ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

胸・乳房

新明解国語辞典の「胸」の項目を。

 

    胸 1人間などのからだの前面で、首と腹の間の部分。また、その中にある肺臓・
   心臓・胃など。「-〔=肺〕を病む/-〔=心臓〕が騒ぐ/-〔=胃〕が焼ける/
   -をかきむしる(なでおろす)/-に手を当てる/-のすくような〔=痛快な〕/
   -を張る〔=悪びれない(誇らしい)態度をとる〕/-をときめかす〔=期待で
   わくわくする〕/-が一杯になる〔=言いたい事が有り過ぎたり 強い感情に迫ら
   れたり して、何も言えない状態になる〕/-を借りる〔=すもうで、下位の者が
   上位の人に稽古(ケイコ)をつけてもらう〕2「胸1」の中に宿ると考えられて
   いる、人の心。「-を打つ話/-のうちを明かす/-を開いて〔=隠す所無く
   率直に〕語り合う/-に懐(イダ)く(刻む)」(子見出し略)   新明解

 

身体の部分と「心」の二つです。内臓を表す用法は用例の中で解説されています。
それはいいのですが、「胸」と言うと多くの人が思い浮かべるであろうものが一つ抜けていると思います。


   5 乳房。「━を隠す」     明鏡

   5〔女性の〕ちぶさ。「豊かな-」  三国

   2(人の)乳房。「-が大きい」▽遠回しの言い方。  岩波

   1 体の前面で、首と腹の間の部分。「-を張って歩け」〔女性の場合は、特に
    乳房をさすことがある〕「-をかくす」   学研新

 

これは、用法としてはっきり書いておいたほうがいいでしょう。

日常語としては、「乳房」よりも「胸」のほうがよく使われるでしょう。
私は、「ちぶさ」なんて語を口にしたことが、この数年であったかどうか。

 

では、「乳房」はどんな場合に使われるのか。

「乳房」を書きことばコーパスで見てみたら、ちょっと驚きました。

「乳房を+動詞」というコロケーションで、頻度がいちばん高いのは、「乳房を切除する」でした。その後は「(乳房を)挟む、圧迫する、(いる)、残す、再建する、作る」と続きます。(「いる」は補助動詞の用法です。)

「挟む」とは何のことかと一瞬思いましたが、がん検診のためのX線検査の際に「挟む」ことが必要なようです。それが、コーパスで二番目に頻度が高いのです。
「圧迫する」も同じ。「残す、再建する」は乳がんの手術の後の話です。「作る」も多くはその話です。

ちょっとびっくりしました。

「乳房+名詞」で頻度が高い3語は、これまた乳がん関係の「乳房温存」「乳房切除」「乳房再建」です。

「乳房」は「ちぶさ」「にゅうぼう」2つの読み方があるので、実際の用例がどちらの読み方をしているのかはわかりませんが、上の複合名詞では後者でしょう。

 

国語辞典で「ちぶさ」を見てみます。 

 

  ちぶさ 人や哺乳動物の雌の胸に(から腹にかけて)ある、乳を出す突起状の
      器官。                新明解

 

他の辞書もほぼ同じです。

では、「にゅうぼう」は。岩波と明鏡。 
                              
  にゅうぼう  ちぶさ。    岩波 明鏡

 

これだけです。言い替えただけ。これでいいと思っているんでしょうか。指すものが同じなら、国語辞典として区別する必要はない?

 

  項目なし   新明解(「乳房炎」あり)

 

「乳房炎」を「にゅうぼうえん」と読ませるなら、「にゅうぼう」という項目が必要でしょう。「ちぶさ(乳房)」という項目があるのですから。

いつもの新明解だと、 

  にゅうぼう 「ちぶさ」の意の漢語的表現。

とやりそうなところですが。(「絵画」の項目参照。ついでに、「絵」の項も。)

 

他の辞書のいくつかは、「位相」の違いを指摘しています。

 

  にゅうぼう〔医〕→ちぶさ   集英社

 

集英社は医学用語だとしています。これだけでも、重要な情報です。

三国は〔生〕、「生物・生理」の用語とします。学研新は〔文〕、つまり「文章語」だと。

また、講談社類語辞典は、

 

  〔文〕「ちぶさ」の医学分野での言い方。   講談社類語

 

文章語で、医学分野の言い方としています。どうでしょうか。

書きことばコーパスで頻度の高かった、「乳房を切除する(とる、切る)」「乳房再建」などは、医者と患者との会話で普通に使われている表現ではないでしょうか。そうすると、「文章語」としていいかどうか。(「乳房を~」の例で「ちぶさ」か「にゅうぼう」かは決められませんが、私の感覚では後者です。)

 

その辺の細かいことはともかく、たんに「にゅうぼう=ちぶさ」としてしまうのは、どう考えても国語辞典として不十分だと思います。

 

人体・肉体

新明解の「人体」はちょっと問題があります。

 

  人体 人間のからだ。「喫煙が━に及ぼす影響」    明鏡

     生きている人のからだ。「-実験」       新明解

 

「人体」は「生きている人のからだ」ですか?
「人体実験」はそうかもしれないけれど、では、「人体解剖」は?

 

  解剖 -する (他サ)〔「剖」は開き分ける意〕病原・死因を探ったり 部分の構造・
       作用などを調べたり するために、(死んだ)生物のからだを切り開く
       こと。「-学」                新明解

 

「生きている人」だったら、それは「生体解剖」と言うのでは?

ただ「人の体」というだけでは足りないと思ったのでしょうか。
では、「人体」はたんに「人の体」ではないのだ、というような使い方はあるでしょうか。

「人体」という語について私がちょっと思いついたことは、「私/彼 の人体」「この人体」とはふつう言わないだろう、ということです。「人体」というのは、個別の体でなく、一般的に「人の体」について言う場合のことばのようです。(「私/彼 の肉体」は言えます。)

学研現代新は次のように書いています。

 

  人体 〔生理学的な立場から見た〕人間の体。「-の解剖」「-模型」[類語]身体。
                            学研現代新

 

なるほど。このあたりが、たんなる「人の体」との違いでしょうか。

講談社類語辞典も同様の説明です。

 

  人体 「生理・物理・化学的な反応をする物」として見たときの、人のからだ。
    「この薬品に含まれる成分は、~に悪影響を及ぼすことが報告されている」
    ▽~実験・~解剖    講談社類語     

 

ただ、「人体デッサン」という場合は、「~的な反応をする」わけではないでしょうから、もう少しゆるやかな限定のほうがいいように思います。

「人体デッサン」では、人の、一般的、物理的な「形」の問題です。
「客観的・科学的にとらえられる、様々な性質・特徴を持ったものとしての人の体」でしょうか。

なお、私が見た中では、例解新国語辞典第九版も新明解と同じ説明です。(第十版はどうでしょうか?)
  

  人体 生きている人間のからだ。[用例]人体に影響がある農薬。  例解新第九版

 

一方、明鏡は「肉体」について「生きている」ということばを使っています。

 

  肉体 生きている人間の体。なまみの体。「堂々たる━」    明鏡

 

「肉体」も生きている場合だけでしょうか。また、人間にしか言えないのか。

 

  肉体 人間の体。生身(なまみ)の体。「―美」「―労働」▽精神・霊魂に対して
     言う。     岩波

    〔精神活動にかかわる面を除いた〕人のからだの動物的側面を強調して言う
     語。「-美」   新明解

 

「人が死ぬと、魂はその肉体を離れ~」という風に言われますから、死んですぐはまだ「肉体」であるのでしょうね。

と言うか、死んでしまったら「肉体」あるいは「体」もその形を長く保てないでしょうから、同じことなんじゃないでしょうか。「からだ」というのも、そもそも「生きている」時のものなのでは? 

「肉体」も「体」も、「心」あるいは「魂」と対立するもので、死によって消え去るものです。「心」あるいは「魂」が死後どうなるかは別として。

つまり、あえて「[生きている]人間の体]という必要はないんじゃないかと思います。

 

死んでしまった後の「体」は、「死体」または「遺体」と言われるわけですが、では、生きているときは「肉体」で、死んだら「死体」なのか、と言うと、そういう使いわけではないような気がします。(「生きている体」は「生体」ですね。)

 

それと、頻度は少ないですが、「動物の肉体」「生物の肉体」という言い方が書きことばコーパスで見られます。こちらは、「精神」との対比はないので、どうして「体」でなく「肉体」ということばを使うのか、別の説明が必要です。

 

本・書物など

まず明鏡国語辞典の「書物」などの説明のしかたを見てください。

 

  書物  本。書籍。「-を読む」      
  書籍  書物。本。図書。   
  図書  書物。本。「参考-」「-整理」     明鏡

       

ふーむ。これらがどう違うのか、一般にどう使い分けられているかという問題には、まったく関心がないようです。

明鏡の編集者は、これらの語を使う時、それぞれ何かそれを使う理由があって、他の語でなく、その語を使うのだろうと思うのですが。

なお、どうでもいいようなことですが、なぜ「書物」の解説(?)には「図書」がなく、「図書」には「書籍」がないのでしょうか。それには意味があるのか、単なる執筆者の気まぐれか。

これらがおおよそどういうものであるかということは、より一般的な語である「本」の項目に書いてあります。(以下の引用では用例などを省略します。)

 

  本 1文章・絵・写真などを編集して印刷した紙葉を、ひとまとまりに綴じて
     装丁したもの。書物。書籍。      明鏡

 

まあ、こういうものでしょう。そして、「書物・書籍・図書」は「本」とほぼ同じで、特に解説を必要とするような語ではない、と明鏡の編集者は考えるのでしょう。

 

新明解の「本」もだいたい同じようなものです。


   1人に読んでもらいたいことを書い(印刷し)てまとめた物。書物。〔広義では、
    雑誌やパンフレットおよび一枚刷りの絵・図をも含む〕    新明解

 

「人に読んでもらいたいこと」というところが面白いですね。「一枚刷りの絵・図」を「本」と呼ぶのはどういう場合でしょうか。

新明解では「書物」などはどう書かれているか。

 

  書物 「本」の意の、やや改まった表現。       

  図書 「本」の意の漢語的表現。

  書籍 〔個人の知識の源泉となり、生活を豊かにするものとしての〕本。〔普通、
     写真・フィルムは除く〕         新明解

 

「書物」「図書」については「本」との文体的な差について書いています。

「図書」は単に「漢語的表現」というだけでいいかどうか。また、「書物」「書籍」も「漢語的表現」なのでは、と思いますが。

「書籍」の「生活を豊かにするものとしての本」というのは、「書物」についても言えるのじゃないか。「知識の源泉となる」のも「書物」に当てはまりそうです。

などと細かくケチをつけてしまっていますが、明鏡の無責任な態度よりずっとよいと思います。

とにかく、それぞれの項目に、何か書こうとしています。

 

岩波国語辞典の「本」。

 

  本 ⑧㋑〘名・造〙かきもの。書物。書籍。    岩波

 

岩波は、「本」の項では説明がなく、「書物」の項で具体的に書いています。

 

  書物 文章(や集めた表・図の類)を、手で書き記したり印刷したりして、一冊
   に綴じたもの。本。書籍。▽雑誌を含まず、電子化したのも今はまだ含まない。

 

「書物」のほうが「本」よりも基本的な語である、という判断でしょうか。

そして「書籍」と「図書」。

 

  書籍  本。書物。図書。          

  図書  書籍。書物。本。    岩波

 

明鏡と似ていますね。上に引用した「本」の「解説」を含めて、これが現在の国語辞典の水準を象徴している例です。(しかし、あげられている語の順番の違いが面白いですね。「本」の位置の違いは何を意味するのでしょうか。)

岩波は「書物」を基本的な語として解説し、「本・書籍・図書」は「書物」と同じ、で済ませています。それでいいんでしょうか。

また、「書物」の参考情報で、雑誌を含まないのはいいとして、「電子化したのも今はまだ含まない」というのはどうなんでしょうか。「電子書物」とはあまり言わないでしょうが、「電子書籍」はごく一般的な言い方ですよね。「デジタル本」という言い方もあります。それらは「書籍」であり「本」であるのでは?
「近頃の人は書物を読まなくなった。電子書籍やデジタル本は読んでいるらしいが。」というのは変でしょう。「書物」は「書籍」であり、「書籍」は「書物」だとしているのですから。

岩波はこういう辞書なんだなあ、という思いがますます強くなっていきます。

 

これらの語の違いを述べようとしているという点で、私がいいと思ったのは三国です。
   
  本 文章・絵などをかいたり印刷したりした紙のたばを、厚みが出るくらい重ねて
    とじ、きちんとした表紙をつけたもの。(用例略)[区別]「本」は最もふつう
    の言い方で、広く使う。「書籍」は商品や情報媒体として、雑誌・テレビなど
    と対比して使う。「書物」は読んで学んだり楽しんだりする場合に使う。
    「図書」は部屋に収めるものや、内容によって分類したものに使う。  三国

 

(「本」については、「厚みが出るくらい重ねて」というところが面白い。あんまり薄いのはダメ。それはともかくとして。)

この[区別]の解説がぴったりかどうかはまだ議論の余地があると思いますが、この程度の解説を他の辞書にも望みたいと思います。(他の語の項目には、この「本」の項を見よ、という指示があります。)

この[区別]の部分は、三国第七版にはなく、第八版で書き加えられたものです。よい「改訂」だったと言えます。

 

三国がこれらの語の違いを初めて述べた本だというわけではもちろんなく、例えば小学館類語例解辞典には次のような説明があります。

 

  本/書物/書籍/図書/書冊/書/巻/ブック の使い分け

   1「本」が、最も広く一般に使われる。種類、内容、形状などを問わない。
    紙製がふつう。

   2「書物」「書籍」は、やや硬い言い方。絵本や雑誌などは含まない。

   3「図書」は、図書館や学校が備えつけたり、教育に使用したりするものを
    さしていうことが多い。

   4「書冊」「書」「巻」は、硬い文章語。例文のような慣用的な表現で使われる
    ことが多い。

   5「ブック」は、他の語と複合して使われる。また、「スケッチブック」「スク
    ラップブック」のように、「帳」の意もある。

 (用例の一部)

   本  ▽本を読む ▽研究成果を本にまとめる
   書物 ▽書物をかかえた大学生 ▽貴重な書物
   書籍 ▽書籍の売り上げが伸び悩む ▽書籍小包
   図書 ▽図書を閲覧する ▽図書館 ▽児童用図書 ▽図書券

                               小学館類語例解辞典

 

この辞典は、ネット上の「goo辞書」の中にあります。

今となってはずいぶん前のもので、改訂されていないようなのが残念ですが、多くの語をとり上げ、類義語の違いを(不十分ではあっても)解説した辞典として、よいものだと私は思います。国語辞典の編集者はもっと参考にすべきだと思います。(きちんと参考にしていたら、明鏡や岩波のような書き方はできないはずです。)

 

さて、上の引用で、「書物」「書籍」が不十分なのが残念ですが、「ブック」をとりあげているのが面白いですね。「ブック」は、確かに「本」です。

三国の「ブック」を見てみます。

 

  ブック 1書籍。本。「-カバー」   三国

 

「このブックを~」などと単独の語としては使えないので、「ブック」は名詞とは言えません。類語例解が「他の語と複合して使われる」と書いているように、「造語成分」でしょう。
これも上の三国の「本」の[区別]で触れたほうがいいかどうか。そこまではせず、参照指示「→ブック」でいいでしょうか。

 

生物

「生物」の国語辞典の説明が不正確です。

 

  生物 命を持ち、生長し、繁殖するもの。動物・植物の総称。  三国

       生きて活動する物。いきもの。〔動物・植物の総称〕    新明解第七版

       生きて活動し繁殖するもの。動物・植物の総称。無生物。
      ▽「なまもの」と読めば別の意。→いきもの。     岩波

 

「生物」は「動物」と「植物」だけではありません。それで済ませようというのは、ずいぶん古い説です。

 

    動物・植物など、生命をもち、成長・繁殖するもの。いきもの。「━学・━界」
                               明鏡

 

明鏡は「動物・植物など」としていますが、この「など」は、他にもあるという意味でしょう。では、「動物・植物」以外にどんな生物がいるのか。

 

上で、新明解第七版としたのはもちろん意味があって、第八版には重要な変更があります。

 

    生きて活動する物。いきもの。〔動物・植物・菌類などの総称〕  新明解第八版

 

「菌類」が出てきました。しかも、なお「など」がついています。まだ他にもあるのでしょうか。

 

この項目に関して詳しいのは、私の見た中では三省堂現代新国語辞典です。

 

  生物 1「いきもの」の学問的な言い方。細胞からなるからだをもち、代謝
      行いながら成長・繁殖するもの。動植物や菌類、原生生物、細菌など。
      [類]生体・生命体 [対]無生物・非生物 →ドメイン②  三省堂現代新

 

「原生生物」「細菌」が、「動植物や菌類」とは別に立てられています。

さらに、「ドメイン」という項目を見るように指示しているのでそちらを見ると、

 

  ドメイン 2 生物の分類で、最上位の分類階級。動物界・菌界・植物界・原生
      動物界などの「界」のさらに上位。原核生物である細菌(バクテリア
      および古細菌アーキア)と、真核生物の三ドメイン。 →界2 
                              三省堂現代新

 

古細菌アーキア)」と「真核生物」です。いやまったく、本格的です。

(小型)国語辞典でここまで書く必要があるのか、とちょっと思います。
このように本格的に書いてくれても、結局よくわからず、不消化で終わりそうですから。

三省堂現代新は、高校生向けの学習辞典なので、生物という教科と連携させようということでしょうか。

 

同じく学習辞典である例解新国語辞典を見ると、

 

  生物 1「いきもの」の学問的な言い方。細胞からなるからだをもち、代謝
     行いながら成長し、繁殖するもの。一般に、動物と植物の二種類に大きく
     分けられる。(略)[参考]ワカメ・コンブ・アオミドロなどの藻類は、
     かつては植物にふくめられていたが、いまは「原生生物」にふくまれる。
     また、キノコ・カビなどの菌類や、細菌(バクテリア)も、動植物とは
     別の生物として分類されている。      例解新 九版

 

項目の本文では「一般に、動物と植物の二種類に大きく分けられる」と常識的な線でおさめ、[参考]として「原生生物」「菌類」「細菌」という分類をあげています。また、具体例も挙げていていいと思います。

体系的な分類の紹介としてはちょっと不徹底ですが、このくらいでいいんじゃないかなあ、と私は思います。

 

ネット上で見られる百科事典の類では、

 

  日本大百科全書(ニッポニカ)「生物」

   生物は常識的には動物と植物に二大別されているが、動物と植物の両方に同時に
   分類される生物もあり、無理がある。バクテリアなど単細胞でとくに微小なもの
   を微生物とする動物、植物、微生物の三区分や、動物、植物、菌類、原生生物、
   モネラの五生物界(五界)に分けることもある。

 

  百科事典マイペディア「生物」

   生命をもつもの。自然界を生物界と無生物界に分けることはアリストテレスの分類
   に始まるが,ウイルスの発見その他によってその境界は明確なものではなくなって
   きている。生物(生命)の定義はさまざまあり,万人の認める説はないが,生物学
   的には,エネルギー転換(代謝)を行い,自己増殖および自己保存の能力をもつ
   ものと定義するのが一般的である。生物はかつて動物と植物に2分されてきたが,
   現在では菌類を独立させ,さらに,原生生物,モネラ類(原核生物)を加えて
   5つのグループに分ける5界説が有力である。

 

のように解説されています。「動物と植物」の「二大別」では不十分で、「三区分」や「5界説」があるわけですね。

ただ、これらの百科事典は、現在ではすでに多少古いものです。

上の三省堂現代新はさらに新しい説を紹介しているわけで、それはウィキペディアの「生物の分類」という記事に詳しく書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E

我々になじみ深い「動物」「植物」は「真核生物」に含まれます。どうもピンときません。
というか、我々自身が「真核生物」なのですよ。自覚は全然ありませんが。

 

ということで、「動物と植物の総称」という説明では、国語辞典の編集者たちが若いころ(50年前?)に覚えた知識のままで、生物学の進歩を反映していないということです。

 

鉛分・塩分・鉄分

7年前に「鉛分」という記事を書きました。

niwasaburoo.hatenablog.com

元の記事は新明解の第七版についてのもので、2020年に第八版についてまた書きました。何も「改訂」はされていなかったので、同じ話になってしまいましたが、少し議論を書き足しました。

niwasaburoo.hatenablog.com

今度は三国について同じ話をもう一度しつこく書いておきます。三国はまたちょっと違うところがあるので。

 

  鉛分 〔文〕なまりの成分。   三国

 

これで項目の全部です。いわゆる「一行項目」で、行の下のほうは空いています。
語釈は「なまりの成分」ですが、「なまりの成分」って、鉛ですよね。

 

  成分 1物質を組み立てている<元素/一つ一つの物質>。2(略)  三国

 

「鉛を組み立てている元素」と言えば、やっぱり鉛です。
上の語釈は何を言っているのか。

すぐ隣に「塩分」という項目があって、そちらはわかりやすく書かれています。並べてみると、「鉛分」の奇妙さがわかると思います。

 

  鉛分 〔文〕なまりの成分。 
  塩分 海水・食べ物などにふくまれている、塩の成分。また、分量。しおけ。
     「-をひかえる」   三国

 

「塩分」とは、他の物質に含まれている(組み立てている)「塩の成分」です。
なぜ同じように書かないのでしょうか。例えば、次のように。

  鉛分 〔文〕水道水・ガソリンなどに含まれている、なまりの成分。

これでは辞書の1行分に入りませんが、どうしても入れようとするなら、

  鉛分 〔文〕なまりの成分。「ガソリンの-」

だけでもいいでしょう。これなら1行に入るはずです。 

 

同じような書き方をしている項目があります。

 

  糖分 糖類の成分(の量)。「-をひかえる」   三国

 

これも、前回の記事で書いたことですが、

  糖分 食品などの中にふくまれる糖類(の量)。「-をひかえる」

としたほうがわかりやすいでしょう。「体・体内・血液の糖分」という言い方もあるので、それをはっきり示すなら、「食品・体の中などに」とします。

 

「水分」の項には用例がないので、語釈の「その中にふくまれる」の「その」が具体的にどのようなものなのかわかりません。

 

  水分 その中にふくまれる、水の<成分/分量>。みずけ。   三国

 

明鏡は「水分を補給する」という例をあげていますが、「体の水分を補給する」とすればよりよいと思います。

 

三国では、第七版から第八版への改訂で、書き換えられた「-分」の項目があります。

 

  鉄分 成分としての鉄。かなけ。  第七版

  鉄分 栄養素としての鉄。かなけ。  第八版

 

なぜこう書き換えたのか。単に「成分として」では一般の物質の話と思われるから、ということでしょうか。それならば、書きことばコーパスの、

 ・体内の血液や鉄分が不足しがちです。
 ・女性の場合、鉄分が不足しがちです。
 ・鉄分が不足すると貧血になることも。

のような例を加えたほうが有益ではないでしょうか。

 

また、第七版の「成分としての鉄」と「かなけ」はどういう関係にあったのでしょうか。
これらは同じことの言い替えだったのではないでしょうか。

第八版ではそうなっていないように思います。

 

  かなけ 1水や土にふくまれる金属〔特に鉄〕の成分。「-が多い水・-が出る」
         三国

 

「栄養素としての鉄」と「かなけ」はずいぶん違うものでしょう。
この語釈のそれぞれに対応する用例がないと、使用者にはわかりにくいのでは。

 

話しことばコーパスからの例をいくつか。

 ・空気に触れて鉄分が酸化すると色がつきます。 (泉質について)
 ・もともとは透明だが、鉄分が酸化してこの色になる。 (ああ いい湯だな!)
 ・湧出時は無色だが、湯船では鉄分が酸化して赤褐色になる。
 ・赤土や黄土は鉄分が酸化したものですし、煤は炭素です。(絵の具コーナー)
 ・風化して茶色っぽくなるのは、鉄分が酸化して、酸化鉄ができるためです。
   (出雲の地質)
 ・赤い色は、土中の鉄分が酸素と反応したもので、鉄サビの色だそうです。
   (園芸用土)

 

ついでに、「鉛分」の隣の項目についても触れておきます。

 

  艶聞 〔文〕恋愛に関するうわさ。

  援兵 〔文〕たすけの軍勢。援軍。

 

短い用例でもつけたほうがいいと思います。例えば、次のような。

  艶聞 〔文〕恋愛に関するうわさ。「艶聞を流す」
  援兵 〔文〕たすけの軍勢。援軍。「援兵を求める/出す」

 

こういう、地味な、新語でも新用法でもない、目立たない語の語釈と用例の適切さにもっと心を砕いてほしいと思います。

 

持ち上がる

三省堂国語辞典の記述から。

 

  もちあがる 1持ち上げた状態になる。「土が-」2〔さわぎ・ごたごたなど、
    よくないできごとが〕起こる。(以下略)   三国

 

「土が(持ち上げた状態になる)」とはどういうことでしょうか。「もちあげる」を見ます。

 

  もちあげる 1手に持って上に上げる。2〔相談した企画・案を〕上の人に持ち
    出す。3おだてる。ほめあげる。[名]持ち上げ。

 

どう見ても2や3の用法ではないでしょうから、この1「手に持って上に上げる」という用法が、「持ち上がる」の語釈に使われた意味なのでしょう。

つまり、「土が(手に持って上に上げた状態になる)」というのが、「持ち上がる」の用例の意味になるのでしょう。なんのこっちゃ。ちょっとひどすぎません?

 

他の辞書を見てみましょう。まず、新明解。

 

  1((どこカラどこニ)-)陸地・海底などの一部が隆起する。「噴火で火口の周辺
     が-」
  2(どこニ-)〔手に持って〕上へ上げることが出来る。「重くて持ち上がらない」
  (以下略)                       新明解

 

手で「持ち上げる」ことができないことと、地面が「隆起する」ことを分けています。当然でしょう。

 

次に明鏡。

 

  1他からの力が働いて物が上の方へ上がる。また、位置が高くなる。隆起する。
  「荷物が重すぎて━・らない」「地震で地盤が━」2急に事が起こる。「合併の
   話が-」(以下略)   明鏡

 

「〔手に持って〕上へ上げる」よりもっと広く、「他からの力が働いて」としています。
それと、「隆起する」をただ並べているだけですが、荷物の用例と地盤の用例をあげていて、基本的には新明解と同じと言っていいだろうと思います。

「上の方へ上がる」のと「位置が高くなる」との違いは、私にはよくわかりません。

 

岩波も見てみます。

 

  ①隆起する。高くあがる。「地震で敷石が―」「エア ポケットに入って体が―」
  ②事が(急に)起こる。「事件が―」(以下略)   岩波

 

おやおや、こちらは三国とは逆に、ごく普通の「(手に持って)上に上げた状態になる」を表す用法が書いてありません。

「重くて持ち上がらない」という使い方は、「高く上がる」でカバーできるというのでしょうか。


「持ち上がる」を書きことばコーパス(NINJAL-LWP for TWC)で見ると、次の用法の例が圧倒的に多く出てきます。

 

  3((だれ・なにニ)-)突然に事が起こる。「大事件(紛争)が-/縁談が-」
                          新明解

 

三国の用法2、明鏡の2ですね。岩波の②も明鏡と同じような語釈と例です。

この用法については、新明解が例語が多くていいと思います。悪いこととよいこと、両方を出しています。ただ、せっかく「基本構文の型」として「((だれ・なにニ)-)」というのを示しているのに、用例にそれが出てきていません。ここが、新明解の不十分なところです。

 

書きことばコーパスで、ガ格に来る頻度の高い語は次のようなものです。初めの3語が圧倒的に多くの例があります。

  話・計画・問題・企画・疑惑・騒動・構想・縁談・事件・議論・話題が持ち上がる

三国の用法2の語釈は「よくないできごとが」としていますが、「計画・企画・構想・縁談」などは当てはまらないので、不適切な記述です。「予期していなかったこと、意外なこと」ぐらいでしょうか。

 

さて、話を元に戻して、具体的な動きの例としては、「体・部分・ふた・まぶた・胸・あし・頭・尻」などの例が、上の「話~話題」などよりも低い頻度で出てきます。実例をいくつか並べます。

 

 ・体が水面に持ち上がった瞬間に呼吸する。
 ・腕立て伏せのときに体が持ち上がらない人がいますよね。
 ・岩場に着いたのであるが、今度は水面から体がまったく持ち上がらないのである。
 ・ツガ属では、葉の付く枝の部分が少し持ち上がっています。
 ・コラーゲンが増えることで溝になっている部分が持ち上がり、しわなどの溝が改善します。
 ・ボリュームがあってフタが持ち上がっているカツ丼。
 ・フタが持ち上がるようなら、小石等を載せておきます。
 ・この筋肉が縮むとまぶたが持ち上がります。
 ・瞼がすっきり持ちあがり一重瞼が二重になることもあります。
 ・傷病者の胸が持ち上がるのを確認します。
 ・吹き込む量は、相手の胸が持ち上がるのを確認できる程度。(救急処置)
 ・痛くないのにあるけない、足がもちあがらない、日に日に歩けなくなってくる。
 ・ただ起きようとするも頭が持ち上がらん!
 ・なかなか重い腰とお尻が持ち上がりません。

 

上に引用した国語辞典の語釈に「手に持って」とあるのは「持ち(上がる)」の部分を意識しているのでしょうが、必ずしも、というより、多くの場合、「手」とは関係ないようですね。何らかの力によって、物理的に物が上の方向に動く、ということを表しています。

ということで、明鏡がもっと多くの用例をあげて、「他からの力が働いて」ということが具体的にわかるような記述にしてくれるといいのでしょう。(上の用例の中の「フタが持ち上がっているカツ丼」というのはいい例ですねえ。実例の楽しさです。しかし、これは「力が働いて」ではありませんね。さて。)

 

初めに戻って、三国の記述、次の改訂でどうにかしてほしいものだと思います。

 

簡単

「かんたん」という語は、なかなか簡単ではありません。

岩波国語辞典の記述から。
 
  簡単 〘名・ダナ〙こみいっていないこと。取扱いがたやすく、手数がかから
    ないこと。⇔複雑。「―な試験」「―明瞭」    岩波

 

これだけ見ると、これでいいようにも思えますが、他の辞書は少し違います。

まず、新明解。

 

      -な-に ⇔複雑 1構造(筋道)がこみいっておらず、だれにでもすぐ分かる
     様子だ。「-に言えば」2時間(手数)をかけずに行なわれる様子だ。
     「だれにでも-に出来る料理」    新明解

 

用法を二つに分けています。「込み入っていない、すぐわかる」場合と、「時間・手数をかけない」場合。

なるほど、と思いますが、前者の例である「簡単に言えば」というのは、後者の例としても当てはまるのでは、と思います。「料理」の例も、「こみいっておらず、だれにでもすぐ分かる」から、「かんたんに出来る」のだ、と言えるでしょう。つまり、両者は連続している?

岩波はそういう考えなのでしょうか。

 

三国も二つに分けます。(用法の順序は違います)

 

    1〔わかったり、したりするのに〕手間がかからないようす。「-にできる・
     そう-な話ではない」
    2こみいっていないようす。「-な図面」(⇔複雑)  三国

 

新明解との違いは、反対語の「複雑」が用法の2に対応していることです。新明解では(岩波でも)、「簡単」の用法全体に「複雑」が反対語としてあげられています。(三国では、反対語などが用法1・2の両方に関係する場合は「▽」の記号を付けることになっています。「記号・略号表」参照。)

「かんたんにできる」の反対は「複雑」ではありません。

岩波の「かんたんな試験」も、一つの意味では「難しい試験」が反対語になるでしょう。

もう一つ、「かんたんにできる」と同じように、(試験を実施する側から見て)「手間・手数をかけずにできる(試験)」、という場合には、「本格的な・きちんとした」あたりが反対概念になるでしょうか。「複雑な試験」と言える場合もあるでしょうが、「かんたんな試験」の対になるものではないでしょう。

 

明鏡を見てみましょう。

 

      1物事が込み入ってなく、単純にできているさま。「━な作業」「━な作りの
     器械」「━に説明する」⇔複雑
   2行うのに手間のかからないさま。たやすい。容易。「説明するのは━だ」
     「飲むだけで━に治る」
   3本格的でなく、手軽なさま。簡略。「━な食事ですます」
     ◇もと「単簡」とも。                 明鏡

 

明鏡は用法を三つに分けます。

「込み入っていない・単純」と「手間がかからない」と、もう一つ、「本格的でなく手軽」です。

「手間がかからない」と「手軽」はかなり近いようにも思いますが、「本格的でない」というところが重要なのでしょう。本来はそうであるべきところを「手軽に」なのですね。

 

この「簡単な食事ですます」と同じような例を学研新があげています。ただし、「時間・手数などがかからない」という用法の例として。

 

   1こみいってなく、わかりやすいようす。「-な問題」「-な操作」[対]複雑。
   2時間・手数などがかからないようす。「-に説明する」「-に昼食をすます」
                            学研新

 

ふーむ。どうでしょうか。「簡単な食事」と「簡単に昼食を~」の違いがあるでしょうか。

明鏡は「簡単に説明する」を「込み入っていない」の例としていますが、学研新は「時間・手数がかからない」の例としています。そして、「簡単に昼食をすます」と一緒にしている…。

また、明鏡では「てまがかからない」のところに「たやすい・容易」とも書かれていました。
学研新では「込み入っていない」といっしょに「わかりやすい」があり、「簡単な問題」という例があります。

 

   明鏡  1 込み入ってなく、単純。       「簡単に説明する」 
       2 手間がかからない。たやすい。容易。 「説明するのは簡単だ」
       3 本格的でなく、手軽。        「簡単な食事ですます」

   学研新 1 込み入ってなく、わかりやすい。   「簡単な問題」
       2 時間・手数がかからない。      「簡単に説明する」
                           「簡単に昼食をすます」

 

「簡単な問題」というのは、「手間・手数がかからない」から簡単なのか、「込み入っていない」から簡単なのか。

「簡単な説明」というのは、「込み入っていない」から簡単なのでしょうね。でも、「説明するのは簡単だ」という場合は「手間がかからない。たやすい。容易。」だ、と。

なかなか難しいですね。これは、簡単な問題ではなく、簡単に説明できそうもない…。

 

もう一度、別の方向から考え直してみます。

考え方として、それぞれの用法の反対概念を考える、というのがあると思うのです。

一つは「込み入っていない」の反対で「複雑」。また、「たやすい・容易」の反対として「難しい」。

もう一つ、「手軽」に対して「本格的・きちんとした」。

「手間がかからない」に対するのは何でしょうか。「煩雑」?

 

ふーむ。どうもすっきりしません。やはり、基本に戻って、多くの実例を集めて、じっくり考え直すところからやり直すのがいいようです。

とりあえず、他の国語辞典も見てみましょう。(例解新と新選は最新の版を持っていません。すみません。)

 

  1たやすくて、手間がかからないようす。「-にできる」[類]手軽・容易・簡易
   ・安直 2込み入っていないようす。「-なしかけ」[類]簡略・単純[対]複雑
                       三省堂

  1単純でわかりやすいさま。「簡単な構造」「簡単明瞭」2手数や時間のかから
   ないさま。「いとも簡単に解決する」「そう簡単にいくものではない」
   (「単純」の項にある表の例 「簡単に負ける」「昼食を簡単に済ませる」)
                              現代例解

  1ものごとがこみいってなくて、やさしい。「簡単な問題」[類]容易。2てみじ
   かで、あっさりしている。「簡単な面接試験がある」   例解新九版

  1ものの仕組みがこみいっていないようす。単純。「-な図形」⇔複雑・煩雑。
  2わかりやすく、むずかしくないようす。やさしい。「-な問題」⇔複雑
  3時間や手数のかからないようす。手軽。容易。「-に話す」「-に作れる模型」
                            新選九版

 

用法を二つに分けるものが多いですが、新選は三つに分けます。そこは明鏡と同じですが、語釈と例を見ると、そう簡単には言えないような…。(「手軽。容易。」が一緒になっていたり、「やさしい」と「容易」が分かれていたりします。また、反対語の「複雑」が2つの用法に対応しています。)

 

さてさて、問題が意外に難しいのか、単に私の頭が悪いためにすっきり整理できないだけなのか。

国語辞典によって細かい違いがいろいろあるのは、やはり何か問題があるからだと言っていいでしょう。

 

いずれにせよ、最初にあげた岩波の語釈はかんたんすぎるようです。(この「かんたん」の用法は? 「単純」か「手間がかかっていない」か「本格的でなく手軽」か。)

用例の数も不十分です。用法の広がりをそれぞれ抑えた用例が必要です。

学研新の「簡単に昼食をすます」という用例を、岩波の「こみいっていないこと。取扱いがたやすく、手数がかからないこと。」という語釈で説明できると考えるのは無理があるだろう、と私は思います。

 

追記:

和英辞典も見てみました。(「コトバンク」から)

プログレッシブ和英中辞典(第3版)の解説
かんたん【簡単】
 1 〔複雑でない様子〕
  簡単な問題 a simple problem
  一見難しそうな仕組みが (実は) 簡単なのに驚いた
  I was surprised at the simplicity of the seemingly complex mechanism.
 2 〔手短な様子〕
  それについて簡単に述べなさい Give a brief account of it.
  簡単に言えば彼は間違っている In short, he is wrong.
  簡単な食事を取る have a light meal/have a bite (to eat)
 3 〔やさしい様子〕
  簡単な本 an easy book
  その問題は簡単に解ける The problem can be solved easily.

 

すっきりしていますね。1は「込み入っていない」に当たるのでしょう。
あとは「手短」(手間がかからない)と「やさしい」。

これでいいでしょうか。上の議論をもう一度読み直して…。
なかなか面倒です。

 

追記2:

我ながら、なんだかわからなくなってきて、この記事は何度も少しずつ書き直しています。

前に見た時と違うな、ということがあると思いますがご容赦を。

和英辞典の分け方がすっきりしているように思うのですが、今一つ確信が持てません。