ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

今や

三省堂国語辞典の「今や」の項は、どうも説明が足りません。

 

  今や(副)1今(にも)。2今では。「あの男が-一流の学者だ」  三国

 

この1の「語釈」(?)は何だかわかりません。「今や」は「今」または「今にも」と同じだというのでしょうか。もちろん、そういう場合があるのはそうなんでしょうが、それを実際に示すのが用例というものでしょう。それがない。

また、ある場合の「今や」は「今」と解釈すればわかるのだとしても、では、話し手(書き手)はなぜ「今」でなく「今や」をわざわざ選んで使ったのかということがわからないでしょう。それこそが、辞書としていちばん大切なことなんじゃないか。

そして、「今」と「今にも」はこのような形で並べていいものか。この二つははっきり違うでしょう。

「今にも降り出しそうな空」を「今、降り出しそうな空」と言ったら、まるで気が抜けてしまいますし、「今や降り出しそうな空」とも言わないでしょう。それぞれ、意味的にはそう言えそうでも、ぴったりしない。

「今にも」は項目として立てられています。そこにはどう書いてあるか。(「今に」の「追い込み項目」)

 

  今にも(副)あぶなく。まさに。「-落ちそうだ」  三国

 

「今」とはずいぶん違います。この「あぶなく」というのはどういうことなのかわかりません。用例の「今にも落ちそうだ」を「あぶなく」で言い換えると、「あぶなく落ちそうだ」?

 

  あぶなく(副)〔形容詞「危ない」の連用形から〕→危うく[1]

  あやうく(副)〔形容詞「危うい」の連用形から〕1たいへんなことが起こりそう
    だったときに使う。もう少し(のところ)で。あわや。あぶなく。「-落ちる
    ところだった」   三国

 

「あぶなく落ちそうだ」というのは変で、「あやうく」の用例にあるように、「あぶなく落ちるところだった」でしょう。「たいへんなことが起こりそうだったときに使う」というのは、わかりやすい説明ですね。

では、「今や」にこういう使い方があるのでしょうか。「今や落ちそうだ」「今や落ちるところだった」?

やはり、「今や」の1の用法の「解説」(?)が「今(にも)」だけで何の用例もないのが問題の根本ですね。どういう用法なのかまったくわかりません。 

 

三国の「この辞書のきまり」の13「解説文」というところには次のように書いてあります。

 

  この辞書では、解説文〔=意味の説明を中心とする文〕を、「要するにどんな
  意味か」がよく分かるよう、簡潔に書くことに努めます。「ことばを写生する」
  「ことばのたくみな似顔絵をかく」と表現してもいいでしょう。

                        この辞書のきまり p.(13)

 

「要するにどんな意味か」で、「今や」は「今」または「今にも」だと言われても、それで「なるほど」とわかるものでしょうか。

用法2の「今では」のほうも、「では」の持つ意味合いがこれでは伝わりません。なぜ「今では一流の学者だ」と言っているのか。せめて「あの、勉強嫌いだった男が」くらいにして、過去との対比を示さないとはっきりわかりません。

 

新明解国語辞典を見てみましょう。

 

    今や  1今まさにその時を迎えて(迎えようとして)いる様子。「-風前の灯(トモ
     シビ)だ/彼女も-お年頃(ゴロ)だ」
     2昔の状態が信じられないほど、現在はすっかり様子が変わっている様子。
    「-昔日の面影(オモカゲ)は無い/あの使い走りが-大スターだ」   新明解

 

この2は三国の2ですね。「昔日の面影」「あの使い走り」という言い方で、「今では」昔と違うんだ、ということが示されています。

1のほうも、きちんと意味の説明がなされています。用例は「今まさに」で言い換えられるでしょうか。ただの「今」ではないですね。

新明解には用法の1と2に用例が二つずつ、計四例がある(三国は一つだけ)のですが、三国の「今にも」に当たる例はないようです。

 

明鏡はどうでしょうか。
                   
  今や 1現在を特別の時とみなして強調する語。今こそ。「━決起すべき時だ」
     「━春たけなわ」
   2過去と甚だしく異なる現在を強調する語。今では。「━飛ぶ鳥を落とす勢いだ」
   3事態の展開が目前に迫っているさま。今にも。今まさに。「━散らんとする花」
    「や」は強意の助詞。     明鏡

 

明鏡は用法を三つに分けています。新明解の1「その時を迎えて(迎えようとして)」を1と3の二つに分けたと考えればいいでしょうか。「今こそ」と「今にも/今まさに」です。

でも、1の用例「決起すべき時だ」は「今まさに」とも言えそうですね。ふむ。「今こそ」「今まさに」はそれぞれどういうときに使えるのか。

どうやら、もっと用例を集めて、ゆっくり考えたほうがよさそうですね。そんなに簡単な話ではなさそうで。

その辺の問題はともかく、三国の「今にも」は、この「散らんとする花」に当てはまりますね。こういう例を出してほしい。「事態の展開が目前に迫っている」くらいの「解説」もつけて。

 

もう一冊、岩波も見ておきましょう。

 

  今や〘連語〙「いま」を強めて言う語。今では。今こそ。「―一流の画家だ」
    「―決断すべきだ」「―遅し」(待ち望む気持や状態を表す言い方)
    ▽「や」は詠嘆を表す助詞。    岩波

 

おやおや、「「いま」を強めて言う」で済ませてしまうんですか。「強める」「強調する」って、なんにでも言えてしまうんですよね。単に強めるだけなら、

  「ああ、ずいぶん遅くなっちゃった。今や何時?」

とか、

  「早く来い!」「すみません! 今や行きます!」

とか言ってもよさそうですね。しかし、そうは言わない。いくら「強めた」にしても。

明鏡も用法の1と2の説明で「強調する語」と言っていますが、その前に「現在を特別の時とみなして」とか「過去と甚だしく異なる現在を」というふうにより具体的な内容を説明しているんですね。この辺を岩波も見習ってほしいものです。

 

もう一つ、どの辞書にも書いてないのですが、「今や」は日常的な表現ではないということを何らかの形で示してほしいと思います。書きことば、と言ってしまうと、ちょっと違うでしょうか。