ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

呼び:三国の「名詞形」

短い話です。

三省堂国語辞典は、動詞の(連用形の)「名詞形」を[名]で示します。例えば、

 

  呼び寄せる (他下一)近くへ呼ぶ。呼んで、来させる。「電報で-」[名]呼び寄せ。   三国

 

のようにして名詞形を示します。

 

それはいいのですが、次の「呼び」の用例はおかしいと思います。

 

  呼ぶ(他五)1(大声で)相手の名前など(略)[名]呼び。「-に行く」  三国

 

「-に行く」のところに入るのは名詞ではありません。動詞のただの連用形です。

これを名詞と考えると、

 

   仕方ないから、本物を見せに行きました。

   川へ洗濯しに行きました。

   あれじゃあ、わざわざ殴られに行ったようなものだ。

 

などの「見せ」「洗濯し」「殴られ」なども名詞になってしまいます。これらを名詞とするのは、どう考えても無理でしょう。

名詞「呼び」とは、どういう場合に使うのでしょうか。別の用例が必要です。

 

さりげない

前回の「何気ない」を受けて、類義のことばを。

前回の記事で、三省堂国語辞典の「何気ない」の項を引用しました。

 

  なにげない 1特に何も意図しない。「何気なくふり向いた・-ひとこと」
   2なんとも思っていないかのようだ。さりげない。「-顔つきでたずねる」 三国

 

2の用法と類義のことばとして「さりげない」があげられています。「なんとも思っていないかのようだ」けれども、本当は「ある意図がある」という意味の言葉として、です。

 

明鏡国語辞典から。

 

    さりげない はっきりした考えや深い意図もなくふるまうさま。また、そう見え
    るようにふるまうさま。なにげない。「━会話」「━・く証言を聞き出す」
    「さりげなく」を「さりげに」というのは誤り。   明鏡

 

この「そう見えるようにふるまう」という用法ですね。(本当はそうでない、のです。)

しかし、明鏡によれば、「さりげない」も「はっきりした考えや深い意図もなく」という意味を持つので、三国の「なにげない」の1の用法でも類義語になるはずです。2だけにあげているのはなぜでしょうか。「さりげない」には、「特に何も意図しない/深い意図もなく」という用法はないと考えている?

 

新明解国語辞典から。

 

   接する人に必ずしもその真意がわからないような目立たない言動をする様子だ。
   「-気配り/-調子で答える/さりげなく忠告する」[文法]助動詞「そうだ
   (様態)」に続くときは「さり気なさそうだ」の形になる。   新明解

 

「その真意がわからないような」言動、つまり「隠している意図」があるという解釈です。

新明解は一つの用法だけとしています。「深い意図もなく」という用法はありません。

 

前回の「何気ない」の議論では、「隠している意図がある」という意味を「何気ない」自体が持っているか、という話でしたが、「さりげない」の場合は「深い意図がない」という意味を持っているかどうかが問題になるようです。

 

では、三省堂国語辞典は。「深い意図もなく」という用法はあるのでしょうか。

 

   1〔本心をかくして〕なんとも思っていないかのようだ。「-声で問う」
   2自然な感じだ。「-心づかい」        三国

 

「本心をかくして」が第一義ですが、2として「自然な感じだ」という語釈をしています。
(隠している)意図の有無という問題ではなく、どのような感じかというとらえ方です。

用例は「さりげない心づかい」です。「心づかい」の意図を「隠して」というよりは、それを感じさせないような「自然な感じ」でする、ということでしょう。

新明解の用例の「さりげない気配り」も同様の例だと思われます。

 

岩波は、

 

  《連語》そんな様子が見えない。なにげない。「-おしゃれ」
   ▽「さりげなく」の意味で「さりげに」と言うのは誤用    岩波

 

「そんな様子が見えない」というのは、ずいぶんあっさりしたというか、あんまり詳しく考えた形跡のない語釈のように思われます。「そんな様子」とはどんな様子なのか。「さりげない調子/声」の「そんな様子」とは。

「なにげない」が類義語としてあげられています。「これといった考えもない」調子?

では、用例の「さりげないおしゃれ」とはどういう「おしゃれ」なのでしょうか。
いかにもおしゃれしました、というのではなく、三国の「自然な感じ」に近いのでしょうか。

しかし、明解の「さりげなく証言を聞き出す」、新明解の「さりげなく忠告する」などの微妙な心づかいは、岩波の「そんな様子が見えない」という言い方では表せないように思います。
「接する人に必ずしもその真意がわからないような目立たない言動をする様子」という、新明解の苦心の(?)語釈はやはりよく考えているなと思います。

 

さて、明鏡の「はっきりした考えや深い意図もなく」という解釈はどう考えたらいいでしょうか。

「さりげない会話」がその例だと思われますが、この解釈で合っているでしょうか。

 

書きことばコーパス「NINJAL-LWP for TWC」には、

 

  店内では『○○さん、今日のお召し物、素敵ですね〜、とっても似合ってますよ〜』
  ゆっくり、気持ちをこめて話しかける女性の店員の声がひびく。 
  『これはね・・・』お客様がうれしそうに答える。 
  さりげない会話が聞こえてくる。 
  聞いているこちらまで、心が“ほっ”と温かい気持ちになる。 

 

という例がありました。この例では、「隠している意図」はないようですね。

 

「さりげない」は「何気ない」より「意図を隠す」用法に傾いていますが、「特に意図がない」という用法もあるように思います。

 

「何気ない/く」「さりげない/く」「さも」の三語は、動作者の様子をそのまま信じていいかどうかという点で関連ある言い方のようです。それぞれ、どう記述したらよいのか、辞書編集者の腕が試されるところです。(なんて他人事みたいに言ってちゃいけないんですが。)

 

なにげない

形容詞「なにげない」の用法について。形容詞の連用形(「なにげなく」)は、副詞と同じように使われます。
 

まず明鏡国語辞典から。


  1はっきりした考えや深い意図もなくふるまうさま。「━風を装う」「━一言が
    胸に突きささる」「━・く窓外に目をやる」 [注意]「何げなく」「何げな
    しに」を「何げに」と言うが、誤り。→助動詞「ない」の表現(3)
  2《連体形で》〔俗〕なんら変わったところのない意を表す。取りたてるほども
    ない。何ということもない。「━日常を描く」「━風景に安らぎを感じる」 
                              明鏡

 

明鏡は「はっきりした考えや深い意図もなくふるまう」としています。

 

  1相手に隠していることなどが気付かれないように振る舞う様子だ。「生活は苦し
    かったらしいが、-さまを装っていた」
  2これといった意図はなく、なかば無意識に何かをする様子だ。「-言葉が相手の
    心を傷つけた/何気無く窓の外に目をやる」(以下略)   新明解

 

新明解は、意図がない場合と、「隠していること」がある場合の二つの用法をたてます。

 

     1特に何も意図しない。「何気なくふり向いた・-ひとこと」2なんとも思って
   いないかのようだ。さりげない。「-顔つきでたずねる」   三国

 

三国も「特に何も意図しない」場合と、「なんとも思っていないかのようだ」つまり、本当は何か意図がある場合に分けます。

しかし、その二つの用法のどちらであるかはどうやってわかるのでしょうか。文脈でしょうか。

 

岩波は「何気ない」という形容詞は認めず、「何気」という名詞として項目としています。

 

  なにげ【何気】『―(も)無い』これといった考えもない。深い考えもない。特に
    注意せず、関心を示さない。「なにげない風をよそおう」▽これの副詞的用法
    や「意外に」の意味で「何気に」と言うのは、一九八五年ごろからの誤用から
    広まった。「―に面白い」   岩波

 

用法解釈は明鏡と同じですね。「これといった考えもない」だけです。

 

明鏡・岩波と、新明解・三国で解釈が分かれています。

ただ、明鏡も岩波も、用例に「何気ない風を装う」という同じものをあげています。

これはつまり、「何か意図がある」場合の言い方ですね。その用法には注意を払っている。

それに対して、新明解と三国は「何気ない」自体に「意図がある」という解釈です。

 

しかし、ここで問題があります。新明解の例文は「何気ないさまを装っていた」ですが、「~さまを装っていた」というのは、明鏡・岩波の「~風を装う」と同じく、何かを隠す場合の言い方です。例えば、

  何も心配事はない/安心している(という)さまを装っていた

本当はそうでないわけです。

それなら、新明解の「何気ないさまを装っていた」の「何気ない」を、2の用法の「何も意図しない」と解釈しても、「何気ないさまを装っていた」全体で「意図を隠している」意味になります。

つまり、新明解の1の解釈は不要になってしまいます。「~さまを装う」以外の用例もあったほうがいいのでしょう。

 

一方、三国の例は「何気ない顔つきでたずねる」です。こちらは、

  何も心配事はない/安心している(という)顔つきでたずねる

これは本当にそう思っていると考えていいでしょう。(そうでない場合もありますが)

 

さて、わからなくなりました。

「何気ない」は、「特に何も考えていない」というだけの意味なのか、それとも「隠していることがあって」、でも「何とも思っていないかのように」振る舞う、という別の用法もはっきり持った語なのか。

後者の場合、どうやってそれがわかるのか。どちらだかはっきりしないのでは困ります。

 

私は、「~さま/ふう/態度/顔つき」などの様子・態度を表す語と共に使われるとき、それらを含めて全体として後者の意味になる、と考える。それ以外の場合は、もっと大きな文脈から判断する、というのがいいのじゃないかと思うのですが、もっとたくさんの例を検討してみないとわかりません。

 

少し前にとりあげた「さも」と似ていますね。こういう語はなかなか難しいです。

 

しんみり

新明解国語辞典から。

 

  しんみり -と-する 人の世のはかなさやつらさなどを今さらのように感じ、
    もの悲しい気分にひたる様子。また、その場の雰囲気がもの悲しい感じに
    なる様子。「故人を思い出して-する/昔のことを-と語り合う/戦時中
    の苦労話に座が-とする」  新明解

 

「もの悲しい気分にひたる」「もの悲しい感じになる」と「もの悲しさ」を強調しています。

私も「昔のことをしんみりと語り合う」ことはありますが、別にもの悲しい気分になると限ったわけではありません。

 

三省堂国語辞典では、

 

    1おちついて、静かなようす。しみじみ。「-(と)話す」
    2さびしさや悲しみに、人々の気分がしずんでいるようす。「-(と)した
     通夜の席」   三国

 

用法を二つに分けています。

一つは「しみじみ」ですね。心静かに、ゆったりと、話す。

 

明鏡国語辞典も同じです。

 

    1心静かに落ち着いているさま。「━(と)語り明かす」

    2心が沈んでもの悲しいさま。しめっぽい気分になるさま。「故人を
     しのんで━(と)する」   明鏡

 

岩波国語辞典。

 

    ①心静かに落ち着いているさま。深く心に感じるさま。しみじみ。
     「―(と)話す」
    ②心が沈んでしめやかなさま。「悲しい知らせに一座は―した」  岩波

 

みな、「しみじみと話す・語る」ようです。

悲しいほうは、通夜だったり、故人だったり。

これはまあ、新明解が偏りすぎているようです。

 

ふらりと・ぶらりと

三省堂国語辞典新明解国語辞典から。

 

  ふらりと 1力なくゆれ動くようす。「-よろける」2これといった目的もない
       ようす。「-立ち寄った」→ふらっと。   三国

  ふらりと その時の気分やその場の成り行きにまかせて行動する様子。「その男
       はどこからともなく-やって来た/どこへ行くとも言わず-外へ出て
       行きました」   新明解

 

三国の2の用法で「これといった目的もないようす」というだけだと、例えば

  ふらりと  ゲームを始めた・雑誌を眺めた・テレビを見続けた

など、いろいろな行動が当てはまるはずですが、これらの例は変でしょう。

新明解の「その時の気分やその場の成り行きにまかせて行動する様子」だと、

  ふらりと 居眠りした・馬券を買った・けんかに加わった・怪しげな会社に就職した

なども当てはまるでしょうか。

「ふらりと」が修飾できる行動は、もっと限定されるはずです。

 

明鏡国語辞典から。

 

  ふらりと 1体に力が入らないで、よろめくさま。「━倒れかかる」
    2これという目的もなく出かけるさま。また、何の予告もなくやって来る
     さま。「━旅に出る」「━姿を見せる」◇「ふらっと」とも。  明鏡

 

「出かける」「やって来る」という動作に限定しています。それだけだと限定しすぎかもしれませんが、三国の用例も、新明解の例も同じような移動動作の例です。

 

岩波も見てみましょう。

 

  ふらり〔副と〕①不安定に揺れるさま。「鐘が―とぶらさがつてゐる」(山村暮鳥
     「小川芋銭」)

    ②不意に現れたり出かけたりするさま。「絶望の揚句―と日本へやつて来た」
     (横光利一旅愁」)   岩波

 

なぜか突然、新潮現代国語辞典風に近代文学の例をあげています。「不意に現れたり出かけたり」は明鏡と同趣旨です。

 

「ぶらりと」も同じような用法があると思うので見てみます。まず三国。

 

  ぶらりと 1ぶら下がっているようす。「ヘチマが-下がっている」
    2これといった目的もないようす。「-公園を歩く」
    3何もしないでいるようす。「一日じゅうーしている」→ぶらっと。 三国

 

2は「ふらりと」と同じですね。同じ用法だと考えているようです。用例の違いに大きな意味はないでしょう。

 

次は新明解。

 

  ぶらりと 1それ自身の重みで垂れ下がっている様子。ぶらんと。「軒先の棚に
        -下がったヒョウタン」
   2これといった目的も無く出かける(やって来る)様子。「-散歩する/
       -酒屋に入る」
   3これといったこともしないで時を過ごす様子。「一日-していた」  新明解

 

2は「ふらりと」とずいぶん違います。「でかける(やって来る)」と限定しています。用例はもう少し広がりがありますが、「ふらりと」の例と同じような移動動作です。

新明解は、この二つの語をはっきり違うものと考えているのでしょうか。

 

明鏡。

 

  ぶらりと 1物が垂れ下がっているさま。「腰に手拭いを━下げる」
    2何の目的もなく出かけるさま。また、何の予告もなくやって来るさま。
     「━町へ出る」
    3何もせずに漫然と時を過ごすさま。「たまの休日を━過ごす」  明鏡

 

2は「ふらりと」の「これという目的もなく」が「何の目的もなく」に変わっただけです。

「何の目的もなく」は言いすぎじゃないかと思うのですが。

 

そして岩波。

 

  ぶらり〘副と〙①宙にぶらさがっているさま。「ひょうたんが―とさがっている」
    ②→ふらり②   岩波

 

②のほうは省エネです。用例くらい別のものを用意してもいいんじゃないでしょうか。

 

結論。三国は二つの項目の語釈を、新明解は「ふらりと」の語釈を考え直したほうがいいと思います。

 

どうにも

前回、「さも」に関してあちこち見ているうちにおかしな語釈に気付きました。
三省堂国語辞典から。

 

  どうにも 1どういうふうにしても。「-(こうにも)ことわれない」
       2どんなにがまんしても。「-やりきれない」
   ・どうにもしようがない[句]それ以外には、やりようがない。
   ・どうにもならない[句]その状態になるための方法が、まったくない。

 

この1と2の用法の語釈もよくわからないのですが、小見出しの[句]の「どうにもならない」の説明がまったくわかりません。

用例がないので、実例をいつもの「NINJAL-LWP for TWC」からいくつか。

 

  ・体型はどうにもなりませんが・・・頑張ります。
  ・死んでからでは後悔してもどうにもなりません。
  ・聞いたところでどうにもならないと思ってます。
  ・しかし、それらを憂いてもどうにもなりません。
  ・でもね,こんなことしてもどうにもなりません。

 

三国の「その状態になるための」という「その状態」とは何でしょうか。用例もなしにこんなことを言われても、何もわかりません。

編集者は、本当にこれで「どうにもならない」の意味・用法がわかると考えているのでしょうか。

 

明鏡国語辞典

 

  どうにも 1《否定的表現を伴って》どのような手段をとっても。どのように
        しても。「これ以上━なりません」
       2 困惑の意を表す。何とも。「-困った」   明鏡

 

「どうにもならない」という小見出しはありませんが、例文がちょうどそれですね。

しかし、この語釈では、この例文の意味はわかりません。

  これ以上 どのような手段をとっても/どのようにしても なりません。

何が? どうなる??

 

岩波国語辞典。

  どうにも 〘連語〙①(他人は何と見ようと、そういう事は)どうであれ。
        「―ここは居心地が悪い」「―寂しい限りだ」「―珍妙な格好だ」
      ②《後に打消しを伴って》ほかのどんな状態にも。「いくら頑張っても
        ―ならない」。どうしようにも。どうしても。「―打開策が無い」
       「―うまくできない」   岩波

 

②の例文に「いくら頑張ってもどうにもならない」とありますが、語釈のことばで置き換えると、「いくら頑張ってもほかのどんな状態にもならない」?

つまり、どういうことなんでしょうか。

 

定評ある(?)国語辞典の水準というのは、こんなものなのでしょうか。

 

『日本語文型辞典』(くろしお出版)という、日本語教師にはよく知られた辞典があります。そこから。

 

  どうにもならない/できない

   (1) 過ぎたことは、いまさらくやんでも、どうにもならない。
   (2) ここまで病状が悪化してしまっては、もうどうにもできない。

   どのようなことを行っても状況を変えることができないという意味を表す。
   悪い状況を好転させられないような場合に用いる。
                      日本語文型辞典 p.313

 

「状況を変えることができない」「悪い状況を好転させられない」ということなんですね。そこをはっきり書かないと。もっと簡単に言えば、「どうにもならない」とは「(もう)だめだ」ということです。それが、上のような語釈ではまったくわかりません。

 

新明解は用法を一つとしています。

 

  どうにも 〔否定表現、また、否定的な内容を表わす語句と呼応して〕どんなに
      手段・方法を尽くしても不可能だと実感する様子。〔強調表現は「どうにも
      こうにも」〕「人間の力では-ならない」「-慰めようが無い」「-がまん
      ならない」「-やりきれない気持だ」「-困った問題だ」  新明解

 

これだけでは岩波の①の用法の例が説明できません。「どうにも珍妙な格好だ」とか。

また、語釈で「~不可能だ」まで書いてしまっていますが、それは「どうにも ならない/できない/困った」などの述語まで含めた説明になるのでは?

 

初めの三国の「どうにも」の記述に戻ると、

 

  どうにも 1どういうふうにしても。「-(こうにも)ことわれない」
       2どんなにがまんしても。「-やりきれない」  三国

 

この2つの語釈では、岩波の「どうにも珍妙な格好だ」に当てはまりません。

他にも、「どうにも 不思議だ・奇妙だ・気がかりだ・変だ・不明だ」などの例は、この2つの用法のどちらに入るのか、ちょっとわかりかねます。

 

三国の「どうにも」の項はどうにもなりません。

 

さも

ある中学生が「さも」ということばを国語辞典で引いてみたら、使い方がわかるかどうか。

三省堂国語辞典から。

 

  さも 1〔文〕そのように。「-あろう」2いかにも。「-おもしろそうに笑う」 三国

 

それぞれ他の語で置き換えただけで、「1そのように」「2いかにも」だそうです。

1の例文が「さもあろう」で、「そのように」という言い替えを使うと、「そのようにあろう」です。

これで何がわかるのでしょうか。
「そのようにあろう」って、意味がわかりません。

 

中学生向けでわかりやすいはずの例解新国語辞典(第八版)を見ると、

 

  さも 1そうも。そのようにも。[用例]さもありなん。2いかにも。[用例]さも
      苦しそうに口をゆがめる。  例解新

 

「1そうも。そのようにも」「2いかにも」です。三国とほとんど同じです。
1の例文が「さもありなん」では一層わかりにくいですね。

でも、これはしかけがあって、次の項目として「さもありなん」があり、説明があります。こういう形で説明を豊かにするのも一つの工夫ですね。

 

  さもありなん いかにもそうにちがいない。やや古めかしい言いかた。
         [用例]その心中さもありなんと察する。  例解新

 

「いかにもそうにちがいない」ですか。「さもあろう」は、「いかにもそうだろう」でしょうか。(「ありなん」と「あろう」の違いは私にはよくわかりません。同じと言っていい?)

あれ? 「さも」の1の用例の説明に、「さも」の2の語釈「いかにも」が使われていますね。ん?
これは「さも」にあたるのが「いかにもそうに」の部分だということでしょうか。
まあいいのかな?

 

明鏡を見てみます。

 

  さも 1そうなるのが当然だという気持ちを表す。「━あろう」2そう形容するのが
     ふさわしいという気持ちを表す。いかにも。「━気持ちよさそうに寝ている」
                               明鏡

 

1の用例は「さもあろう」で三国と同じですが、語釈は単なる言い替えではなく、説明になっています。ただ、「~のが当然だ」というところまで含んでしまうと、これは「さも」の説明というより「さもあろう」全体の説明になっているのでは?

それにしても、

 

  さも 1〔文〕そのように。「-あろう」

 

の三国よりずっとわかりやすいと思います。

 

さて、2の用法を見てみましょう。「いかにも」です。

 

  さも(いかにも)おもしろそうに笑う  三国

  さも(いかにも)苦しそうに口をゆがめる。 例解新

 

これでなんとなくわかるなら、それでいいのでしょうが、「いかにも」にはもう少し詳しい説明があるのでしょうか。

 

  いかにも 1どうにも。どう考えても。「-困った顔をして・-安い」
   2まったく。「-わかったような口をきく」3なるほど。「-さよう」 三国

 

まず、こういう風に複数の用法がある場合は、「さも」の語釈のところで「いかにも1」とか「いかにも2」とか書いたほうがいいのではないでしょうか。

1の「どうにも。どう考えても」の例の「-困った顔をして」に、「さも困った顔をして」と「さも」を入れても言えますし、2の「まったく」の例に「さもわかったような口をきく」としても言えますね。さて。

この「いかにも」の項も問題がありますが、それは今回は深入りしないことにします。

 

明鏡の「さも」の2は、「そう形容するのがふさわしい」で、例は

  さも気持ちよさそうに寝ている

「気持ちよさそう」が「本当にそのとおりだ」ということでしょう。こちらも、明鏡のほうがわかりやすいと思います。

 

新明解を見てみましょう。用法は一つです。「さもありなん」は別項になっています。

 

  さも 言動や表情・態度などから、その通りに違いないと感じさせる様子。
     「-満足そうにうなずいた」「-迷惑そうな顔をした」「-誠意に
     あふれたという応対ぶり」  新明解

 

「その通りに違いない」ですね。「言動や表情・態度などから」という判断の根拠が示されています。

ここで、省略されていますが、「(ある人物の)言動や表情・態度などが(話し手に)その通りに違いないと感じさせる」ということですね。

「さも満足そうにうなずいた」「さも迷惑そうな顔をした」この二つはいいのですが、「さも誠意にあふれたという対応ぶり」というところで、ちょっと違和感が出てきます。「その通りに違いない」と話し手は感じているのでしょうか。

 

小学館日本語新辞典には、かなり違ったことが書かれています。

 

  さも (多く、「…そう」「…よう」やそれに類する語をあとに伴って)
    人の態度や行動、生物の動きなどについて、事実はそうでない、または
    不明であるという場合に用いる語。[例]父はさも満足そうだった/犬は
    さも歓迎するかのように尾を振った。  小学館日本語新
 

「事実はそうでない、または不明である」というのは、新明解の「その通りに違いない」とは正反対ですね。

しかし、「父はさも満足そうだった」というのは、「事実はそうでない」んでしょうか。また、「犬」が尾を振っていれば、それは「歓迎していない」ということはないんじゃないか。そういう「ふり」ができる犬というのは…。ちょっとコワい。

 

実例を見てみましょう。書きことばコーパス「NINJAL-LWP for TWC」から。

「さも+動詞」を見ると、「わかる」がいちばん多いので、そこから。

 

  ・叱られたら、さも分かったように、反省して見せる。
  ・さも解ったように書いてますが、自分で体験していないことも多々あります。
  ・さもわかった風な顔して別れたが実はちんぷんかんぷんで、えらい苦労した。
  はっきり分からないことを,さも分かったように話すことは絶対にしてはならない。
  ・わかりもしないことを、さもわかったような顔をして、そこに自縛することありません。
  ・僕は、相変わらずほとんど要領を得ない答えに、さも分かったようにうなずくしかなかった。
  ・環境の屁理屈をさも分かったように、並べ立てますが、科学や技術の裏付けが少ない情緒的な欺瞞理論がほとんどです。
  ・「砲術計算というソフトが死命を制する(p72)(p75)」云々などと、さも判ったようなことを滔々と書いている。
  ・「物語」を作り上げ、さもわかったように論じるのは、メディアの常套手段であるが、その轍を踏みかねない危険性を孕んでいるからだ。
  ・中国キラーさん私の、わかってもいないのに、さもわかったかのようなコメントにまで、いろいろおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

確かに、「事実はそうでない」例ばかりですね。

次は、「知る」の例を。

 

  ・「知らない」と言うことはプライドが許さないらしく、さも知ってるように教えてくれる。
  ・1件だけ読んで「この人の回答は云々」とさも知ってるかのように評価するのはいかがなものかと。
  ・漫画家というか、創作人に大事なのは、知りもしないことをさも知ってるかのように言う…ハッタリも大きいと思いますので。
  ・他人と話していて知らない単語や知識が出てきても、さも知っている風に装い泰然と構え、後になって必死に意味を調べたりするでしょう。

 

形容詞で「正しい」の例。

 

  ・さも正しい言葉であると言わんばかりに堂々と間違えないでください。
  ・「売れる家」ばかりを考え、間違った理論を、さも正しいように、本にまで書いて売ろうとしているやからもいます。
  ・ここであえて分からないと言っておくことで、その後の誤った認識に基づく誤った結論をさも正しいことのように見せようとしているのだ。

 

これも、「事実はそうでない」例です。

小学館日本語新の説明はこれらの例に当てはまります。

 

では、三国から新明解の例はどうなったのでしょうか。「うれしい」などの例を。

 

  ・と仰いますと、継母はこれを聞いて、脇を向いて、さも嬉しげな様子で笑いました。
  ・「うん、なかなかいゝね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしさうにさう云つた。
  ・つい先刻までは悲しみと疲れとにやつれ果てていた老母の顔が、さも嬉しそうに、今まで見たことのないほど嬉しそうにかがやいて見えるのであった。
  ・「やぁ、みんな登ってくる、登ってくる」天狗はさも楽しそうにそのようすを見ていました。
  ・それを見ると娘はさもさも可笑しいという様に、顏を掩うて笑い出した。

 

こういう感情形容詞の例だと、「そう形容するのがふさわしい」「その通りに違いない」と考えてもよさそうです。もちろん、文脈によっては、「そういうふりをしているだけ」の場合もあるでしょうが。

 

「さも~そうに/ように」という形は、「そう形容するのがふさわしい」ということを表すとしても、それが正しい場合と、そう見せているだけだと話し手は思っている場合がある、ということを両方書いておく必要があるのだと思います。

それが修飾する述語の種類によって、そのどちらかに偏るという傾向がありそうですが、そこは私にははっきり言えません。誰かしっかり調べて、論文にでも書いてほしいものだと思います。

 

初めに戻って、三国の「さも」の記述ですが、三国の副詞の項目はどうもうまく書けていないことが多いなあ、と思います。

単に他の語で置き換えて、それで「語釈」の代わりにする、ということはやめてほしいと思います。

用例も、それを見て、ああ、こういう風に使われるのか、ということがわかるような例にしていただきたいですね。