ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

広辞苑と「自動詞・他動詞」(2)

前回の記事の続きです。

少し前に十種の国語辞典で調べた動詞を広辞苑がどう判定しているかを見ていきます。
前の記事でとりあげた順に見ていきます。かっこ付き数字はその記事の番号です。
(「2021-12-05 国語辞典の「自動詞・他動詞」(1)」~)

 

(1)(2)(3)(4)
      越える 越す 飛び越える 飛び越す 乗り越える 乗り越す 乗り過ごす
 新明解8  自  自   自     自    自     自      なし  
 明鏡3   自  自   自     自    自     自      自   
 三国7   自  自   自      他   自      他     他  
 岩波8   自  自他  自      他   自      他    自   
 学研新6  自  自   自     自    自     自      自   
 三現新6  自  自    他     他   自      他    自   
 小学日   自  自   自     自     他    自      自   
 集英社3  自   他  自     自    自     自      自   
 旺文社11  自  自他   他     他    他     他    他 
 新選9   自  自    他     他    他     他    自   
 広辞苑7  自  自他   他     他   自      他    他

 

広辞苑は「越える(超える)」を自動詞、「越す(超す)」を他動詞とします。岩波・旺文社・集英社も同じ。その根拠はわかりません。(「越す」の「自」は(現代語では)「引っ越す」を意味する場合と「お越しください」などの敬語表現のみ。岩波・旺文社も同じ。)

広辞苑の「越える」の用例は「国境をこえる」「冬をこえる」「気温は三〇度をこえる」「定員をこえる」などで、「越す」の用例は「先をこす」「冬をこす」「五十をこす」「難関をこす」などです。(広辞苑の用例では、その語は「-」で置き換えられているので、漢字表記はわかりません。読みやすくするためにかなで示しておきます。)
「冬を越える」は自動詞で、「冬を越す」は他動詞。この違いは私にはわかりません。

前回引用した第七版の「文法概説」から。

 

   動詞は目的語を必要としない自動詞と、目的語を必要とする他動詞と
  に分けられる。他動詞の「切る」では、「木を切る」のように、動作の
  影響が及ぶ「木」を目的語として表現する。自動詞では、動作の影響が
  及ぶ対象がなく、たとえば「走る」では対象を示す必要がない。

 

動詞の例を置き換えてみます。

 

   動詞は目的語を必要としない自動詞と、目的語を必要とする他動詞と
  に分けられる。他動詞の「越す」では、「冬を越す」のように、動作の
  影響が及ぶ「冬」を目的語として表現する。自動詞では、動作の影響が
  及ぶ対象がなく、たとえば「越える」では対象を示す必要がない。

 

これを読んで、「なるほど。確かにそうだよなあ。」と思う人はいるのか。
「冬」に「動作の影響が及ぶ」というのはどういうことか。

もちろん、「冬」でなくて「国境」でも同じです。「国境を越す」と国境に影響が及び、「国境を越える」場合は国境に影響が及ばない。ふーむ。

「越す」も自動詞とする辞典が多くあります。私は、そちらに賛成します。「動作(移動)の場所」にすぎません。

 

広辞苑は、他の小型国語辞典と違って、古典語も対象にしています。それによる違いもあるかもしれません。ただ、その動詞を「自」「他」と表示するということは、現代語でも「越える」は自動詞で、「越す」は他動詞だと主張しているのだと考えていいでしょう。その違いは何か。

 

広辞苑は「飛び越える・飛び越す」はどちらも他動詞とします。(旺文社・新選と同じ。)
「飛び越える」の語釈(?)は、

 

  とびこえる 「とびこす」に同じ。   広辞苑

 

これは岩波と違います。岩波は「飛び越える」は自、「飛び越す」は他。一貫(?)しています。

「越える」と「飛び越える」の違いは何か。前者が自動詞であり、後者は他動詞であるとするのはどういう根拠によるのか。

「飛び越す」の用例は「垣根を飛び越す」「先輩を飛び越して出世する」です。「垣根を飛び越える」とも言えるわけですが、それは他動詞で、「垣根を越える」というと自動詞なのか。

「乗り越える」を自動詞とします。「塀を・先輩を・試練を・暑い夏を」などが用例にあります。

例えば「垣根を飛び越える」を他動詞とし、「塀を乗り越える」を自動詞と考えるなら、その違いは何なのでしょうか。前者は「行為の対象」で、後者は「移動の場所」でしょうか。

また、広辞苑の「試練を乗り越える」、他の辞書の「危機・困難を-」「悲しみを-」などの例で、これらの名詞を「移動する場所を示す語」と見なせるかどうか。むしろ「対象」ではないかという問題もあります。そうすると、それらの語を「~を」としてとる用法は他動詞だ、という説も成り立ちます。さて。

「乗り越す」には「物の上を越して進む。のりこえる。」という用法がありますが、他動詞とされます。用例は「塀を-」です。自動詞の「乗り越える」にも、まさに「塀を-」がありました。

「こえる:こす」「乗り越える・乗り越す」の対は、自動詞:他動詞とされ、「飛び越える:飛び越す」はどちらも他動詞なのです。まったく、わけがわかりません。


「乗り越す」は「乗り越える」に対応する意味の場合と、ぜんぜん別の、交通機関に関係した用法の場合があります。後者に関係する「乗り過ごす」も一緒に並べてみました。

広辞苑は「乗り越す」「乗り過ごす」を他動詞としています。用例は「塀を乗り越す」「一駅乗り越す」「うっかり一駅乗り過ごす」です。「乗り越える」は自動詞でした。
これらを自動詞とする辞書も多くあります。それぞれ、その根拠はどういうものでしょうか。

 

「乗る」の複合動詞と、その類義の動詞を。


      乗り継ぐ 乗り換える 乗り入れる 乗り出す 乗り切る 切り抜ける  
 新明解8   他    他     他    自他   自     他
 明鏡3    他   自他     他    自他   自     他
 三国7    他   自他    自他    自    自     他 
 岩波8    他   自     自他    自他   自    自    
 学研新6   他    他     他    自他   自     他 
 三現新6   他   自他     他    自他   自     他  
 小学日   自    自      他    自他   自     他   
 集英社3   他    他    自他    自他   自     他
 旺文社11   他    他     他    自他   自他    他
 新選9   自    自     自他    自    自他    他
 広辞苑7   他    他     他    自(他)  自     他
                                (新潮現代 自)

 

交通機関に関わる意味の動詞と、少し違う意味の「乗り出す」以下の動詞です。

広辞苑は「乗り継ぐ」「乗り換える」「乗り入れる」を他動詞とします。
しかし、「乗り換える」の用例は「急行に乗り換える」「多数派に乗り換える」だけで、他動詞とするための根拠にはなりません。

明鏡は「電車から/を バスに乗り換える」という用例をあげています。この「~を」を示すことが必要です。

また、三省堂現代新は、

 

  乗り換える(自他動下一)2利用していたサービスを、別の会社のものに変更
    する。「スマホを-・電力会社を-」  三現新
 
という用法をとりあげています。こういう例を見ると、他動詞を認めない岩波などはどうなんだろう、と思います。

「乗り入れる」の広辞苑の用例は、「車を乗り入れる」と「私鉄が地下鉄に乗り入れる」です。いい例だと思いますが、後者は他動詞の例と言えるでしょうか。これを自動詞と認めると、いくつかの辞書がそうであるように「自他」という判定になります。

「乗り出す」は基本は自動詞とし、「(他動詞として)「膝を乗り出す」」という用例をあげています。

「乗り切る」で、新明解は「危機(難問山積の局面・難局・不況)を-」などの例を出しているのですが、自動詞とします。広辞苑も「早瀬を・危機を・真冬を」という例を出しながら、自動詞とします。

では、同じ新明解の「切りぬける」の「難局(危機・困難な局面・その場)を-」をどう考えるか。

これらの例では「乗り切る」も「切りぬける」も同じ用法と考えていいでしょう。それで、片方を自動詞とし、他方を他動詞とするのはなぜか。新明解の用例を多く出す態度が、その中にある問題を明らかにしています。

広辞苑は「難局を切り抜ける」という用例をあげていて、同じ問題を抱えています。「危機を乗り切る」は自動詞、「難局を切り抜ける」は他動詞というのは無理があります。

どちらも自動詞とする(岩波・新潮現代)か、あるいはどちらも他動詞とする(旺文社・新選)か。 

 

(5)
       引っ越す 引き払う くぐる かいくぐる
  新明解8   他    他   自   自   
  明鏡3   自(他)   他   自   自   
  三国7   自    自     他   他  
  岩波8   自     他   自    他  
  学研新6  自    自    自   自   
  三現新6  自    自     他   他  
  小学日   自     他   自   自   
  集英社3   他    他   自   自   
  旺文社11  自    自     他  自   
  新選9   自    自    自   自   
  広辞苑7  自     他   自   自

 

「引っ越す」は、「マンションに引っ越す」なら自動詞ですが、明鏡は、

 

  「都心のマンション を/から-・して郊外に移り住む」  明鏡

 

という例をあげています。これはどちらも自動詞と見なしているのでしょうか。

 

  [語法]「銀座から新宿に事務所を-」のように、他動詞としても使う。  明鏡

 

これを他動詞と見なして別にしていますから。

新明解は、

 

  引っ越す(他五)住居や店・事務所・工場などを他の場所に移す。「転勤に伴って
    大阪に引っ越した/社屋を都心に-」   新明解

 

「社屋を都心に引っ越す」という例をあげ、他動詞としています。しかし、基本的な「大阪に引っ越した」をどう考えるのか。

「引っ越す」もなかなか自他の判定の難しい動詞です。

広辞苑は、そういう問題は気にせず(知らず?)、自動詞とします。  
「引き払う」は「東京を-」という例をあげ、他動詞とします。「マンションを引っ越す」は?

広辞苑は「くぐる」で「のれんをくぐる」「法の網をくぐる」という用例を出していますが、自動詞とします。「かいくぐる」でも「非常線をかいくぐる」という用例を出し、自動詞とします。

これらの「を」も「移動する場所を示す語」と見なしているようです。「法の網」は場所か。

 

(6)
       殴り込む 切り込む 攻め込む 攻め入る 攻めかける 攻めあぐむ
  新明解8  自    自他     他   自     他    自    
  明鏡3   自    自他   なし   なし   なし    自他    
  三国7    他   自他    自     他   なし     他  
  岩波8   なし    他   自    自    自     自他    
  学研新6  なし   自他   自    自    なし     他   
  三現新6  なし   自他   自    自    なし     他   
  小学日   自    自    なし   なし   なし    自     
  集英社3  なし   自    自    自    自     自     
  旺文社11  なし   自     他   自     他    自     
  新選9   なし   自    自    なし    他    自     
  広辞苑7  自    自他   自    自    自     自

 

「殴る」「切る」「攻める」はみな他動詞と考えられますが、「-込む」などが付いて複合動詞になると自動詞になることがあります。それをどう判定するか。

この中で問題となるのは「攻めあぐむ」で、他動詞用法を認める辞書の用例は、

  三省堂現代新「好投手を攻めあぐむ」  明鏡「鉄壁の守備に/を 攻めあぐむ」

一方、自動詞とする辞書の用例に、

  小学日本語新「敵の砦を攻めあぐむ」  新選「城を攻めあぐむ」

とあり、これらは他動詞でないかと思います。

広辞苑の編者は、これらの例を知らないのか、知っていても自動詞とするのか。

その他の動詞については、広辞苑は他の多くの辞書と同じく妥当な判断をしているようです。


以上、移動に関係する動詞と、その周辺の動詞をいくつか見てきました。

これらを見ただけでも、広辞苑の自動詞と他動詞の区別、その品詞認定の基準・運用がどうにもはっきりしないものだということがわかります。

「移動の場所」を表す「~を」は「目的語」と見なさない、という基本方針はいいのですが、実際に一つ一つの動詞を見ていくと、何を「目的語」とするのか、はっきりした判断基準があるのかどうか疑われます。