ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

愛くるしい・愛らしい

また三省堂国語辞典ですが、、、。

 

  愛くるしい 〔子どもなどの顔やしぐさが〕見るからにかわいらしい「-笑い顔」[派生] 愛くるしげ。愛くるしさ。

  愛らしい  愛情をいだかせるようすだ。かわいらしい。「-しぐさ」[派生] 愛らしさ。

 

どちらも「かわいらしい」ことに違いはないとして、さて、微妙な意味合いの違いをどう説明するか。

「愛くるしい」は「〔子どもなどの顔やしぐさが〕」という限定があります。では、「愛らしい」のは何か。用例は「しぐさ」ですが、もっと広い対象について言えるのか。

また、「見るからに」と「愛情をいだかせるようすだ」の違いは何なのでしょうか。

 

  見るからに(副) ちょっと見ただけですぐわかるようす「-強そうな男」

 

「愛らしい」も「ちょっと見ただけですぐわかる」ことだと思いますが。「愛情をいだかせるようすだ」も「愛くるしい」に当てはまるのでは?

それに、「愛情をいだかせるようすだ」というのは、何が、何に対して「いだかせる」のか。読んですっとわかるような書き方とは言えません。これがすぐわかるのは、(いつも言っていることですが)結局「愛らしい」の意味・用法を元々知っている人です。この語釈・用例を見て「愛らしい」を初めて理解するような人ではありません。

 

新明解国語辞典を見てみます。

 

  あいくるしい (形)〔「くるしい」は、強意の接辞〕
  子供や仔犬(コイヌ)・仔猫(コネコ)などの表情やちょっとしたしぐさが、いかにもあどけなくてかわいらしく感じられる様子だ。 「-笑い顔」 -さ  -げ

  あいらしい (形)〔幼児や小さな動物の表情やちょっとしたしぐさ、可憐な草花などを見て〕いかにもかわいらしいという印象を受ける様子だ。 「-花」 -さ    

                    [新明解国語辞典第七版]

 

「あいくるしい」は人と動物だけで、「あいらしい」は草花が加わります。この二つのことばが形容できる名詞の範囲に差があるという判断です。その差をはっきり示しているわけです。

こういう違いに詳しくあるべき類語辞典には何と書いてあるか。

 

  愛くるしい 人・人形・動物などの、小さなものあるいは幼児性を感じさせるものの愛すべき様子。「~子供の笑顔を見ると思わず抱きしめたくなる」「子鹿のひとみはとても愛くるしかった」

  愛らしい 人や動物などのふるまいや様子をかわいらしく思う様子。「~若妻のしぐさに鼻の下を長くする亭主」「庭先に咲く~一輪の花」「幼児の描いた~絵」◇「愛くるしい」よりも広く生物全般、またはそのしぐさや様子についていう。

                      講談社 類語大辞典

 

語釈では違いがはっきりしませんが(「幼児性を感じさせるもの」?)、用例と最後の注記を見ると、「愛らしい」のほうが対象が広い、という点で新明解と一致します。「亭主」の例はあまり感心しませんが、用例が多いのはとてもよいことです。

結論:三省堂国語辞典は、「愛らしい」の語釈を工夫し、用例をもっと出すべきです。 

赤い

「赤い」について一言書くのを忘れていました。三省堂国語辞典から。

 

  ①赤の色だ。「赤う(アコ)うございますね」

 

「赤の色だ」にも不満があるのですが、それはおいておくとして、唯一の用例が「赤うございますね」でいいものでしょうか。

もっとふつうの例ではつまらないということでしょうか。

  

  赤の色が認められる状態だ。「-夕日が沈む」 [新明解]

   赤の色をしている。「━風船[夕日]」 [明鏡]

 

夕日と風船。この「赤い風船」は、フランスの詩情あふれる映画のイメージか、それとも加藤登紀子の悲しい歌か。とにかく、具体的な何かです。

「赤うございますね」と言われても、一体何が赤いのか。イメージの浮かびようがありません。

せめて、「夕日が赤うございますね」ぐらいにしてほしいところです。

 

それと、「赤い」→「赤う」の形の変化の説明はどこにあるのか。中学生にはなじみのない形でしょう。

あちこち探してみると、巻末付録の「形容詞活用表」の解説、「形容詞の活用について」(p.1704)に、

 

   連用形が「ございます」などに続くときは音便形「う」を使うが、次の語では、語幹の音の一部も変わる。

   ・語幹の末尾の母音がアとなるもの。例、「赤い」は「あこう」、「早い」は 「はよう」。

 

という説明があります。ここを見るとわかる。しかし、中学生はどうやってここにたどりつくのか。

やはり、突然「赤うございます」なんて例は出さないほうがいいんじゃないでしょうか。

  

このところ、三省堂国語辞典ばかり見ています。「赤」の項を。

 

  赤 ①色の一つ。血や火の色。〔信号の赤は停止を意味する〕

    ②③(略)④←赤組。(⇔白) ⑤以下略

 

この④の「←」は「もとの形」をあらわすということですので(「この辞書のきまり」の中に説明があります)、「赤組」を見てみます。

ところが、「赤組」という項目はありません。さて。

「赤組」なんてことばは、わざわざ項目とするほどのことはない、みんな知ってるじゃないか、と言うのなら、そもそも「赤」が「色の一つ。血や火の色」をあらわすことぐらいみんな知っているでしょうから、わざわざ説明するまでもない、と反論されるでしょう。

気分を変えて、岩波国語辞典の「赤」を見ると、

 

  赤  ②イ 紅白試合で、赤を印にする方の側

 

という説明があります。そこで「紅白」を見てみると、

 

  紅白  赤と白。「-の菓子」「-試合」(赤組と白組とに分かれてする試合)

 

と「赤組」ということばが出てきます。(岩波にも「赤組」という項目はありません)

三国でも「紅白」を見てみると、「紅白戦」という追い込み項目があります。

 

  紅白戦 赤組と白組に分かれてする試合。紅白試合。

   〔特に、同じチームが二組に分かれてする試合を言う〕

 

「赤組」が項目としてないのなら、せめて、上の④を、例えば

 

    ④「←赤組」。〔→紅白戦〕

 

とでもして、この「紅白戦」の項目へ行けるようにしておけば、まだいいのではないでしょうか。

 

青・青い

三省堂国語辞典の「青」を見ながらごちゃごちゃと。

  あお 青 ①色の一つ。秋晴れの空や深い海の色。

ふむ。秋晴れに限定する意味はあるのでしょうか。単に「晴天の空」ではだめなのかしら? 「深い海」は「深海」ではないのでしょう。ただし、海の色も晴天のときに限ります。雨の日には青くないでしょう。

  ②みどり色。「-葉・-虫」〔信号の青は、進行・安全を意味する〕

急に信号の話をされても。まずは「-葉・-虫・-信号」のように、「みどり色」の例として出すのが先です。

  ③〔馬の〕つやのある黒い色。

これは「黒」なのか、それとも「青みがかった黒」なのか。

  大辞林 ③馬の、青みがかった黒い毛色。また、その毛色の馬。

  明鏡 ④馬の毛並みが青みがかった黒色であること。また、その馬。青毛

どちらなんでしょうか。

なぜか人の場合は緑ですね。三国の「緑」の項から。

  みどりなす【緑成す】(連体)〔文〕②「-黒髪」〔=緑の黒髪〕 

  緑の黒髪〔文〕〔若い女性などの〕黒くてつやのある、長い髪の毛。

これは、実際に緑がかっているわけではないのでしょう。

草木の繁茂することからの連想でそう言うのでしょうか。では、馬は?

 

「青い」についても一言。

  ①青の色だ。「-目〔=西洋人〕のお客さま」

こういうステレオタイプはいい加減やめてほしいと思うのですが、どうでしょうか。

そういう言い方があるのは事実ですが、辞書がそれを無批判に載せていいのかどうか。西洋人とはいったいどういう人を言うのか。インド系イギリス人も、中国系フランス人も、日系のドイツ人もいるでしょう。そういう現実を知らないのか。

その人たちは「西洋人」ではない? 

そういう話以前に、スペイン人・イタリア人の目の色って、どうなんでしょう?

どうしても「青い目」のことを言いたいなら、

  青い目(俗に、西欧の白人を指す)のお客さま

とでもしておきますか。それでも、何だか軽薄な用例のように感じますが。

 

青田

前回の「青菜」から「青」つながりで「青田」を見てみます。

 

 青田〔名〕 稲の葉が青々と育った田。特に、まだ稲の実りきらない時期の田。   [明鏡国語辞典 第二版]

 

「青田」自体は上の説明で問題はないでしょう。よく話題になるのは「青田買い」です。

また、三省堂国語辞典の語釈がちょっとおかしいです。

 

  青田買い 〔もと農業用語〕有望な人を、前もって確保すること。会社が、卒業前の学生に採用を約束するなど。〔あやまって、青田刈り〕 (三省堂国語 第七版)

 

「青田刈り」について述べた部分はあとで触れるとして、「会社が~」のところ。「卒業前の学生に採用を約束する」というだけなら、ごくふつうの「内定」に過ぎないんじゃありませんか?

それが「常識的な時期よりも早く」という意味合いが必要なんじゃないか。

 

  三省堂現代新 [俗語]卒業するよりずっと前に、学生と入社契約を結ぶこと
  新明解 〔俗に〕最終学年になって間も無い(いたる前の)学生と入社契約を結ぶこと。

  新潮現代 就職が売り手市場の場合、卒業見込みがはっきりしないうちに企業が卒業後の採用を決めること

 

それぞれ、その点を強調しています。新潮の「売り手市場の場合」という指摘は鋭いですね。

岩波は「早い時期から」、明鏡は「早々と」とごく簡単ですが、いちおう書いています。

三国の編者(執筆者)は、どうもうっかりして当たり前のことを忘れる傾向があるようです。(前々回の「雑草」の語釈)

それに、〔もと農業用語〕という説明も、できれば詳しく書いて欲しいところです。これについては新明解がピシッと書いています。

 

  【青田買(い)】 稲のとりいれ前に、収穫高を見越して前もって(安く)買うこと。〔戦前、米穀商などが、金に困った米作農家を相手に行なった〕 [新明解国語辞典第七版]

 

この記述の当否は私にはわかりませんが、正しいなら、非常によい解説だと思います。この元の意味と、新潮現代の言う「売り手市場の場合」とでは、状況が反対の場合の使い方になっている、ということですね。(もちろん、それがよくないということではありません)

次に、「青田刈り」の件。三国は「あやまって」と書いています。新明解も同じです。

明鏡・学研は「俗に「青田刈り」とも」で、「俗」ではあるけれども認める、という書き方です。

さらに、例解新は「「青田刈り」とも言うようになった」と新しい言い方として認めています。

大辞林は、「企業が,学生の採用を早い時期に決めること。青田刈り」とごくふつうの言い方として書いています。そして、「あおたがり」の項は

  ①実らないうちに稲を刈り取ること。青刈り。

  ②「 青田買い 」に同じ。

としています。

それに対して「デジタル大辞泉」は、

   稲が未熟なうちに刈り取ること。

  2「青田買い2」の誤用。

で、三国・新明解の「誤って」と同じ立場です。 

まあ、「青田刈り」では、まだ実らないうちに刈ってしまうようで、「有望な人を、前もって確保すること」という意味からずれてしまいますが、これもことばの変化として認めるかどうか。

私は、今のところ「俗」扱いぐらいがいいんじゃないかと思います。

なお、「デジタル大辞泉」は、「青田買い」の項に文化庁のアンケートの結果までのせていて有益な情報になっています。

 

青菜

三省堂国語辞典の「青菜」という項目を見ると、

 

  青菜(名) なっぱ。

 

語釈はこれだけです。(この後に、「青菜に塩」という句の説明があります。)

では、「なっぱ」を見るともう少し説明があるかと思うと、

 

  菜っ葉(名) 菜(の葉)。

 

で終わりです。(この後に「菜っ葉服」という句があります。)

何だかバカにされているような気がしてきますが、それでも「菜」を見てみます。

 

  菜(名) 葉をおかずにして食べる野菜。なっぱ。「-のおひたし・-漬け」

 

やっとまともな説明にたどりつきました。「葉をおかずにする」野菜、ですか。例えばどんなものなのか。いくつか例も欲しいですね。キャベツやレタスは入るのか。

しかし、どうして「青菜」から「菜」へ直接行かないんでしょうかねえ。なぜに「なっぱ」を経由させるのか。編者が遊んでいる?

たとえば「青菜  青い菜。なっぱ。」とすれば、「菜」にすぐ行けます。

 

他の辞書で「青菜」を見てみます。

 

  青い色の菜(岩波)

 

これはつまり「菜」を見ろということでしょう。「菜」を見ると、

 

  菜 葉・茎などを食用とする草本類の総称。あおな。なっぱ。特に、アブラナ。「-の花」「-たね」

 

ふむ。こちらはちゃんと書いてあります。それでも、アブラナ以外の菜も知りたい。

 

 青菜 青い色をした(新鮮な)野菜。菜っぱ。(明鏡・学研)

  ホウレンソウ・コマツナのような、こい緑色の野菜(例解新)

  葉を食べる、緑色をした野菜。コマツナ・キョウナ・ホウレンソウなど。(三省堂現代新)

  ホウレンソウ・コマツナなど,緑色の濃い葉菜類の総称。(大辞林

 

「青い」というのはもちろん植物の葉の青さで、つまり緑色です。語釈では「緑」というほうが誤解がなくていいように思います。

ホウレンソウとコマツナが代表的なようです。

 

  コマツナ・ホウレンソウ・白菜など、葉の部分を食べる野菜 (新明解)

 

ん? 「白」菜も「青」菜と言っていいんでしょうか。「葉の部分を食べる」ことが重要で、「青い」必要はないのか。(話は違いますが、「赤い白墨」という言い方を連想します)

 

こういうことばの意味の範囲というのは、誰の使い方が標準とされるんでしょうか。農家や八百屋さんでしょうか。それとも消費者?

その他の青菜の例がありました。

 

  青い色の菜の総称。スズナ・フユナ・カブラナ・アブラナなど。(広辞苑

 

広辞苑はずいぶん違う例をあげています。ホウレンソウとコマツナをあげないのは、あえてそうしているのか。もしかすると、より古典的な文献での使い方なのでしょうか。

 

雑草

三省堂国語辞典で「あかざ」という項目をみると、

 

  あかざ 〔植〕雑草の名。昔は食用。

 

とあります。ずいぶんそっけないなあ、と思います。それに、「雑草」なんて語を語釈に使っていいのかなあ、とも。

で、「あかざ」をほかの辞書で見ると、

 

  畑・荒れ地に自生する一年草。若葉は食用、茎はつえにする。〔アカザ科〕「-の羮」(新明解) 
 

このぐらい書いてくれると、辞書を引いたかいがあります。「つえにする」は面白い情報です。もちろん、「雑草」ではありません。

では、「雑草」とは。

 

  雑草 田畑にはえる、農作物以外のいろいろの草。生命力の強いもののたとえに用いる。(三省堂国語)

 

え?「田畑にはえる」草だけ?

では、我が家の庭に生えるのは雑草でない? そんなバカな。

他の辞書を見てみると、

 

  栽培しないのにはえる、いろいろな草。(岩波)

 

ずいぶんあっさりした説明ですが、まあ、そうでしょうか。

 

  あちこちに自然に生えているが、利用(鑑賞)価値が無いものとして注目されることがない(名前も知られていない)草。(新明解)

 

まあ、このぐらいが常識的な理解でしょう。「注目されることがない」というところがいいですね。

それにしても、三省堂の編者は何を考えているのか。

他のいろいろな草はどうなっているのか、三省堂国語を引いてみました。(語釈は一部のみ。形などの情報は省略します)

 

  えのころぐさ  道ばたにはえる、イネの仲間の雑草

  つゆくさ  道ばたなどにはえる雑草
  なずな  道ばたなどにはえる野草。
  母子草  道ばたにはえる雑草の名。    

 

この中で、「なずな」の扱いの違いはなぜ?「道ばたなどにはえる」までは同じなんですけど。「野草」とは。

  

  野草 山や野にはえる草。

 

特に「雑草」との違いはないような。

いや、「山や野にはえる」草が「道ばたにはえる」のと、もともと「道ばた」専門の雑草との違いがあるのか。これらの草をよく知っている人なら、この三国の記述をナルホドと思うのでしょうか。

さらにほかの草を。


  はこべ  いなかの道ばたに多い雑草。  

 

なぜ「いなか」に限定されるのでしょうか。「いなか」ってどこでしょう。都市あるいは郊外の道ばたと、「いなか」の道ばたではやはり違うのでしょうか。


  仏の座  ①田のあぜにはえる野草。形はタンポポに似ているが、小形。
       ②道ばたにはえる野草。春、紫色の小さな花が咲く。
  なでしこ  野山や河原にはえる草。
  ふじばかま  野山にはえる草。

 

雑草か、野草か、草か。その区別の基準は何なのでしょう。ふじばかまの「野山にはえる草」とはつまり「野草」ですよね。

単に、それぞれの項目の執筆担当者による違いでしょうか。もしそうなら、編集者の仕事とは何なのでしょう?