「とても・大変・非常に」という語が国語辞典でどう説明されているかを見ます。
どれも程度を強調する副詞で、よく使われるものですが、さて、どういう違いがあるのか。それとも、違いはないと言ってしまってもいいのか。
とても面白い
大変面白い
非常に面白い
話しことばでは「すごく面白い(あるいは「すごい面白い」)」も多く使われるのでしょうが、こちらは、まじめな文章では使えない語、ということで別にします。
国語辞典の一つの例。(「とても」の否定と呼応する用法は省略します。)
とても(副)非常に。たいへん。「-きれいだ」[用法]話しことばでは、「とって
も」の形でも使う。
大変(副)非常に。「-お世話になりました」[類]たいそう・はなはだ・きわめて
非常(形動)ふつうの程度をこえて、はななだしいようす。「-に寒い」[類]たい
へん・たいそう・とても・きわめて 三省堂現代新
まあ、これではどうにもなりません。
この辞書が特に悪いというわけでもなく、他の辞書も多くは似たり寄ったりです。
とても(副)並の程度を超えていると判断する様子。「-きれいだ/-苦しい」
大変(副)-に 並の程度をはるかに超えている様子。「-結構です/-お世話に
なりました/-にすばらしい」
非常に(副)普通に考えられる程度をはるかに超えた段階にある様子。「-ために
なる話だ/-おもしろい/-残念だ」 新明解
とても(副)程度がはなはだしいさま。非常に。たいへん。「今日は━寒い」
「━すてきな作品だ」「━よく効く薬だ」
大変(副)程度のはなはだしいさま。「━残念だ」「━お世話になりました」
非常(形動)程度がはなはだしいさま。「━な喜び[努力]」「━に小さい」「━に
驚いた」「━に高価な品」 明鏡
とても(副)程度が大きいこと。たいへん。とっても。「―いい」「―きれいだ」
大変〘ダナ・副〙程度がはなはだしいさま。「―(に)暑い」「―勉強している」。
特に、苦労が並々ではないさま。「―な仕事だった」
非常 ①〘ダナ〙一通りでないさま。はなはだしいさま。「―に大きい」 岩波
辞書による違いとしては、「非常に」の形を副詞とするのは新明解だけだということ。
また、「大変に」の形を認めるのは新明解と岩波であること、ぐらいでしょうか。ただし、岩波は〘ダナ・副〙としているので、「大変暑い」は副詞で、「大変に暑い」は形容動詞(「ダナ」)の連用形と考えるということかもしれません。
いくらか、それぞれの違いを書こうとしている辞書もあります。まず、例解新国語辞典です。
とても(副)非常に。たいへん。ややくだけた言い方。[用例]とても景色のよい
海岸。[類]たいそう。▽「とっても」とも言う。
たいへん(副)非常に。とても。ややあらたまった言い方。[用例]たいへん失礼
しました。[類]たいそう。相当。かなり。
非常(形動)ふつうの程度をはるかにこえている。[用例]非常な努力。あの番組は
非常におもしろい。[類]たいへん。きわめて。とても。はなはだ。 例解新
「とても」は「ややくだけた」、「たいへん」は「ややあらたまった」言い方、とします。
「非常」についても何か書いてほしいところです。これがいちばん書きことばに近いのではないでしょうか。例えば、小さい子どもがアニメを見て「とても面白かった」というのは自然ですが、「大変面白かった」というと変な感じがしますし、「非常に面白かった」と言ったら、この子はどういう子だ?と思うでしょう。
また、「非常」を形容動詞としながら、類義語として副詞を多くあげているのはどうもぴったりしません。
もう一つ、第八版になって、こういう類義語の「区別」についていろいろ説明を書くようになった三省堂国語辞典を。
(「大変」の項の[区別]から)
「たいへん」「非常に」は程度の大きさをあらわす基本的な語で、いろいろな場合
に広く使える。「非常に」のほうがややかたく、意味も強い。「とても」も広く使え
るが、話しことば的。文章語では「とてもできない」など不可能の強調にしか使わ
ない人もいる。「すごく」はより話しことば的で、感情をこめる。 三国
よく書いていますが、「~人もいる」という書き方は、辞書として適当かどうか、という気もします。その「人」は典型的な例とは言えないでしょうから。そういうことを言い出すと、いろいろ極端な「人」のことを考えねばならなくなります。
類語辞典では何か違いを書いているでしょうか。
とても 程度がはなはだしい様子。「きょうは~疲れた」「試験に受かって~うれ
しい」
とっても 「とても」を強めた、より口語的な言い方。「心のこもったプレゼント
をもらって~うれしかった」
非常に 「とても」のかたい言い方。「朝まで友と語り合い~楽しい夜を過ごした」
「夜中に家まで押しかけて来られるのは~迷惑だ」
大変(に) 「非常に」の、より口語的な言い方。「このたびは~お世話になりまし
た」「~よくできました」 講談社類語
「非常に」は「とても」の「かたい言い方」で、「大変(に)」は、「「非常に」の、「より口語的な言い方」です。さて、「とても」と「大変(に)」の関係やいかに?
類語辞典ですから、これらの項目がこの形で並んでいるわけで、この原稿を見た編集者は何も引っかからなかったのでしょうか。
「類義語使い分け辞典」(研究社)を見てみましょう。
けっこう詳しく書いてあります。日本語学習者のための辞書なので、このような、日本人(辞書編集者も含む?)にとってはあまり気にならない、日常的な類義語の違いについて何とか説明しようとしています。
とても:状態語を伴い、程度が標準をはるかに越える。
非常に:状態語を伴い、程度が標準をはるかに越える。文章語・改まり表現。
[置換] 置き換え不能。「とても」は、(多数の例省略)その状態の程度のひどさ・
すごさを表し、喜怒哀楽・驚き・意外・後悔・残念・非難などをほのめかす主観
的な判断をし、文体を換えれば、すべての場合に「非常に」と置き換わる。「と
ても」の口語形「とっても」は感情表現を強調する場合に用いられる。
「非常に」は(略)意味上は「とても」と同じであるが、客観的評価をする改まっ
た言葉なので、日常の口語表現で使うと不自然になる。(略)
[補足](略)「大変」も意味上は「とても」と同じで、文体を換えれば置き換えが
可能。「非常に・大変・とても」の順で文章語から口語へ、客観的評価から主観的
判断へ移行し、特に「大変」はやや改まった挨拶言葉で使われ、「ありがとうござ
います・すみません・お寒うございます」などには「大変」しか使うことができ
ない。「申し訳ありません」に「大変」を使うと、感謝・お詫びの両方に使えるが、
「非常に」に置き換えると、陳謝の意味しか表せない。 類義語使い分け辞典
省略してしまった部分に例がたくさんあげられていて、非常に(とても・大変)よいと思いますが、ところどころ私には賛成できない説明があります。
「非常に」を「客観的評価」としていますが、例えば、誰かの失礼な言動に対して、吐き捨てるように「非常に不愉快だ」と言うことがあり得ると思いますが、これを「客観的評価」と言えるかどうか。
また、いちばん初めの「置き換え不能」というのは、文体が違う、ということでしょうか。「とても/非常に 難しい問題だ」という場合、私はそんなに文体の違いを感じません。
「現代副詞用法辞典」(東京堂)という専門的な辞典を見てみます。
「とても」の項には「話者の主観として程度のはなはだしい様子を表す」とあり、
「とても」は「ひじょうに」「たいへん」「すごく」などに似ているが、「ひじょ
うに」はややかたい文章語で、公式の発言などに多用され、程度がはなはだしい
ことを誇張する様子を表す。「たいへん」も誇張的で、慨嘆・驚き・感動・丁重
などさまざまの暗示を伴う。「すごく」はくだけた表現で日常会話中心に用いられ、
やはり程度を誇張し、感嘆・あきれなどの暗示を伴う。
今日はとても寒い。 (寒い程度がはなはだしい)
今日は非常に寒い。 (特筆すべき寒さだ)
今日はたいへん寒い。 (寒くてたまらない)
今日はすごく寒い。 (雪でも降るんじゃないか) 現代副詞用法辞典
という説明、例とその意味合いの違いの解説?があります。
また、「たいへん」の項には、「「とても」はかなり冷静な表現で、誇張の暗示はない。」と書かれており、次のような例が並べられています。
たいへん大きな被害をこうむった。 (重大で途方にくれるほどだった)
とても大きな被害をこうむった。 (大規模な被害だった)
非常に大きな被害をこうむった。 (重大で深刻な被害だった)
たいそう大きな被害をこうむった。 (被害は並たいていではなかった)
「ひじょうに」の項には、「「とても」はかなり冷静な表現で、対象との心理的な距離を暗示する。」という説明があります。上のような他の類義語との比較の例文はありません。
さて、この「現代副詞用法辞典」の解説はいかがでしょうか。
私は…、あまり賛成できません。「寒い」の例、「大きな被害」の例では、かっこの中のような意味合いの違いは感じられません。もっと違いの出る例を探したほうがいいと思います。
例えば、新明解の用例「大変けっこうです」は、「とても・非常に」では言いにくいように(私の語感では)思います。
また、これはもっと微妙かも知れませんが、「今回の上演は、非常に期待はずれの結果でした」は、「とても・大変」では(私には)ぴったりしません。(それはなぜかと聞かれると、私にはいい説明がありません。「改まった」言い方だからでしょうか。)
こういう語感は人によって違うのかもしれませんが、もう少し、いろいろと探してみるといいのでしょう。
「とても」についての、「「とても」はかなり冷静な表現で、対象との心理的な距離を暗示する。」という説明は、私には?です。
それでも、こういう説明を見ると、あれこれ考えるきっかけになり、いろいろと書いてくれることはよいことだと思います。
国語辞典の話に戻って、(詳しい)類義語辞典・副詞辞典ほどの解説を小型国語辞典に求めるのはむりな話ですが、もう少し、何か考えたということが感じられるような説明があれば、と思いました。
今回見た中では、三国がいちばんよいと思います。