ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(20):「思い煩う」「ためらう」「患う」

前回の「思う」などにつながる「思い煩う」と意味の近い「ためらう」などを。

「思い煩う」は辞書による自他の判定が大きく違う動詞です。
自動詞とする辞書が5冊、他動詞とするのが3冊、自他両用が2冊。

 

       思い煩う ためらう

  新明解8  自他   自他   
  明鏡3    他   (自)他    
  三国7   自    自他    
  岩波8   自他   自他    
  学研新6   他    他   
  三現新6  自    自    
  小学日   自    自     
  集英社3   他   自    
  旺文社11  自    自他    
  新選9   自    自    

 

「自他」とする新明解と岩波、自動詞とする三国の項目を。 

 

  思い煩う(自他五)(いろいろと)考えて苦しむ(悩む)。  新明解

  思い煩う〘五自他〙いろいろと考えて苦しみなやむ。   岩波

  思い煩う(自五)考えて<苦しむ/悩む>。   三国

 

ちょっと呆れます。「思い煩う」という語はどのような使い方をするのか、と思って辞書を引くと、上のようにしか説明されていない。がっかりします。

せめて一つでも用例がほしい。また、自動詞と他動詞の用法があるなら、それぞれどのように使われるのかを知りたい。そういう希望は一切考慮されません。

 

他動詞とする明鏡。

 

  思い煩う(他五)あれこれと考えて悩む。「前途を━」「息子のことを━」  明鏡

 

これで十分だとはまったく言えませんが、上の三冊よりはるかにましです。

自動詞とする新選は「どうしようかと思い煩う」という用例です。引用の「と」です。
旺文社は「病気の身を思い煩う」という「を」の例をあげています。他のいくつかの辞書は用例なし。

同じく自動詞とする小学館日本語新の用例は「日夜思い煩う/明日のことを思い煩うな」です。

「思い煩う」の使用例としてあげるべき(?)は、まずこれでしょう。

  この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思い煩はん。一日の苦労は
  一日にて足れり。 新約聖書マタイ傳 第六章(文語訳)

現代語の訳として、田川健三の訳を。格調はないけれど、正確に訳しているそうです。

  だから明日のことを思い煩うな。明日のことは明日みずからが思い煩ってくれる。
  その日の悪はその日で十分なのだ。 田川健三訳(作品社『新約聖書 訳と註1』)

 

学研国語大辞典を見てみたら、こちらもいい用例でした。

  この命なにを齷齪(あくせく)明日をのみ思い煩ふ 島崎藤村千曲川旅情の歌 

これはやはり聖書の言葉をもとにしているんでしょうか。

用法をきちんと解説しないのなら、せめて用例で楽しませてほしいですね。

 
「ためらう」は、学研新だけが他動詞用法のみとします。自動詞派が4冊、「自他」が4冊、明鏡は基本的に他動詞だが「自動詞としてもつかう」とします。

 

  ためらう(自他五)(なにヲ-)そうしたい(しよう)と思うのだが、失敗を恐れる
    などして実行に踏みきれない状態でいる。「-ことなくその場で返事をした」
                           新明解

  ためらう〘五自他〙心が迷ってなかなか決心がつかない。「受診するのを―」 岩波

  ためらう(他五)あれこれ迷ってぐずぐずする。躊躇する。「即答を━」「声をかける
    のも━・われて、そのまま通り過ぎた」「━・わずにまっすぐ進む」
   [使い方]自動詞としても使う。「返事に━・っている私を見た時〈漱石〉」 明鏡

 

明鏡の「返事にためらう」はいい例ですね。これで自動詞の用法があることがわかる。新明解・岩波はこのような用法に気づいているのでしょうか。

コーパスから「に」の例を。「~ことに/のに」の形です。

 ・事実を書くことにためらう必要はない。
 ・だからこそ、「神」を否定することにためらうのだ。
 ・今、彼女が不倫したことにためらった様子をしているのは嘘ですよ。
 ・言うのにためらわれました。
 ・メアドを教えるのにもかなりためらってました。
 ・選挙権を使うのにためらう人はいないはず。

 

学研新は他動詞説。

 

  ためらう(他五)あることをしようかどうか、まよってぐずぐずする。ちゅうちょ
    する。「返事を-・う」「出発を-・う」  学研新

 

他の辞書の用例を。

 (自他)旺文社 返事を   三国 返事を・会うのを
 (自) 三現新 返事を・ためらわずに打ち明ける   集英社 返答を
     新選 例なし
     小学館 即答をためらう ためらわずに思い切ってやれ
         帰ろうか帰るまいかためらう ためらいながら話し出す

自動詞と言いながら「を」の例を出す辞書が。

小学館日本語新は用例が多くていいですね。このくらいは欲しい。

 


「わずらう」は「患う」と「煩う」で違う語とされます。後者は、複合動詞の要素となります。

 

  煩う〔「動詞連用形+-」の形で、接尾語的に〕事態の順調な進行を妨げる要因が
    あって、その対応に苦労する。「将来の進路について思い(悩み)-/泥道で
    進み-/案じ-」  新明解

 

ただ、明鏡は「やや古い言い方」として、単独でも「思い煩う」と同様の意味を表すとします。

 

  〖煩〗(他)〔やや古い言い方で〕あれこれと思い悩む。思い煩う。「わが子の行く末
     を━」「明鏡止水の心境で今や心に━ことは何もない」  明鏡

 

「思う・思い煩う」と意味のつながりはないかもしれません(多少はある?)が、「患う」について、自他の判定を見てみます。(ついでに「病む」も。)

明鏡だけが自動詞の用法を認めません。逆に、他動詞と認めないのが旺文社と新選。

 

  患う(他) 〖患〗病気になる。病む。「胃腸を━」「長く結核を━」  明鏡

 

       患う  病む

  新明解8 自他  自
  明鏡3   他  自他
  三国7  自他  自他 
  岩波8  自他  自他 
  学研新6 自他  自他 
  三現新6 自他  自他 
  小学日  自他  自他 
  集英社3 自他  自他 
  旺文社11 自   自他 
  新選9  自   自他 

 

「自他」とする新明解と岩波。

 

  患う(自他五)その病気にかかって、少なからぬ期間 闘病生活を送る。「大病を
    患ったことをきっかけに大好きだった酒とたばこをやめた/糖尿病、心臓
    障害を患っていた」  新明解

  煩う〘五自他〙②肉体的に苦しむ。病気をする。病む。「生まれてこのかた-・った
    ことがない」「胸を―」▽②は「患う」とも書く。   岩波

 

新明解は、自動詞用法がどういうものかわかりません。

岩波は、「生まれてこのかた患ったことがない」が「を」をとらない、ということでしょうか。

自動詞のみとする旺文社の用例は「肺を患う」です。どう考えても「肺」に多大な影響を及ぼすと思うのですが。
新選は用例なし。

 

「患う」と類義の「病む」を。新明解だけが他動詞用法を認めません。「患う」で自動詞のみとした旺文社と新選も「病む」は他動詞になります。

 

  病む(自五)からだ(の部位)が違和を覚えたり痛みを訴えたりする。「からだは
    病んでも心は明るく、と話す癌患者/胸を-恋人の容体を気づかう」  新明解

 

「胸を病む」は他動詞でない、と。いや、多大な影響を…。

「自他」とする明鏡と岩波。

 

  病む(自他五) 1病気になる。病気におかされる。わずらう。「胸を━」2《「気に
    病む」「苦に病む」の形で》心を悩ます。心配する。「失敗を気に━」  明鏡

  病む〘五自他〙①病気になる。病気にかかる。「久しく-・んでいる」「肺を―」
    ②心を悩ませる。「気に―」(心配して思い悩む)「苦に―」(ひどく気にして
    苦しむ)   岩波

 

岩波は②の用法を自動詞用法と考えているのかもしれませんが、明鏡の例のように「失敗を」のような「を」を補うことができる(「省略」されている、と言える)ので、どうなんでしょうか。
いや、①の「久しく病んでいる」が自動詞なのでしょうか。病を特定しない形で言える。「久しく(体を)病んでいる」?

 

自動詞に使われる「例外」としての「を」は、移動動詞のみについて言われることがほとんどで、「患う」「病む」のような動詞の「を」について論じられるのを読んだことがありません。

その根拠が一般に知られていなくても、辞書の判断が一致しているのならいいのですが、現実はそうではありません。

どう考えたらいいのか。