ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

赤提灯

暑い日が続いていたのですが、今日は、雨のせいもあってけっこう涼しくて助かりました。さて、涼しくなってくると、恋しくなるところです。

 

  あかちょうちん  (看板として赤いちょうちんを店先にさげた)一杯飲み屋。あかぢょうちん。

           三省堂国語辞典

 

赤いちょうちんがあるのはわかるのですが、「一杯飲み屋」とはどういうところをいうのでしょうか。このことばはそのまま項目にはなっていませんでした。「いっぱい」の項に用例として出ています。

 

  いっぱい  ①すこしの酒(を飲むこと)。「-やる・-(飲み)屋」

 

つまり、「赤ちょうちん-赤いちょうちん=一杯飲み屋」とは、少しの酒を飲ませる飲み屋、のこと? そうでしょうか? 確かに、ちょっと軽く飲む店、だとは思うのですが、何となく不満です。

では、そもそも「飲み屋」とは。

 

  飲み屋  てがるに酒を飲ませる店。居酒屋。

 

え? 私の語感では、「飲み屋」と「居酒屋」は違うような気がします。どこがどうとははっきり言えませんが。

 

  居酒屋  腰かけさせて、てがるに酒を飲ませる店。飲み屋。

 

ふむ。「居酒屋」とは、まさに「腰掛けさせて」という意味があったあのかもしれませんが、今、特にそういう「飲み屋」をいうわけでもないでしょう。(他の飲み屋もふつうは座って飲みます)

ここまで見てくると、結局、「居酒屋」も「赤ちょうちん」も「一杯飲み屋」も同じようなもの、となってしまうようです。「赤ちょうちん」の特徴は「赤いちょうちん」だけで。

「飲み屋」の類語に「酒場」というのもあります。

 

  酒場  客に酒を飲ませる店。居酒屋。バー。「大衆-」

 

おや? 酒場とはバーですか? これは、酒場の例としてあげてあるのでしょう。居酒屋は和風の酒場で、バーは洋風の酒場の例として。わかりにくい書き方です。(居酒屋は「飲み屋」でもありました。酒場も飲み屋も同じ?)

さて、結局、「あかちょうちん」とはどういう飲み屋を指すのか、他の店はそれぞれどう違うのか、三省堂国語辞典の説明をあれこれ読んでいってもはっきりしません。皆、同じようなものだ、というのが結論でしょうか。

他の辞書ではどうなっているのでしょうか。

 明鏡では、

 

  飲み屋  酒を飲ませる店。居酒屋。
  酒場  客に酒を飲ませる店。

 

この「客に」の有無は何なんでしょうか。結局同じものを指すのでしょうが。

 

  居酒屋  安い料金で酒を飲ませる酒場。大衆酒場。△古くは店先で酒を飲ませる酒屋を言った。
     大衆  世間一般の人々。庶民。民衆。「━演劇[酒場]」△狭義では農民・労働者などの勤労階級をいう。

 

居酒屋の注釈はいいですね。「居」は「すわる」のではなく、たんに「いる」ことを意味すると考えればいいということでしょう。今言うところの「イートイン」みたいな。ちょっと違うかな?

それにしても、居酒屋って「大衆酒場」なんですか。「大衆酒場」というと、私にはちょっと古い感じのことばです。「居酒屋」がそれに取って代わりつつあるということでしょうか。

 

  赤提灯  店先に赤い提灯をつるした大衆向きの飲食店。一杯飲み屋。赤ぢょうちん。
  一杯   わずかの酒をいう語。「軽く━ひっかける」「━飲み屋(=大衆酒場)」

 

ふむ。赤ちょうちんは「飲食店」扱いですね。でも、「一杯飲み屋」を介して、結局は「大衆酒場」、つまりは居酒屋のことになるようです。

明鏡も、どれも同じようなもの、という判断でしょうか。

 

  新明解を見てみましょう。


  飲み屋  居酒屋など、庶民が気軽に立ち寄って酒を飲めるような店。
  酒場  客に酒を飲ませる店。バーや居酒屋。「大衆-」
  居酒屋  庶民に安上がりで酒を飲ませる店。大衆酒場。飲み屋。
  赤提灯 〔目につきやすいように店頭に赤い提灯をぶら下げることから〕「居酒屋」の俗称。あかぢょうちん。

 

新明解も、どれも気軽で安い店、ということのようです。赤ちょうちんは「居酒屋の俗称」だそうです。

あ、でも、「酒場」は、特に「安い」とは書いてありませんね。高いバーもあるのでしょう。

その、気軽でなく酒を飲む(高い)店は何というのでしょうか。「高級酒場」かな?

 

私には、講談社類語辞典の書き方がわかりやすく整理してあるように感じられました。これが正しいと言っていいかどうかはまた別ですが。

  

  飲み屋  酒を飲みたい人に、酒・食事を提供する店。 
  酒場  酒を取りそろえ、客に飲ませる店。「大衆~」◇「飲み屋」では食事も出すのに対し、「酒場」では食事を出さない、酒中心の店も含む。たとえば、バーは酒場だが飲み屋ではない。

 

「飲み屋」は食事も出す。「バーは酒場だが飲み屋ではない」という説明は、何となく納得させられます。


     居酒屋  安く酒を飲ませる大衆的な飲み屋。
  一杯飲み屋  簡単なつまみで軽く飲ませる小さな店。
  赤提灯  [俗]小さな居酒屋

 

居酒屋は安く、「飲み屋」なので食事も出す。それに対して一杯飲み屋は「簡単なつまみ」だけで、しっかり食べるわけではない。じっくり飲めるわけでもない。で、赤ちょうちんは、居酒屋の小さいもの、(ガード下かなんかにある感じ?)という説明です。なんとなく、わかったような気になりました。

しかし、世の中の人がみんなこのように使い分けているかどうかはまた別のことでしょう。

それにしても、ほかの国語辞書も、この程度にはそれぞれの語の意味合いを説明し分けてほしいものだと思います。せめてその努力が感じられるようには。

 

  

暦(の上)

「秋」の話の続きです。

明鏡国語辞典の「秋」の説明の中に、「陽暦では九~十一月、陰暦では七~九月。暦の上では立秋から立冬の前日まで、天文学では秋分から冬至まで。」という部分があり、それはそれでなるほど、と思ったのですが、改めて考えると、「暦の上」とは何のことかと思います。

 

  暦  一年間の月・日・曜日・祝祭日・月の満ち欠け・日の出・日の入り・干支えとなどを日を追って記したもの。七曜表。カレンダー。「━の上ではもう春だ(=立春になった)」△「日か読み」の意。
           [明鏡国語辞典 第二版]

 

陽暦」と「陰暦」はどちらも「暦」のはずです。では、「暦の上」とは? 

上の用例では、立春になることが「暦の上で春になる」ことのようです。

 

  りっ‐しゅん【立春】 二十四節気の一つ。暦の上で春が始まる日。太陽暦の二月四日ごろ。
       [明鏡国語辞典 第二版]

 

ここにも「暦の上」とありますが、その説明は辞書の中で探し当てられません。「二十四節気」を見てみます。

 

  にじゅうし‐せっき【二十四節気】 太陰太陽暦で、一太陽年を太陽の黄経に従って二四等分し、それぞれに季節の名称を与えたもの。春は立春・雨水・啓蟄けいちつ・春分清明穀雨、夏は立夏・小満・芒種ぼうしゅ・夏至小暑大暑、秋は立秋処暑・白露・秋分寒露霜降、冬は立冬小雪・大雪・冬至小寒大寒に分ける。二十四気。
    [明鏡国語辞典 第二版]

 

さて、難しくなりました。「太陰太陽暦」だそうです。

 

  たいいんたいよう‐れき【太陰太陽暦】 月の満ち欠けを基本にして、太陽の運行を考えて修正を加え、季節とのずれを少なくした暦。一九年に七回の閏月うるうづきを設けて一三か月の一年をつくる。陰暦。旧暦。
△一般に「太陰暦」「陰暦」「旧暦」といわれるものはほとんど「太陰太陽暦」のこと。日本では一八七二(明治五)年まで用いられた。
      [明鏡国語辞典 第二版]

 

はあ。つまりは「陰暦」のことだそうです。

あれ? 初めの「秋」のところでは、「陰暦では七~九月。暦の上では~」とありました。つまり、「陰暦」と「暦の上」は別のものを指していたはずです。

さて、わからなくなりました。「暦の上」って何なんでしょうか。

「秋」のところで、明鏡の説明を紹介したあとで、「広辞苑大辞林などもほぼ同内容」と書いてしまいましたが、不正確でした。広辞苑には「暦の上」つまり「立秋から立冬の前日まで」という記述はなく、大辞林は、

 

  陰暦では七月から九月まで。また、二十四節気では立秋から立冬まで。

 

と書いています。「暦の上」とは書いていません。

また、デジタル大辞泉は次のように書いています。

 

  日本では9・10・11月をいう。暦の上では立秋から立冬の前日まで(陰暦の7月から9月まで)

 

この書き方だと、「暦の上」とは陰暦のことと読めます。結局、そういうことなのでしょう。「立秋から立冬」は、ほとんど「陰暦の7~9月」と重なるというわけです。

つまり、明鏡の書き方がおかしかったんじゃないか。「暦の上では」を陰暦とは別のことのように読ませてしまうのは誤りなのではないか、と思うのですが、どうでしょうか。

 

秋口

秋に関係する語についての短い話。

 

  秋口  秋のはじめのころ。    三省堂国語辞典

 

これで悪いわけではないのですが、次のような注釈があるとちょっとうれしくなります。

 

   [参考]「・・・口」という形での季節の言いかたは「秋口」だけで、「春口」「夏口」「冬口」とはいわない。       例解新国語辞典

 

もっと短く書くと、

 

  [注意]春・夏・冬には「・・・ぐち」とは言わない。    学研現代新国語辞典

 

なくてもいいような、ちょっとしたことですが、あるとうれしいです。

でも、なぜ「秋口」だけなんでしょうね。 

 

東京を直撃する台風が来ています。で、「秋」です。

いつもの順で、まず三国から。

 

  三省堂国語辞典 

   四季の第三。夏の次で冬の前。だいたい九・十・十一月〔旧暦では七・八・九月〕の三か月。すずしくてしのぎやすい。「読書の-」(⇔春)

 

「だいたい」というのはどこでの話なんでしょうか。東京か、青森か、鹿児島か。北海道や沖縄は、(日本での)季節の話をするときに例外としても怒られはしないと思いますが、あまりにも東京中心主義ではいけないでしょう。

三国と似たような書き方の三省堂現代新国語辞典は、「ふつうは、九月・十月・十一月の三か月。」と書いています。9~11月でないと、「ふつう」ではない?

さて、青森や鹿児島の人も、「秋」というと9~11月、と思うのでしょうか。

「涼しくてしのぎやすい」というのは、夏と比べての印象で、まあ、多くの人が賛成するでしょうか。晩秋は寒いとしても。

 

次は新明解。

 

 新明解国語辞典

  〔温帯で〕暑い夏が終わり寒い冬になるまでの間の、さわやかな気候の季節。木の実が生り、台風が来る、九・十・十一の三か月。「忍び寄る-の気配/-が深まる/-たけなわ」

      

「温帯で」というところ、ちょっと気を配っています。「木の実が実り、台風が来る」というのも、季節感があっていい?

いやしかし、「温帯」と言ってしまったので、ヨーロッパなどの「秋」も同じ定義に入ってしまいます。そのことは、視野が広くて、悪いことではないのですが、ヨーロッパには台風は来ませんよね。

気を配ったつもりが、落とし穴を掘ってしまったような、、、。

あと、新明解が旧暦に触れていない、というのも意外な気がします。これも日本以外のことを考えに入れているから?(南半球のことを考えていない、というのは、ちょっと意地悪すぎますか、、、。)

 

明鏡はちょっと詳しく書いています。

 

 明鏡国語辞典

  四季の一つで、夏の次、冬の前にくる季節。陽暦では九~十一月、陰暦では七~九月。暦の上では立秋から立冬の前日まで、天文学では秋分から冬至まで。生活感覚では、朝夕の涼しさを実感するころから木枯らしが吹き始めるころまで。

 

陽暦・陰暦・「暦の上」・天文学まで書いています。「ふつうは」などと言うより、こういう各種のとらえ方を並べてしまうほうがいいでしょう。実際の生活は「(太)陽暦」に基づいているわけですから。このあたりは、広辞苑大辞林などもほぼ同内容です。

明鏡は「生活感覚」以下がいいですね。「涼しさを実感する」とか、「木枯らしが吹くまで」とか。

こんな感じでいいのかなあ、と思います。

 

個性的なのは岩波です。

 

 岩波国語辞典

  夏の次の季節。立秋から立冬の前日まで。わが国では俗に九・十・十一の三か月。草木がもみじし、多くの植物が実る。
 

「暦の上で」とよく言われる「立秋から立冬の前日まで」が正しい。「だいたい・ふつうは」9~11月というのは「俗に」そう言うだけ。(他の辞書への批判?)

浅学の私は「もみじする」という動詞が実際に使われるのを初めて見ました。

 

秋寒(あきさむ)

まだ暑いのですが、気持ちだけでもこんな語を。

 

  三省堂国語辞典  秋寒 秋に感じる寒さ。

 

これでは何だか。「秋風」では三国がよかったのですが。

 

  デジタル大辞泉  秋になって感じはじめる寒さ。秋冷。

  大辞林  秋が来たことを思わせる寒さ。

 

「秋になって」寒さを感じるのでしょうか。「秋が来たことを思わせる」のは、まずは涼しさだと思うのですが。

 

  明鏡  秋になって感じられる寒さ。特に、朝夕の寒さ。秋冷。

  新明解  秋になって朝夕に感じられる冷気。「あきざむ」とも。

 

なるほど。日中は涼しくて気持ちがいいけれど、朝夕は「冷気」に寒さを感じ始める。これならわかります。

 

  現代例解  秋の半ば以後に感じる寒さ。秋冷。「秋寒の身にしむ今日このごろとなりました」

 

おや? 「秋になって」、ではなくて、「半ば以後」だそうです。

それなら、ふと、寒さを感じる日があっても不思議はありません。

 

  広辞苑  秋の半ばを過ぎる頃、特に朝夕に感ずる寒さ。秋冷。

 

「半ば過ぎ」でしかも「朝夕」、これなら確かに寒い。でも、季節感を感じるというには、少し遅すぎるような気もします。

 

しかしまあ、辞書によってなんでこんなに違うんでしょうか。

日本人は季節の移り変わりに敏感だと言われますが、それぞれ自己流に感じているだけなのでしょうか。

あいびき

軽い話を。

 

  あいびき(名・自サ)〔古風〕恋人どうしがこっそり会うこと。密会。

                三省堂国語辞典

 

この語釈はいいのですが、用例がほしいところです。「古風」な雰囲気が感じられるような。

 

  〔古風な言い方で〕愛し合っている二人が人目を忍んで会うこと。ランデブー。密会。忍び会い。「女と-する」

                 明鏡国語辞典

 

ふむ。ちょっとそっけない用例ですが、「逢い引きする」という動詞の相手には「ト格」の名詞をとる、という文法的な情報です。まじめな明鏡。

 「ランデブー」は、人目を忍ばなくてもいいように思うのですが、それはいいことにして。

 

  恋をしている男女がこっそり会うこと「-を重ねる」〔やや古風なことば〕

                  学研現代

 

そうですね。逢い引きが一回限りで終わっては寂しい。何度も会ううちに思いが募るのです。「こっそり」会うことを繰り返していると、周囲に気がつかれないか、という恐れも強くなってきて、気持ちが高まってきます。

 とどめは、現代例解の次の例。

 

  「神社の境内で逢い引きする」  現代例解国語辞典

 

これです! やはり、逢い引きは雰囲気が大切です。神社の境内、いいですねえ。いかにも「古風」です。縁結びの神様だったりして。

こういう例文をのせる編集者は、みずからの経験に基づいて例文を考えているのでしょうか。

 

秋風

暑い日が続くと、早く秋にならないかなあ、と思います。

秋風、というのはなかなか語感のいいことばだと思いますが、さて、辞書では何と説明しているのでしょうか。

 

  大辞林三省堂現代  秋に吹く風。


何ですか、これは。これでは秋風のさわやかさが伝わってきません。

 

  広辞苑  秋になって吹く風。

 

だから、夏の風とどう違うのか。そこを書いてほしいのです。

 

  明鏡  秋に吹く(涼しい)風

 

最低限、これぐらいは書いてほしい。なぜこう書けないのか。

 

  新明解  秋に吹く、肌寒い風。

 

これは行きすぎです。夏の暑さが好きなのでしょうか。

 

  -が吹く(立つ)〔=男女の間の愛情がさめる。何かの流行が下火になる〕 (新明解)

 

この表現のことが頭にあるからでしょうか。秋風のマイナス面を言っておきたい。

 

  学研現代  秋にふく風。[参考]「さわやかな、しかし無情な風」の感じをふくむ。

 

「さわやか」はぴったりですが、男女のことにつなげたいために「無情な風」というのはやはり言い過ぎです。「無情な風」って、どんな風なんでしょう?

 

  三国  秋にふく、さわやかなひやりとした感じの風。


これがいいですね。夏が過ぎてさわやかさを感じつつ、「ひやり」という冷たさもある。これだけで、十分男女の話にもつながります。

それにしても、早く秋風が吹かないものでしょうか。