広辞苑と形容動詞(3)
前回の続きです。
広辞苑の「日本文法概説」は、第六版ではp.194-205だったのが、第七版ではp.196-215となり、大幅に増補されました。特に動詞・助動詞あたりが詳しくなったようです。
形容動詞の解説も大きく書き換えられました。
「形容動詞否定論」という小見出しが新しくたてられたのが特に目を引きます。
第五版・六版と違っているところを少し長く引用します。(「名詞」のところにあった形容動詞への言及はなくなりました。)
広辞苑第七版「日本文法概説」の「形容動詞」から
形容動詞は状態を移す語であり、意味においては形容詞に似る一方、活用形式
は動詞に似るので形容動詞と呼ばれる。「おろかだ」「にぎやかだ」のような和語
を語幹とするものは、ク活用形容詞に似て、感情を直接表現することは少ない。
漢語や外来語を語幹とする場合は、その意味に応じて「安心だ」「悲惨だ」「ナー
バスだ」など心の状態を表すこともできる。(略)
非母語話者に対する日本語教育の場では、それぞれの連体形の語尾をとり、
形容詞を「イ形容詞」、形容動詞を「ナ形容詞」と説明することも普通に行われ
ている。
「アダルト向けの内容」というところを「アダルトな内容」と言えば、「アダ
ルト」が「内容」を直接形容して表現が緊密な感じになる。「アダルトな」という
表現はまだ耳慣れないが、新しい形容動詞はすぐに違和感が薄れる。「直接な関係」
「真ん中な位置」「美人な人」「悪循環な環境」などという表現も使用され始めて
いる。物事の形容表現について、形容詞の新語はごくまれで、新しくできる形容的
な語はほぼすべて形容動詞である。形容動詞は、非常に生産力の高い品詞である。
形容動詞否定論
形容動詞の語尾は、由来としては断定の助動詞(「だ」)と同じものである。
この語尾(助動詞)は、「川だ」のように普通の名詞類にも接続する。
もともと形容動詞を品詞として認める根拠は、「おろか」は独立してもちいら
れることがまれで、ほぼ常に「おろかに」として用いられていたので、これを
一語とみなすこところにある。「おろかに」が一語ならば、「おろかな」「おろ
かだ」も一語でなければならないのである。もし、「おろか」と「に」に分け
られると解釈するならば、「おろか」は形容性の名詞となり、形容動詞を認める
必要がなくなる。
「親切」は状態を写すことができる漢語名詞なので「親切に」という連用修飾
の表現や「親切な」という連体修飾の表現が可能だが、「川」は完全な名詞である
ので「川に」は場所を表し、「川な」という形容表現は作れない。「あの男は狼だ」
と表現できるのは比喩としてその意味を利用しているからであって、「狼な」とは
言えず、「狼」自体に形容的意味があるのではない。このように形容動詞か「名詞
+だ」かを判断するときには、「~な」という連体修飾が可能かどうかを基準にする。
また、副詞が修飾できるかどうかも重要な基準である。「とても親切」は可能である
が「とても川」は成り立たない。古代から一群の形容性名詞(形容動詞語幹)が
存在しており、形容詞の語幹に「やか」「らか」のような接尾辞(語尾)をつけて
形容性名詞が派生するが、これも通常の名詞にはない性格である。以上述べた形容
動詞の特徴は、すべてを「名詞だ」と解釈する立場では、「形容性名詞」と「通常
名詞(一般名詞)」の違いであるとする。形容動詞を否定するならば、この一群の
「形容性名詞」の居場所を確保する必要があるだろう。
本書では、形容動詞語幹は、「ほがらか」「親切」として掲げ、名詞と同じように
扱っている。 (広辞苑第七版「付録」p.205-206)
いろいろ細かく書かれていていいのですが、どうも説明の流れがわかりにくいように思います。(オ前ガ言ウカ!)
まずは次のことがきちんと書かれているのは非常によかったと思います。
このように形容動詞か「名詞+だ」かを判断するときには、「~な」という連体
修飾が可能かどうかを基準にする。
では、「形容動詞否定論」の主張はどうなったのか。
もし、「おろか」と「に」に分けられると解釈するならば、「おろか」は形容性
の名詞となり、形容動詞を認める必要がなくなる。
「おろか」の一語を例にしてすべてを判断するのは無理でしょう。すべての(少なくとも大多数の)形容動詞について、同じことが言えるのかどうか。
また、「おろか」を「形容性の名詞」とするならば、「名詞とは何か」という議論がもっと必要になります。
その後の、
以上述べた形容動詞の特徴は、すべてを「名詞だ」と解釈する立場では、「形容性
名詞」と「通常名詞(一般名詞)」の違いであるとする。形容動詞を否定するなら
ば、この一群の「形容性名詞」の居場所を確保する必要があるだろう。
という部分は重要なことを述べています。
形容動詞を否定して名詞とするなら、その「名詞」の中で、「~な」の形をとるという特徴のある名詞を別にしなければなりません。それを、広辞苑はやっていません。決定的に重要なことなのですが。
この解説は、全体として「形容動詞否定論」に対して否定的な印象を受けるのですが、最後に、
本書では、形容動詞語幹は、「ほがらか」「親切」として掲げ、名詞と同じ
ように扱っている。
と、とってつけたように形容動詞を否定する文を入れて終わっています。
広辞苑の「形容動詞は認めない」という方針は変えられないまま、その「文法概説」ではその方針に疑問を呈している格好です。(私には、そう見えます。)
さて、すぐ上で述べたように、形容動詞を否定するならそれらの語が「形容性名詞」であることを何らかの形で示さなければなりません。そうしないと、形容動詞を認める説に対して、その語の用法に関する情報量で劣ってしまうからです。それにはどうしたらよいでしょうか。
一つは、「形容性名詞」であることを示す、例えば(形名)のような品詞指示をつけることです。しかし、それでは(形動)とするのと結局同じことになってしまいます。
もちろん、文法の中での位置づけが違ってくるので、文法全体の体系をどう考えるかという理論的な違いはありますが、国語辞典としてそうする意味があるかどうか。
もう一つは、「~な」の形があることをなんらかの形で示すことです。
それを実際にやったのが、新明解の「-な」という用法指示です。以前の記事で、新明解は形容動詞という品詞を認めない立場でありながら、「-な」の形の連体形を持つことを明示しているということを述べました。(2021-09-25 新明解と形容動詞:「-な-に」/「-な」)
それらのことをせず、「形容動詞語幹は、「ほがらか」「親切」として掲げ、名詞と同じように」扱うとするならば、「~な」の形で連体修飾をするということをどう示せばいいか。
「~な」の形の連体修飾をしている用例を必ずつければいいのです。
これは、今回調べてみて初めて知ったのですが、広辞苑は意外にこまめに「~な」の形の用例をあげています。
親切 2人情のあついこと。親しくねんごろなこと。思いやりがあり、配慮の
ゆきとどいていること。浮世風呂四「昨日は御-さまに娘をおさそひ下さ
りまして」「-に教える」「-な人」
健康(health) 身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。
また、病気の有無に関する、体の状態。<薩摩辞書>。「-に注意する」
「-に過ごす」「-な考え」 広辞苑
「親切」では、「親切に教える」「親切な人」があり、連用形と連体形の例をそろえています。
「健康」では、「健康に注意する」は名詞用法、「健康に過ごす」は連用、「健康な考え」は(意味はちょっと違いますが)連体修飾の例で、きちんと各用法をそろえています。
ただ、次のような例もあります。
元気 2活動のみなもとになる気力。「-を出す」「-がない」3健康で勢いの
よいこと。「お-ですか」 広辞苑
「元気」の場合の「お元気ですか」という例では、名詞である「病気」の「御病気ですか」と同じ形になってしまい、名詞か形容動詞か(「~な」の用法があるかどうか)わかりません。その前の2のほうは名詞用法の例ですね。
以下、「~な」の用例だけを引用します。まったく、几帳面に用例をつけています。
きらい 「-な食べ物」 きれい 「-な顔だち」「-な星空」
好き 「-な人でも居るのか」 静か 「-な夜の街」
穏やか 「-な日和」 さわやか 「-な朝」
愚か 「争いなど-なことだ」 にぎやか 「-な通り」「-な人」
幸せ 「-な気分」 幸福 「-な人生」
不幸 「-な人生」 すこやか 「-な精神」
モダン 「-な服装」 シンプル 「-なデザイン」 広辞苑から
他の辞書のような「形動」という品詞表示をしなくとも、こういう例をきちんとあげてあれば、使用者はそういう用法があることがわかります。
次の三語の用例は、現代語辞典である岩波国語辞典と比べてみても、よくやっているなと思わせます。
不明 「-な点を問いただす」
不明瞭 「-な発音」「-な印象」
不明朗 「-な会計」 広辞苑から
岩波国語辞典はというと、
不明 ①〘名ナノ〙明らかでないこと。はっきりとは分からないこと。
不明瞭〘名ナノ〙はっきりしないこと。「発音が―だ」
不明朗〘名ナノ〙何か隠し事やごまかしがありそうなさま。 岩波
用例のない項目・用法があります。岩波は用例の少ない辞書です。
私の調べた中では少なかったのですが、「~な」の用例がないものもありました。
ひま 「-をもて余す」 (「~な」の例なし)
不運 「身の-」 (「~な」の例なし) 広辞苑
この書き方だと、「ひま」「不運」は一般の名詞用法のみで、「形容性名詞」あるいは「形容動詞」の用法はない、と思われかねません。
もちろん、用例がないからと言ってその用法がないことにはなりませんが、辞典の使用者はその用法の有無について情報を得られません。
これは、国語辞典として大きな欠点となります。
他の辞典でこれらの語を見てみると、明鏡が「~な」の用例をあげています。
ひま 名 「忙しくて昼食をとる━もない」
形動「━な人に仕事を手伝ってもらう」
不運 名・形動 運が悪いこと。悲運。「━な境遇」「━の身」「━に泣く」 明鏡
また、前々回の記事で引用した、形容動詞の例をあげた部分を再掲しますが、
なお、形容動詞の語幹となる語には、次のような種類がある。
(1)和語から成る。「静か」「穏やか」「朗らか」「悲しげ」など。
(2)漢語から成る。「親切」「丁寧」「立派」「堂々」「滔々」など。
(3)外来語から成る。「モダン」「ノーマル」「ファナティック」など。
(p.2892)広辞苑 第五版
(1)の中の「悲しげ」は項目自体がありませんでした。「~げ」の形は形容詞の派生語と考えるのでしょう。項目として立てない方針のようです。
(3)の「ノーマル」「ファナティック」には「~な」の例はありませんでした。外来語の形容動詞は見過ごされやすくなります。
結局のところ、他の辞書で形容動詞とされる語すべてに「~な」の用例をつけていくのは、かなり無理があります。何らかの品詞表示をするほうがいいでしょう。
広辞苑の品詞体系は、他にもおかしなところがあります。それについては別に書きたいと思っています。
さて、以上述べてきたように、連体修飾の「~の/な」の違いを明示しない国語辞典は、日本語教師、あるいは現代語の文法を研究する者からすれば、非常に大きな問題を抱えていると言わざるをえないのですが、一般の国語辞典使用者には「形容動詞」という品詞の有無・是非など大した問題ではなく、広辞苑は「権威ある辞書」とされており、その(小さな?)欠点は無視されてしまうのでしょう。