前に、「国語辞典の「自動詞・他動詞」(27):宮島達夫の自他比較表」の最後に、宮島以外にこのような比較をした人がいたら教えてくださいと書いたところ、editechさんが次の論文を教えてくださいました。
山崎誠「辞書における自動詞・他動詞とコーパスにおける実態」(江田・堀 編(2020)『自動詞と他動詞の教え方を考える』くろしお出版 p.57-72)
この論文を読むことができましたので、かんたんに紹介します。
この論文は、次のところでほぼ同じ内容を見ることができます。シンポジウムの報告資料です。
「辞書における自動詞他動詞」山崎誠
日本女子大学 公開シンポジウム「日本語の自動詞・他動詞を考える」2017.10.06
http://www2.ttcn.ne.jp/khori/ku_hui_zinopeji/zhong_leshitashinpojiumu_files/%E8%BE%9E%E6%9B%B8%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%A9%9E%E4%BB%96%E5%8B%95%E8%A9%9E_rev.pdf
そこの「1.概要」を引用します。
・「日本語教育語彙表Ver1.0」における初級前半・初級後半の動詞122語について、
5冊の小型国語辞書で動詞の自他の情報を調べた。
・(1)自動詞・他動詞の区別は122語中21語が何らかの形で違っていた。
・(2)自動詞・他動詞の区別が異なる理由は、新しい用法の有無、既存の用法の
捉え方の違いによる。
上記の論文では20語になっています。これは、上記報告の最後の「終わる」を除いた数です。
その20語に対する辞書の自他判定比較表を次に引用します。ただし、縦と横を逆にしてあります。
このほうが見やすいと思いますので。(論文には122語すべてが載せられています。)
上がる 開く 上げる 浴びる 生きる 売る 送る
岩波7新 自 自 他自 他 自 他 他
三国7 自他 自他 他自 他 自他 他自 他
新選9 自他 自 他 自 自 他 他
新明解7 自他 自 他自 他 自 他 他
明鏡2 自他 自他 他自 他 自他 他 他自
教える 押す 思う 返す 変わる 頑張る
岩波7新 他 他(自) 他 他 自 自他
三国7 他自 他自 自他 他自 自 自他
新選9 他 他自 他 他 自 自
新明解7 他 他 他 他(自) 自 自(他)
明鏡2 他 他(自) (自)他 他自 自他 自(他)
聞く 決める 切る 答える 取る 脱ぐ 休む
岩波7新 他 他 他 自 他 他 自他
三国7 自他 他自 他 自 他 他自 自
新選9 他 他 他 自 他 他 自
新明解7 他 他 他 自 他 他 自他
明鏡2 他 他 他自 他自 他自 他(自) 自他
(元表は縦と横の軸が逆。縦に動詞、横に辞書名が並ぶ。)
使用辞書は、私の「国語辞典の「自動詞・他動詞」」の表よりも古い版のものがあります。
岩波と新明解と明鏡です。元のシンポジウムは2017年ですので、その後に改訂されたこれらの辞書は、前の版が使われています。
「自他」「他自」は辞書で出される順番に従っています。
問題となる用法をかんたんに紹介します。
「上がる」は「食べる」の意で他動詞を認めるかどうか。「開く」は「口をあく」という使い方、「あげる」は「潮が上げる」など。
「浴びる」「頑張る」「思う」「休む」などは私の調査でもとりあげました。(「思う」では明鏡の語法説明を見落としていました。)
「生きる」はとりあげようと思っていて忘れました。「暮らす」と同じような用法ですね。「送る」も「不安の日々を送る」という使い方を自動詞とするかどうか。
「売る」は「あの店でイチゴを売っている」というような使い方を認めるか。「教える」は「大学で教える」を自動詞と見なす。
「押す」は「時間が押している」を自動詞とする。「返す」は「寄せては返す波の音」は自動詞か。
「変わる」は「席・アパートを変わる」を他動詞と認めるかどうか。
「聞く」は「国民の意見に聞く」という言い方があること。「決める」は「スーツで・ラーメンで決める」という言い方。
「切る」は「十秒を切る」で、「割る」と同じような使い方を他動詞とするかどうか。
「答える」は「ありのままを答える」という使い方。
「取る」は「初心者にとっては難しい」を自動詞とする。「脱ぐ」は「アイドルが脱ぐ」の類は自動詞か。
基本的な動詞122語をすべて見ていくというのは、なかなか疲れる作業です。5冊すべて同じという動詞が大半だからです。
しかし、食い違いがどのくらいあるかという割合がわかるということも重要なことです。122分の21、約6分の1という結果でした。
なお、山崎論文では書きことばコーパスを調べて、実際の用法、その偏りなども調べています。
私の調査は、違いがありそうな動詞を新明解・三国・岩波・明鏡の4冊で比較して、違いがあれば他の辞典を見る、というのが基本的なやり方でした。
山崎の調査の結果と比べてみても、私が拾えたのは全体のごく一部であろうと思われます。
辞書による自他の認定の違いがかなりの数あるということ、それをどう考えるか。