国語辞典の「自動詞・他動詞」(17):「喜ぶ」「怒る」
心理を表す動詞の続きです。
喜怒哀楽の喜と怒、「喜ぶ」と「怒る」「憤る」。自他の判定が揺れます。
(哀楽、「悲しむ」「楽しむ」はどの辞書も他動詞とします。なぜでしょうか。)
「喜ぶ」を自動詞とする国語辞典が4冊、基本的に他動詞とするのが4冊、自他両用が2冊。
喜ぶ 怒る 憤る
新明解8 自 自他 自
明鏡3 (自)他 自他 自他
三国7 自 自 自
岩波8 他 自 自
学研新6 他 自他 自他
三現新6 他 自 自
小学日 自他 自他 自(他)
集英社3 自 自他 自
旺文社11 自他 自他 自
新選9 自 自 自
喜ぶ(自五)(なにニ-/なにヲ-)よい事に出あって非常に満足し、うれしい(あり
がたい)と思う。「親孝行をして、父の-顔が見たい/人に喜ばれる親切/
人の注意を喜んで聞く/手放しで-のはまだ早い」⇔悲しむ 新明解
新明解は文型の型を「(なにニ-/なにヲ-)」としますが、自動詞と見なします。
用例には「~を喜ぶ」の例はなし。「人の注意を喜んで聞く」は「喜んで人の注意を聞く」とも言えるので、この「を」は「聞く」の補語です。「喜んで」は連用修飾語。副詞相当ですね。
三国も自動詞としますが、「合格を」「子どもの成長を」などの「を」の例をあげます。「ご成婚をお慶び申し上げます」という例もあります。
集英社も自動詞説で、「病気の回復を」「長男の誕生を」「娘の結婚を」などの例を。
新選も自動詞とし、「弟の合格を」「兄の忠告を喜ばない」「先生のご長寿をお喜び申し上げます」。
心理動詞の「を」は自動詞扱いという考え方はかなり支持を得ているようです。
喜ぶ (他五)1好ましい出来事に満足しうれしく思う。~に喜びを感じる。「実験
の成功を心から━」「母の━顔が見たい」⇔悲しむ
〔使い方〕「合格の知らせに小躍りして━」など自動詞としても使う。~ヲが単に
〈喜びの対象〉を表すのに対し、~ニは、~を知って喜びを感じる意で、喜び
の原因に重きをおいた表現となる。
2 好ましいこととしてうれしく思う。喜んで受け入れる。歓迎する。「彼女は
私の提案を少しも━・ばない」(以下略) 明鏡
明鏡は他動詞とします。「実験の成功を」という例があります。
「合格の知らせに」という自動詞の「に」をとる例の説明もあります。「使い方」の説明はわかったようなわからないような…。
喜ぶ〘五他〙うれしいと思う。そういう気持を態度・動作に現す。㋐よい事、望
ましい事、めでたい事があって、ここちよく感じる。⇔悲しむ。「合格を―」
㋑それをうれしい事だとして受け入れる。「彼の決断を―」「忠告を-・ばない」
㋒《「んで…(する)」の形で副詞的に》自分から進んで気持よく。「-・んで
引き受けよう」 岩波
岩波も他動詞とし、「合格を喜ぶ」「忠告を喜ばない」という「を」の例をあげます。
学研現代新も三省堂現代新も他動詞説で、用例もほぼ同様です。
「喜ぶ」の反対、「悲しむ」はどの辞書も他動詞とします。
悲しむ (他五)(なにヲ-)悲しいと感じる。⇔喜ぶ 新明解
悲しむ (他五) 悲しいと感じる。悲しく思う。「別離を━」「世の乱れを━
(=慨嘆する)」⇔喜ぶ 明鏡
「別離を悲しむ」が他動詞ならば、「再会を喜ぶ」も当然他動詞だと思うのですが、「喜ぶ」を自動詞とする辞書編集者は、この疑問にどう答えてくれるのでしょうか。
次は「怒」、「おこる」と「憤る」です。どちらも基本的に自動詞とされ、他動詞用法を認めるかどうかで意見が分かれます。
怒る1(自五)不快・不満の気持ちを外に表す。腹を立てる。立腹する。怒(いか)る。
「受付の冷淡な対応に━」「あなたは何に━・っているのですか」
「めったに━・らないが━と怖い」[使い方]1他動詞としても使う。「王は
軟弱外交を━・って(=憤って)大臣を追放した」2「怒(いか)る」に比べ
ると口頭語的。
2(他五)よくない言動をしたとして、相手を責めとがめる。「約束を破って先生に
━・られた(=しかられた)」▽受身で使うことが多い。 明鏡第三版
明鏡は自他両用としますが、他動詞の「を」の例としては受け身の例を出しています。
第二版では「当局の誠意のなさを━・っても始まるまい」という「を」の例もあったのですが…。
怒る(自他五)1((なにニ)-)がまん出来なくて、不快な気持が言動に表われた
状態になる。〔古風な表現は「いかる」〕「まっかになって-」
2(だれヲ-)目下の者などのやり方が悪いと言って、強い言葉でしかる。
新明解
新明解は「自他」とし、「(だれヲ-)」という構文の型を示していますが、用例はありません。
怒る〘五自〙①(相手をゆるせず)興奮して気を荒だてる。腹をたてる。
②𠮟る。「父に-・られた」▽「起こる」と同語源。 岩波
岩波は自動詞とし、受け身の用例。
三国も自動詞で、用例は「まっかになって怒る」と「先生に怒られた」で、新明解と岩波を合わせたようです。
「憤る」は明鏡と学研現代新が「自他」とするほかは基本的に自動詞。小学館日本語新は他動詞の用法も認めています。
明鏡は「社会の不正に/を憤る」という形で他動詞用法を示しています。この辺が、明鏡の記述の丁寧さです。(第二版ではさらに[突然の解雇・友人の裏切り・傲慢な態度に/を]という用例がありましたが、三版では削除。)
新明解・岩波は「に」をとる用例をあげ、自動詞とします。「を」をとる例を知らないのか、知っていても自動詞と考えるのか。
三国は「時世を憤る」という例をあげながら自動詞としています。なぜ「に」の用例を出さないのでしょうか。
憤る(自他五)不正などに対して、非難の気持ちをもって怒る。憤りを感じる。
立腹する。憤慨する。「社会の不正に/を━」[表現]「怒る」よりは文章語
的な言い方。 明鏡
憤る(自五)心のうちにいだいている不満・不平を抑えきれなくなって言動に
表わす。「税制の不公正に-」 新明解
憤る〘五自〙(道理に合わない物事に対し)うらみ・いかりの気持をもつ。
憤慨する。「社会の矛盾に―」 岩波
憤る(自五)憤慨する。「時世を-」 三国
前回も書いたことですが、「を」をとる動詞を自動詞とすることの論拠をどこかに書いておくべきだと思います。