煮る」では特に「熱湯」とは言っていないので、そこが違うのでしょうか。
岩波は、「(丸ごと(に近い)物を)」「(短時間)」と「煮る」との違いを出そうとしています。

新明解は「しばらく入れて」でした。これが長い時間を意味しているとすれば、岩波と違ってきます。新明解の「しばらく」については、前に記事を書いたことがあります。(「2021-07-24 新明解の副詞:しばらく」)

 

  しばらく (副)長いと感じられるほどではないが、ある程度の時間を要する
    (が経過した)ととらえられる様子。「今-お待ちください/彼とは-
    会っていない/-ぶりの上天気/この問題は-置こう〔=当分の間触れ
    ないことにしよう〕」[運用]「しばらくでした」などの形で、久しぶりに
    会った人同士の間で交わされる挨拶(アイサツ)の言葉として用いられる。
    例、「やあしばらくでした、お変りありませんか」  新明解

 

なんだかよくわかりませんね。でも「短時間」ではないような。

「煮る/ゆでる」時間の違いについては悩まないことにしましょう。

明鏡は、「煮る」との違いを「熱湯」以外には特に書いていません。「煮る」の「食べられる状態にする」と、「ゆでる」の「食品を作る」とは、同じことなのでしょう、たぶん。

もう一つの違いは、「食材を水や汁の中に入れて」と「熱湯の中に入れて」の違いです。つまり、「汁」の有無です。岩波も「水や汁と共に」でした。
この「汁」については、また別にとりあげてみたいと思います。

 

さて、以上の国語辞典の記述の中で、引っかかったところはないでしょうか。私は、ありました。

新明解です。

新明解によると、「煮る」は「熱を通して柔らかく(どろどろに)する」ことです。
そして、「ゆでる」は「熱湯の中へしばらく入れて煮る」なので、つまりは「煮る」ことです。

さて、明鏡の用例にある「ゆでたまご」は、「柔らかく(どろどろに)」なっているでしょうか。
反対に、固まっているんじゃないでしょうか。「ゆでだこ」は?

どこでおかしくなったのか。

まず、「煮る」は「常に」「柔らかく(どろどろに)する」のかどうか。たんぱく質は熱を加えると固まるものですね。それなら、「煮る」ことによって固くなる場合があると言えるのでは。
「煮すぎる」と、柔らかくなりすぎたり、反対に固くなってしまったりする、こともあるでしょうね。
 
そもそも、「ゆでる」を「~煮る」と言っていいのかどうか。基本的なところで違うのか。

私は全然料理をしない人間なので、この辺の語感はどうもはっきりしません。

 

三省堂国語辞典は、第八版で[区別]という類義語の違いについての解説をつけるようになりました。
「煮る」と「ゆでる」については次のように書いています。

 

  煮る 1食材などに水(と調味料)を加え、火にかけて熱をとおす。「大根を-・
     なべを-」[区別]「煮る」も「ゆでる」も、湯の中で加熱する点では同じ
     だが、「煮る」は、湯も煮汁として料理の一部になる。「ゆでる」は、湯は
     最後に捨てる。(以下略)

  ゆでる 熱湯の中に入れて、しっかりと加熱する。うでる。「たまごを-・枝豆
     を-」[区別]→煮る1。            三国

 

私はこの説明に賛成です。「煮る」場合は「汁」に味がついていて、食材に味をしみこませる感じですが、「ゆでる」はそうでない。(塩ぐらいは入れるかもしれませんが)

三国の「最後に捨てる」というところ、ナルホドと思いました。

また、「ゆでる」が「熱湯」で「しっかりと」加熱する、というのは他の辞書と同じです。

ただ、この[区別]が例外なく当てはまるか、というとよくわかりません。

「そばゆ」が頭に浮かんだのですが、これはちょっと別ですか。

 

  そばゆ そばをゆでたあとの湯。そばつゆに加えて飲む。  明鏡

 

「煮る」と「ゆでる」なんて、昔から類義語としてその違いが考えられてきたように思うのですが、いまだにはっきりした記述が三国以外にないのはちょっと驚きでした。

 

追記:

講談社類語辞典の「ゆでる」に、次のような注記がありました。

  ◇「煮る」が味をつけるように加熱するのに対し、「茹でる」は調味料を入れない
    のがふつうである。

私の「煮る/ゆでる」の違いは、これと同じでした。

(ただし、「水煮」というのもあるので、これは例外扱いでしょうか。)