たった今
たった今 いましがた。ただいま。「-帰りました」 三国
たった今 ほんの少し前。いましがた。「━到着したばかりだ」
▽「ただいま」の転。 明鏡
三国。「たった今」の「語釈」として「いましがた」を最初にあげるのはどうなんでしょうか。
小学生や中学生は、え? と思うんじゃないでしょうか。たぶん、この語を知らないでしょう。
「いましがた」を引いてみると、
いましがた 今より少し前。いまがた。「つい-出かけました」 三国
とあります。なぜ、この「今より少し前」という説明を「たった今」の項に書かないのでしょうか。
明鏡はそのようにしていて、わかりやすいと思います。
また、「ただいま」を引いてみると、
ただいま[1](名・副)1今。「-の時刻は正午です」2今すぐ。「-まいります」
[2](感)〔話〕外から帰ったときの、身内・仲間へのあいさつ。(略) 三国
「今」と「今すぐ」です。「いましがた」とは違います。
そうすると、「たった今」は「今より少し前」と「今」と「今すぐ」の三つの用法があるということでしょうか。それなら、そのように用法を分けてきっちりと、わかりやすく書いてほしいと思います。
正直に言うと、私は、三国の編者は「いましがた」と「ただいま」、そして「たった今」の三語を同じ意味だと思っているんじゃないかと疑っています。つまり、すべて「今より少し前」です。
いや、それは「ただいま」の項の解説と合わないだろう、という反論がすぐ出るだろうと思いますし、そうなんですが、そう考えたほうが「たった今」の用例「-帰りました」ともぴったり合うのです。「ただいま」を入れると、「ただいま帰りました」ですから。
明鏡の「ただいま」には、
ただいま[1](副)1(名)まさに今。今現在。「-準備中」 2(名)つい今しがた。
「-お帰りになりました」 3すぐに。もうすぐ。「はい、-参ります」
◇「今」よりも改まった言い方。[2](感)(略) 明鏡
「いましがた」と同じ用法も書いてあります。用例も「お帰りになりました」です。三国の「たった今」の語釈にある「ただいま」はこのつもりなんじゃないか。そう考えると、「たった今」の、いかにも手を抜いた、説明不十分の「語釈」の書き方もわかるように思います。同じ用法の語を並べただけ、です。
さて、以上のように考えると、三国と明鏡は「たった今」を「少し前」、つまり過去を示すと解釈していることで共通するということになりますが、そうでない辞書もあります。
たった今 〔「ただいま」の転〕まさに「今」としか言いようがないほど、何かを
してから(するまでに)間(マ)が無い様子。「-〔=今しがた〕帰ったばかり
です/-〔=今すぐ〕出て行け」 新明解
新明解は「してから/するまでに」、用例では「今しがた/今すぐ」の二つ、つまり過去と未来の二つの用法を認めています。
現代例解ははっきり二つの用法に分けています。
たった今 1ごく近い未来を表わす語。今すぐ。「たった今やめなさい」2ごく
近い過去を表わす語。つい今しがた。「たった今帰りました」 現代例解
私の語感では、未来のほうはどうも少し古い感じがしますし、使い方も限られているように思います(用例は二つとも命令表現です。「今すぐ/たった今、行きます」?)が、そういう用法があるのは確かでしょう。つまり、三国と明鏡は用法の記述が足りないと思います。(三国の「ただいま」が、未来のことに使えることを示しているとは考えないことにして、ですが)
なお、岩波には「たったいま」という項目はありません。しかし、「たった」の項目に「たった今」の用例があります。
たった〘副〙数量がわずかであるさま。「満点は―一人だけ」「―今来たところ
だ」「会費は―の千円で飲み放題」 岩波
「たった」の「数量がわずかであるさま」の用例として「たった今来たところだ」です。「たった今」で「数量がわずか」とはどういうことなのか。丁寧な説明、なんてことはまったく考えていません。これが岩波国語辞典です。