ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

お父さん

前に「お母さん」「ママ」という記事を書いたことがありますが、「お父さん」「パパ」を書いていませんでした。各辞書とも、「お母さん」と同じような書き方をしていて、その短所・長所も同じようなものになります。

 

まずは、いろいろと足りない明鏡から。(明鏡が特に悪いわけではなく、多くの小型国語辞典はこのレベルです。)

 

    父親を親しんで、また、高めて呼ぶ語。⇔お母さん
    [使い方](1)「とうさん」とも。より丁寧な言い方は「おとうさま」。くだけた
  言い方は「(お)とうちゃん」。(2)子供のいる夫婦などで、妻が夫を呼ぶのに
  使うこともある。
  [注意](1)他人に対して、自分の父親を「お父さん」というのは、不適切。
  「×お父さん(→○父)に聞いてみます」(2)「おとおさん」と書くのは誤り。
                               明鏡

 

何が足りないかは、他の、詳しく書いてある辞書と比べてみるとわかります。

まず、新明解を見てみましょう。

 

    〔もと「父」の意の幼児語「とと」に基づく「御(オ)とと様」の変化「御とう様」
  の口語形。口頭語形は、「おとうちゃん・おとっつぁん」〕「父」の尊敬語。
  自分の父親に呼びかける(を指して言う)語。また、相手や話題にしている
  第三者の父親を指して言う。⇔お母さん[表記]→付表「父さん」
  [運用](1)他人に対して自分の父親を言う場合は「ちち」が普通だが、親しい
  間柄では「うちのお父さん」のように言うこともある。(2)子供のある夫婦の
  間で、妻が夫に呼びかけるのにも用いられる。(3)父親の立場にある男性に
  呼びかける(を指して言う)のにも用いられる。例、「会場のお父さんたち」
  〔(1)(2)は「父さん」とも〕                新明解

 

まず、明鏡の語釈の最初のところ、「子が父親を~」のようにはっきり書いたほうがいいでしょう。新明解は「自分の父親に」としています。

また、明鏡には「相手や話題にしている第三者の父親を指して言う」というごく当たり前の使い方がなぜかなく、新明解の[運用](3)の用法も書いてありません。

明鏡の[注意]の(1)、

  他人に対して、自分の父親を「お父さん」というのは、不適切。

ということが一般に言われますが、新明解の[運用](1)、

  親しい間柄では「うちのお父さん」のように言うこともある。

のほうが、実際の使われ方をよく観察していると思います。「不適切」かどうかは、かなりその場面によるでしょう。「他人に対して」だけで済ませるのはおおざっぱです。

岩波もいろいろ足りません。

 

  ①父親に対する普通の言い方。▽もっと丁寧には「お父さま」等。
   他人に対して自分の父親を言う時は「ちち」と言うのが普通。
   「おとうさん」は明治時代に国定教科書を編むに当たっての新造と言われる。
   もとの東京語では「父上」や「おとっつぁん」「とうちゃん」など。
   「ちゃん」はよほど下層でなければ使わなかった。
  ②広く、大人の男性に呼びかける時に使う語。        岩波

 

岩波も、

  他人に対して自分の父親を言う時は「ちち」と言うのが普通。

としていますが、「他人」とはだれか。

 

  他人 ①つながりのない人。㋐親族・親類でない人。「―のそら似」「赤の―」
      ㋑何の関係もない人。「―の出る幕じゃない」
     ②ほかの人。自分以外の人。「―の事ばかり気にする」   岩波

 

例えば、(女子)高校生・大学生が友達と話すとき、「父」というのはどうか。
「友達」は「他人」ではないか。(男子だと、「親父」と言うのでしょうか。)
 
岩波の、東京語では「おとっつぁん」「とうちゃん」だったというのは、それはそれで重要な情報ですが、現在の細かい用法は要らないと考えているのか、それとも、細かい用法を知らないのでしょうか。「父親に対する普通の言い方」というだけでは、まったく不十分です。

明鏡は「高めて呼ぶ語」とし、新明解は「「父」の尊敬語」としています。岩波の「普通の言い方」というのはどういう場合に「普通」なのか。「他人に対して」言うときは「ちち」が「普通」なんですね。また、「もっと丁寧には」という補足のしかたは、「お父さん」自体が「丁寧」であるかのようです。この辺、記述が整理されていません。

さらに、岩波の

  ②広く、大人の男性に呼びかける時に使う語。

というよくわからない説明(いつ、どういう場面で「呼びかける」?)と、新明解の

  (3)父親の立場にある男性に呼びかける(を指して言う)のにも用いられる。

   例、「会場のお父さんたち」

という説明、用例とを比べてみてください。岩波の記述は、どうにも手抜きの感があります。

 

新明解よりもさらに細かい情報がある三国。

 

  1自分の父を、敬意と親しみをこめて呼ぶことば。〔家族が子どもの父を、また、
   父が自分自身をさしても言う。義父のことも言う〕「ー(になついた)子」
   [区別]改まった場で自分の父を人に言うときは、「お父さん」は子どもっぽく、
   「父」が礼儀正しい。改まりすぎるのをきらって「父親」と言う人もいるが、
   他人のような呼び方でもある。(男性は)親しい人の前では「おやじ」とも。
   [表記]義父は「お義父さん」とも。
  2<相手/他人>の父を尊敬して言うことば。「ーによろしく」
  3子どものいる男性をさすことば。「最近のーたち」
  4動物の父。「ーネコ」
  ▽とうさん。(お)とうちゃん〔俗〕。〔「(お)とうさま」は、より敬意の高い
   言い方〕(⇔お母さん)                      三国  

 

最初の、〔家族が子どもの父を、また、父が自分自身をさしても言う。義父のことも言う〕というところですね。
おばあちゃんが孫に、「お父さんに聞いてごらん」などと言う場合や、「お父さんが教えてあげる」などと父親自身が言う場合があるのです。「義父」のことまで配慮しています。
また、「父」との使い分けに関しては、

  改まった場で自分の父を人に言うときは、「お父さん」は子どもっぽく、「父」が
  礼儀正しい。

「改まった場」と限定していて、新明解の「親しい間柄では」と対応しています。

 

次は、用例の詳しい辞書2つ。

 

 {明治末期以後、「お母さん」とともに国定教科書にとりあげられ、一般化した語}
  子供が自分の父親を敬い親しんで、それに呼びかけるとき、また指示するときに
  用いる語。〔子供以外の人が父親の立場にある人を敬い親しんで、それに呼びかけ
  るとき、また指示するときにも使うことができる。また、父親が子供に対して
  自らをさしていうこともある〕
  [参]口語では、父親の意を表す類語の中で、最も標準的な言い方とされる。自分の
  父親を指して、対外的に用いるときは、「父」がより標準的な言い方とされる。
  「(子が父親に)ー、お願いがあります」「(子が)私はーが大好きよ」「(子の
  友達が)彼女のーはとっても優しい人よ」「(妻が夫に、母がその息子に)ー、
  お食事ですよ」「(父が子に)ーの若いころはもっと勉強したものだ」 
  [類]お父さま。父さん。父ちゃん。おとっつぁん。パパ。父。父上。おやじ(さん)。
  [対]お母さん。                      学研大

 

  (明治末期以後、国定教科書により、それまでの「おとっさん」などに代わって
  広く一般に用いられるようになった語。⇔お母さん)
  1ア 子が自分の父親を敬い親しんで、呼びかけるときに用いる語。[例]お父さん、
   遊んで。イ 子が家族内で話すとき、父親をさしていう語。[例]お母さん、
   お父さんは? ◆子が他人に対し自分の父親をさしていうときは、敬称を
   除いて「ちち(父)」というのが礼儀とされたが、現在は子供の言い方では、
   「お父さん」ということも多い。ウ 子のいる家庭で、子以外の者が、父親の
   役割にある人を敬い親しんで呼びかけたり、その人をさしていったりする語。
   [例]お父さん、先に寝ますよ/お父さんはおまえが心配なのよ。エ 父自身が
   子に対して、自らをさしていう語。[例]お父さんに貸してごらん。
  2相手や他人の父親を敬い親しんでいう語。[例]お父さんによろしく。/A君の
   お父さんはプロ野球の選手です。
  ◆改まった言い方で、「お父さま」が用いられることもある。 →「父」の<類語>
                             小学館日本語新 
  
適切な例文をよくあげてあります。

学研大の「(妻が夫に、母がその息子に)ー、お食事ですよ」という例は、ちょっと時代の違いを感じてしまうのですが、これは私の家庭がそういう家庭ではなかったということでしょうか。

小学館日本語新には、「「父」の<類語>」という一覧表があり、多くの言い方が整理されています。こういう、日本語のもっとも基本的な語をしっかり解説しようという態度が表れているのだと思います。