ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(11):頼る・話しかける・教わる

人に対する精神的、あるいは言語的な動作の動詞を。

 

        頼る 働きかける 話しかける

  新明解8  自他   他    自
  明鏡3    (自)他    自      他 
  三国7   自他  自     自 
  岩波8    他  自     自 
  学研新6  自他  自     自 
  三現新6   他  自     自 
  小学日   自他   他     他    
  集英社3   他  自     自       
  旺文社11  自   自     自     
  新選9   自   自     自

 

「頼る」は自動詞とする辞書が2冊、自他とするのが4冊、基本的に他動詞とするのが4冊です。

自動詞とする旺文社は「先輩を頼る」「杖に頼る」「勘に頼る」という3つの用例をあげています。
「先輩に頼る」でなく、「を」を使っているのですが自動詞とします。なぜ?

新選は「息子に頼る」という1例のみ。

自他とする新明解。「基本構文の型」を「(なに・だれニ-/なに・だれヲ-)」とし、「に」と「を」をとることを示しています。それが自動詞と他動詞に対応するのでしょう。「叔父を」「杖に・勘に」という用例があります。

 

  頼る(自他五)(なに・だれニ-/なに・だれヲ-)〔「た」は、もと接辞〕自力で
    対処・解決できない事態におちいった時に、助け(支え)になってくれる
    ものと信じて、他の人や物(の力)によりかかろうとする気持をいだく。
    「叔父を頼って上京する/頼れるのは君しかいない/杖に頼って歩く/
     勘に-捜査」   新明解

 

他動詞とする岩波。

 

  頼る〘五他〙①助けてくれるものとして力をかりる。たのみにする。「兄に―」
    ②つながりを求める。てづるとする。「知人を-・って渡米する」   岩波

 

用法を二つに分け、それぞれ「に」と「を」の用例を添えています。
しかし、これなら「自他」なのでは?

集英社の例は「学資を親に頼る」「つえに頼る」「恩師を頼る」です。
三省堂現代新は「親に」「知人を」「武力に」をあげ、他動詞とします。
「自他」としないのはなぜでしょうか。

 

明鏡は、基本的には他動詞とし、「自動詞的にも使う」としています。

 

  頼る(他五)1 自分を支え助けてくれるものと信頼して、それをあてにする。
     頼りにする。「姉を━・って上京する」「地図を━・って山道を行く」
   2自分を支え助けてくれるものと信頼して、事の成就をそれにゆだねる。
    頼りにしてそれにすがる。「住宅資金を親(の財力)に━」」
    [語法]「腕力に頼って解決する」「山勘に頼って捜査する」のように、自動
    詞的にも使う。これを他動詞で表現すると、それぞれ「解決を腕力に頼る」
    「捜査を山勘に頼る」となる。   明鏡

 

「これを他動詞で表現すると」のところが面白いです。「杖に頼って歩く」の場合はどうなるのでしょうか。「歩行を杖に頼る」でしょうか。「歩くのを~」?


「働きかける」は、多くの辞書は自動詞とし、他動詞とするのは新明解と小学館日本語新のみ。

 

  働きかける(他下一)こちらから積極的に行動(提案)をしかけて、相手もそれに応じ
    るように仕向ける。「和平(合併)を-/事故の再発防止を国に-」  新明解      

  働きかける(他)自分から他のものに動作、作用をしかけて、それに応じてもらう
    ようにする。[例]仲間に加わるよう働きかける/行政に働きかけて保育園を
    新設する。   小学館日本語新

 

「を」の例をあげているのは新明解だけです。


「話しかける」を他動詞とするのは明鏡と小学館日本語新のみ。新明解は自動詞とします。

 

  話しかける(自下一)(それを予期していない)相手に向かって話をする。 新明解

  話しかける(他下一)1 相手にことばをかけて話をしようとする。「隣席の客に━」
     2 話し始める。「━・けて口をつぐむ」    明鏡

 

「を」の例は明鏡もあげていません。小学日の例は「隣席の人に話しかける」です。
では、他動詞だとする根拠は何でしょうか。
                
「複合動詞用例データベース」で「話しかける」が「を」をとる例を調べてみると、次のような例が見つかりました。他動詞の用法があると考えていいでしょうか。

 ・そうですね〜話しかけるには何を話しかけるか考えないといけませんね。
 ・夫に何を話しかけても、返ってくる答えは、
 ・赤ちゃんに何を話しかけますか?
 ・お母さんというのは、赤ちゃんにいろいろなことを話しかけます。
 ・「やりたいこと」などをスマートフォンに話しかけると、その言葉の意図を読み取り、
 ・自然なきっかけ作りをするなら、あくまでいきなり突飛なことを話しかけるよりも、
  日常のあたりまえに話すことを
 ・スコールが一人でガーデンに戻ろうとすると、アーヴァインが何か修理のことを
  話しかけてきます。
 ・話しかけるにも、ちゃんと会話になるようなことを話しかけるのなら、まだ相手に
  してくれる


人から受ける動作、受動的な意味の動詞を3語。

「教わる」は三省堂現代新と集英社が自動詞とします。他の辞書は他動詞です。

 

  教わる(自動五段)教えてもらう。   三現新

  教わる(自五)教えてもらう。習う。「平泳ぎを-」  集英社

 

なぜ自動詞とするのでしょうか。

 

集英社は付録として、森岡健二「日本語の語彙の体系と歴史」(10ページ)、川端善明「日本語の品詞-口語を中心に-」(8ページ)、などしっかりした解説を付けています。
その品詞解説の中で自動詞と他動詞について触れていますが、あまりはっきりしたことは書いていません。

 

  (前略)そうした意味的な種類のなかでもっとも文法的なそれは、自動詞と
  他動詞であろう。この区別は、動詞の意味する動作・作用が、動作主自らの
  上にとどまるか、他の対象を持つかという相違であって、それが結果的に、
  格助詞の選択という現象にまで及ぶのである。ヲの格助詞をとるかとらぬか
  は、一つの大きな目安であるが、動作・作用の及ぶ対象がものかひとか、も 
  のやひとならぬところやときかという違い、格助詞と格範疇の関係などから、
  自他の区別はつけられるものである。   集英社「日本語の品詞」(p.1998)

 

このあとは自他と活用の種類の話になってしまい、自他の区別の話は上の引用部分だけです。これだけでは具体的なことはさっぱりわかりません。
「平泳ぎを教わる」という例で、「平泳ぎ」は「他の対象」ではないのでしょうか。

「習う」は他動詞です。

 

  習う〔他五〕2人から教えを受ける。教わる。「有名な先生に-」  集英社

 

「有名な先生に習う」は他動詞で、「有名な先生に教わる」は自動詞でしょうか。

「ならう」を「自他」とする辞書は、「倣う」を自動詞とするためです。明鏡の例を。

 

  明鏡 自「先例に倣う」「右へ倣え!」 他「英語・運転・ピアノ を習う」

 

「ならう」を他動詞とする辞書は、「倣う」も他動詞とします。

 

  新明解 他「歌を習う」「先生に習う」 「…の例に倣う」

 

       教わる ならう 授かる 

  新明解8   他   他  自他 
  明鏡3    他  自他   他
  三国7    他  自他   他  
  岩波8    他  自他  自   
  学研新6   他   他   他
  三現新6  自   自他  自他   
  小学日    他  自他   (自)他  
  集英社3  自    他  自他 
  旺文社11   他   他  自他 
  新選9    他   他   他
          (自は 倣う)

 

もう一つ、「授かる」を見ます。岩波が自動詞とし、新明解・集英社などは自他、明鏡などは他動詞とします。

 

  授かる〘五自〙上の者から下の者に与えられる。たまわる。いただく。「子は
    天から―ものだ」。伝え教えられる。「師から秘伝を―」  岩波

 

「教わる」と同じで、なぜ自動詞とするのかわかりません。

 

  授かる(自他五)かけがえの無いものをいただく。「子宝を-/野生動物は自力で
    生きる能力を天から授かっている/授かり物」   新明解

  授かる〔自他五〕(天・神仏や位の高い者などから〕頂く。大切な物を与えられる。
    賜る。「位を-」「才能を-」「極意を-」  集英社

 

これらの用例は自動詞の例でしょうか、他動詞の例でしょうか。

 

  授かる(他五)神仏や目上の人からある特別なものを与えられる。授けられる。
    「神からお告げを━」「子宝を━」  明鏡
  
小学館日本語新は基本的に他動詞としますが、次のような注記をしています。

 

  ◆「授ける」に対する受身的な意味の語として生まれたため、「あの人が子宝を
   授かる」のほかに、「あの人に子宝が授かる」という自動詞と見られる表現も
   使われることがある。   小学日

 

「あの人に子宝が授かる」が自動詞だというのはよくわかります。

「教わる」「授かる」を自動詞と見なしたがるのは、「教わる:教える」「授かる:授ける」という語形の対応がある対を、「当たる:当てる」のような自他の対と同様のものと考える、ということから来るのでしょうか。