国語辞典10冊の自他判定の比較という、まあ何というか、相当ヒマ人の時間つぶしもそろそろタネがなくなってきました。
今回は落ち穂拾い。
まず、時の経過を表す「送る」と「暮らす」を。
「人に物を送る」あるいは「見送る」という意味では他動詞ですが、「日を送る」という言い方があります。
明鏡はそれを自動詞と見なし、「自他」とします。他の辞書はみな他動詞のみです。
(他の用法は省略します。)
送る(自五)時を過ごす。また、あるしかたで生活する。「幸福な人生[不安の
日々]を━」「学生時代は下宿生活を━・った」 明鏡
送る〘五他〙1㋒時を過ごす。「なまけて日を―」 岩波
送る 3(なにヲ-)過ぎて行くものを、過ぎ行くままに任せる。「悔いの無い一生
を-/充実した毎日を-〔=暮らし方をする〕」 新明解
明鏡はなぜ「日を送る」を自動詞と考えるのか。
前にも引用した明鏡の「品詞解説」から。
自動詞・他動詞は、以下のように区別する。
(ア)「割れる/割る」のように、形態的な対と「~が/~を」の格の対応がある
ものは、「~が」を取るものを自動詞、「~を」を取るものを他動詞とする。
「夜を明かす」のように、「~を」への働きかけは希薄でも、「夜が明ける」
のような対を持つものは、他動詞とする。
(イ)対を持たないが、「~を」を取る動詞のうち、「ご飯を食べる」「石を蹴る」
のように意味的に「~を」への働きかけの強いものは、他動詞とする。
(ウ)「道を歩く」や「幸福な人生を送る」など、移動や時間の経過を表す動詞
で、対もなく、「~を」への働きかけも認めにくいのは、自動詞とする。
この(ウ)ですね。「「~を」への働きかけも認めにくい」からだそうです。
(「仕事を怠ける」(明鏡は他動詞)のは、「仕事」への「働きかけ」がある。なるほど…。)
ところが、同じような意味の「暮らす」は、他の辞書でも自動詞と見なされます。
送る 暮らす
新明解8 他 自
明鏡3 自他 自
三国7 他 自他
岩波8 他 自他
学研新6 他 自
三現新6 他 自他
小学日 他 (自)他
集英社3 他 自他
旺文社11 他 自他
新選9 他 自他
暮らす(自五)1(日が暮れるまでの)時間を過ごす。また、ある期間を過ごす。
日々を送る。「日がな一日を読書をして━」「待てど━・せど音さたがない」
「夏はいつも田舎で━」
2 生活する。また、生計を立てる。「都心のマンションで一人で━」「贅沢
に[つましく]━」 明鏡
暮らす(自五)((なにヲ)-/(なにデ)-)寝たり起きたり 食事をしたり 仕事を
したり遊んだりなどして、一日(一日)を生きていく。「わずかな収入で今
まで何とか暮らして来た/自由気ままに-/遊び-」 新明解
暮らす〘五他自〙①月日をすごしてゆく。転じて、生活する。生計を立てる。
「気楽に―」▽②から。②日が暮れるまでの時間をすごす。「本を読んで―」
岩波
暮らす(他サ五)1①〔…ヲ、トコロデ〕日が暮れるまでの時間を過ごす。また、
年月を送る。[例]風邪のため一日を寝て暮らす/一年を外国で暮らした。
②(自動詞的に)生計をたてる。生活する。[例]こんなに安い給料では暮ら
してゆけない。 小学日
暮らす<自他動五段>1一日をすごす。「寝て-」2月日を過ごす。「人生を豊か
に-」3[収入を得て]生活する。「くらしていけない」 三現新
暮らす[自他五]1生活する。生計をたてる。「給料で-」2一日をすごす。「ぼん
やりと一日を-」「泣き-」3月日をおくる。「平和に-」 新選
暮らす1(他五)日が暮れるまでの時間を過ごす。月日を送る。「平和な日々を-」
2(自五)生活する。生計を営む。「都会に-」「安月給で-・していけない」
旺文社
明鏡は「送る」の自動詞用法と同じように自動詞とします。
新明解は「(なにヲ)-」という構文の型を示しながら、自動詞とします。「一日を送る」は他動詞で、「一日を暮らす」は自動詞とするのでしょうか。
学研新は自動詞とし、「を」の例はありません。
岩波は「を」の例を出さず、「他自」です。
小学日だけは、基本的に他動詞とします。「を」のないものが「自動詞的」とされます。
三現新・新選は「自他」とし、「を」の例を出しています。
旺文社は用法を分け、他動詞のほうに「を」の例を出します。
以上の中では新明解と岩波が用法と用例の対応に関して不十分ですね。
「自他」とする辞書が多いのですが、それらは「を」がある用法は他動詞とみなすものが多いです。つまり、「送る」と同じ考え方です。
「自」とだけある辞書、新明解と学研新が「送る」と「暮らす」で自他判定が一貫しないように見えるということです。
もう一つ、三国だけが自動詞とする動詞で、何故だろうと思うものです。
ど忘れする
新明解8 他
明鏡3 自他
三国7 自
岩波8 自他
学研新6 他
三現新6 自他
小学日 表示なし
集英社3 動詞なし
旺文社11 他
新選9 他
度忘れ(名・自サ)(何かのはずみで)ひょいと忘れてしまって、どうしても思い
出せないこと。どうわすれ。 三国
明鏡・岩波・三現新は「自他」とします。それらの自動詞の用法はわかりません。
度忘れ(名・自他サ変)よく知っているはずのことを、ふと忘れて思い出せないこと。
「恩師の名前を━する」 明鏡
度忘れ〘名・ス自他〙ふと忘れてしまって思い出せないこと。どうわすれ。 岩波
度忘れ<名・自他動サ変>ひょいと忘れて、どうしても思い出せないこと。どう
わすれ。「人の名前を-する」 三現新
明鏡・三現新の例のように、「名前をど忘れする」はごく普通の使い方で、これを自動詞とするのはなぜでしょうか。心理的な意味の動詞だから? 三国も「忘れる」は他動詞としています。「ひょいと忘れる」と自動詞になるんでしょうか。