ことば・辞書・日本語文法(2)

日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

言い合う

動詞「言う」には、複合動詞が多くあります。これからしばらく、「言う」の複合動詞を見ていこうと思います。三省堂国語辞典を中心に、いくつかの辞書の記述を比べていきます。

まず初めは「言い合う」です。

 

  言い合う(自他五) ①おたがいに(自分の言いたいことを)言う。②口げんかをする。[名]言い合い  (三国)

 

三国は、複合動詞にあまり用例を付けません。困ったものです。2つの用法があるなら、それぞれに用例を付けるべきです。

 

  新明解 (自他五) ①おおぜいの人が互いに同じ事を言う。「口ぐちに-」②互いに相手をなじったり ののしったり する。「悪口を-」[名]言合い 

  明鏡 ①互いに言う。「口々に意見を━」② 言い争う。「遺産をめぐって兄と━」[名]言い合い

 

このぐらいの例を付けるのは当然のことでしょう。その上で、語釈のよさとか用例の適切さが問題にされます。

新明解の①の「同じ事を言う」というのはどういうことでしょうか。「意見を言い合う」のは「同じ事」なのでしょうか。明鏡の「互いに言う」というのも、これだけでは不十分のように感じます。三国の「自分の言いたいことを」が適切かどうか、もっと多くの用例が必要なところでしょう。

 

 

う(鵜)

ちょっと説明が不足していると思う項目です。三省堂国語辞典から。

 

  う[鵜]〔動〕ウミウ・カワウなどの水鳥。色は黒く、ウミウを飼いならして、鵜飼いに使う。・鵜のまねをする烏  [句] できもしないくせに、人まねをして失敗する人のたとえ。・鵜の目鷹の目 [句]〔ウやタカがえものをさがすときのように〕熱心に物をさがす(目つき/ようす)。

  うかい [鵜飼い] ウを飼いならしてアユなどの川ざかなをつかまえさせる<こと/人>。うがい。

 

以上の説明で一応のことはわかるとは思うのですが、もう一言、説明してほしいという感じがします。

「鵜のまねをする烏」で、カラスと鵜の関係というか、なぜカラスが鵜のまねをするのか、「失敗」とはどういうことなのか、ということがよくわかりません。

例解新の説明がわかりやすいと思います。

 

   例解新 自分の力を考えずに、むやみに人のまねをすると失敗するということ。[参考] ウも黒い鳥、カラスも黒い鳥だが、カラスがウのまねをして水にもぐれば、おぼれることから。


どちらも黒いところが似ていることと、しかし「水にもぐるとおぼれる」という違いがあることをはっきり書いています。(私は、カラスと鵜を並べる理由を考えたことはなかったのですが、黒いという共通点があることだ、ということをこの説明を読んで納得しました)

例解新は、中学生にわかるように、という態度が書き方にはっきり現れていると思います。三国は今ひとつ、という感がしますが、どうでしょうか。

 

これは語ではありません。見出し語の書き方についての説明です。三省堂国語辞典から。

 

  ヴ ⇒ブ 例、サーヴ⇒サーブ。

 

これを見て、何のことかわからないということはないとは思うのですが、やはり書き方としてマズイと思うのです。

辞書の「見出し」は、

 

  見出し ②項目の最初にしめした語句。「辞書の-語」(三国)

 

なので、上の「ヴ」は、そういう「語」であり、それについては「ブ」を見よ、という意味にとるのが、辞書としてのきまりだからです。(もちろん、「ブ」という項目はありません。)

上の「項目」で言いたいことは、「この辞典では「ヴ」の字を使わず、(その音には)「ブ」の字を当てる」ということでしょう。ならばそう書けばよいのです。

 

    新選 ヴ <V;v> 外来語のVの音を表すために用いる片仮名。「ヴァイオリン」「ヴェール」などの「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」に使う。[参考]この辞典では、原則として「バ・ビ・ブ・ベ・ボ」で示している。 (旺文社もほぼ同じ書き方)

 

このぐらいていねいに書くのがよいと思います。

(ただし、「外来語のVの音」というのは不正確です。 字としてのVは、読み方(音)が決まっているわけではありません。スペイン語ではVの字は「b」の音として読まれます。ここでの「V」は、発音記号としての[v]というつもりの書き方なのでしょう。)

 

辞書の見出しというのは、基本的に「語」(または「造語要素」)であるので、このような表記の注意書きは、「この辞書のきまり」の「見出しの仮名(表記)」の中で書いておくべきことでしょう。

そして、本文ではせめて、

 

  (「ヴ」 ⇒「ブ」 例、サーヴ⇒サーブ。)

 

ぐらいの書き方にして、他の「語」の項目とは違うということをはっきりさせたほうがいいでしょう。

わかればいい、というものではないでしょう。

 

う(助動詞)

助動詞の「う」の説明を。三省堂国語辞典から。

 

  う(助動・特殊型) 主として意志・推量をあらわす助動詞。〔五段活用の動詞につく〕「さあ、行こ-」⇒:よう。

 

これだけです。「よう」を見ると、

 

  よう(助動・特殊型) ⇒う(助動)〔五段活用以外につく〕「乗せ-・見られ-」

 

「う」は、「意志・推量を表す」というのですが、用例は意志の例だけです。多くの用法を持つ重要な助動詞を2行余りですませています。

「よう」に詳しい記述があるのかと思って見ても、動詞の接続形の例があげられているだけです。その例の「見られよう」という形がどういう意味になるのかという、一番大切なことが説明されていません。

他の辞書はこんな扱いをしていません。新明解33行、明鏡54行、岩波71行と、それぞれ多くの紙幅を割いて詳述しています。岩波のように詳しいと、逆に読む人はあまりいないんじゃないかと心配するほどです。
同じ三省堂で、しかも三国の編集者である飯間浩明も編集に加わっている三省堂現代新でも8行余りを使っています。
三国に近いのは旺文社で、語釈は2行半しかなく、その後に5行の活用などの説明があります。
また、三国は助動詞を軽く扱うのだ、というわけでもなさそうで、「う」の否定に当たる「まい」は12行を使って解説しています。また、(連語)とされる「だろう」にも9行を使っています。「れる」は14行。
 なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

以下は勝手な推測です。

「う・よう」の項を書いた執筆者は、おそらく古いタイプの執筆者で、助動詞の用法などは文法書で扱う事柄で、国語辞典で詳述するものではない、という考え方なのでしょう。しかし、その原稿を受け取った編集者が同じ考え方ではいけません。というより、他の助動詞の項を見れば、そう考えてはいないのだろうと思われます。では、なぜこの項だけがこのままの形で何度もの改訂をくぐり抜けてきてしまったのでしょうか。他の助動詞の項と見比べてみれば、「う・よう」だけがきちんと説明されていないことにすぐ気付いたでしょう。

改訂の際によく言われる「すべての項目を見直して」というのがただの宣伝文句にすぎないと疑わせる一つの証拠がここにあります。

う(得)

三省堂国語辞典の項目です。

 

  う [得] (他下二)〔文〕⇒え(得)る。

 

〔文〕というのは、「文章語」ということです。「この辞書のきまり」によれば、

 

  〔文〕文章語。文章などでよく使われ、話しことばではあまり使われないことばです。

 

というのですが、辞書本文の項目では、

 

  文章語 現代語のうち、おもに書きことばで使う、(やや)かたいことば。例、「去来〔=行ったり来たり〕する」「されたい〔=してほしい〕」。

 

と例をあげて説明しています。

後者でははっきり「現代語」と言っていますが、「う」は現代語でしょうか。

「える」を見よ、とあるので(「⇒」は、「見よ」だと「略語表」にあります)、そちらを見ると(用例は一部略します)、

 

  得る ①自分のものにする。手に入れる。「知識を-」②してもらう。受ける。「許可を-」③とげる 。「目的を-」④(以下略)

 

となっていて、「う」がどの用法に当たるのかわかりません。全部でしょうか。でも、「知識/許可/目的を得(う)」と書く人がいるでしょうか。いかに「文章語」とは言え。「去来する」とはずいぶん違います。

 

「う」から「える」へ来たわけですが、「える」には「う」のことは書いてありません。「う」に関係しそうなのは、

 

   ⑦〔動詞のあとにつく。ふつう、「うる」を使う〕(a) できる。「問題を知り-立場」(b) 可能性がある。「だれもが事故の加害者となり-」 

 

というところでしょうが、それなら上の「う」の項は、少なくとも「⇒え(得)る⑦」とすべきでしょう。

「得る」の項目の最後に、「⇒:得(ウ)る」とあるので、「うる」を見ると、  

 

     うる (他下二)〔活用は「え・え・うる・うる・うれ・えよ」〕①「える」のかたい言い方。「-ところが大きい」②〔動詞のあとについて〕aできる。「考え-かぎりのくふう・貢献しうれば幸いだ」b可能性がある。「将来起こり-問題」

 

ここでも、「う」の形は出てきません。「え・え・うる・うる」のところが「え・え・う・うる」だと文語の活用ですね。

この活用の形は、この辞典の付録の「活用表」(p.1702)の口語の「得る」、文語の「得ウ」のどちらとも違う、折衷的なものです。


  口語 得る  え え える える えれ えろ/えよ
  文語 得(ウ)  え え  う  うる うれ えよ

 

新明解は「う」を次のように説明しています。

 

  新明解 う [得] (他下二)「得エる」の文語形。

 

これはこれでいいわけですが、「う」の形は現代語として使われず、「うる」の形が生き残っているわけです。

 次の説明は、この辺の事情をうまく書いていて、わかりやすいと言えます。


  集英社 うる 「得エる」の文語形。「名声を-」「有り-ことだ」▽本来は下二段活用の動詞「う」の連体形だが、現在では終止形としても用いる。 

 

そこを、新明解は次のように書いています。

 

  新明解 うる[得る] ①「える」の新しい文語形。「-所が大きい」

 

しかし、「新しい文語形」というのは、ちょっととまどいます。集英社の説明のほうがわかりやすいでしょう。

初めに戻って、三国の「う」の項目は考え直す必要があります。

 

「うえ」という基本的な語をどう説明するか、です。三省堂国語辞典から。

 

  上  ①高い<ところ/地位>。「山の-・階級が-・-〔=上層部〕の意向」(⇔下)

  高い  下からの<長さ/へだたり>が大きい「-山・背が-・空高く飛ぶ」

  下  位置が低い<こと/ところ>。「-のほうへおりる」

  低い  下からの<長さ/へだたり>が小さい。「-丘・背が-・天井が-」

 

まとめると、

  上(高いところ)、高い(下からのへだたりが大きい)、下(位置が低い)、低い(下からの隔たりが小さい)

「上」の説明に「高い」が、「高い」の説明に「下」が必要で、「下」の説明に使った「低い」の中に「下」が使われています。結局堂々めぐりですね。

「右(左)」をどう定義するかは、よく話題にされますが、なぜ「上下」については、定義の難しさが議論されないのでしょうか。

 他の辞書はもっと単純です。

 

  新明解 上 高い(方にある)こと(所)。
      高い 基準とする位置から上の方向への隔たりが比較の対象とする(一般に予測される)ものより大きいと認められる状態だ。

     明鏡  上 三次元の空間で、ある基準となるものより高いほう。
      高い 上方への距離が大きい。
             上方 上の方。

     岩波  上 位置が高い、または表立った所。
      高い 基準とする面から上への距離が大きい。              

  大辞林
      上 ① 基準とする点より相対的に高い方向、または位置。「-を向く」「-の棚には洋酒を並べる」
      高い ① 空間的に基準面よりかなり上にある。 

 

これらの辞書では、「上」と「高い」の語釈がお互いにもたれあっています。他の辞書も、私の見た範囲では同じようなものでした。

まあ、普通の人はこれで別に困らないわけですが。

三次元の方向、前後・上下・左右をどう説明するか、知的なパズルとしては面白いんじゃないでしょうか。

(人間は、生きていく中で重力の方向(「重力」という概念を知らずとも、「ものが落ちる方向」でいいでしょう。)を意識せざるを得ず、その軸に従って、地面のほうを「下」とし、空のほうを「上」とする、でどうでしょうか。)

 

次に、平面などでの「上」を考えます。明鏡がなかなか詳しく書いています。

 

  明鏡 ③平面上の位置関係で、中心部や基準とする所よりも視線が上がる所。「写真の中央から二センチほど-に変な影が写っている」「-から三つ目の文字は誤植だ」
    ⑤文章で、既述された部分。以上。「-に述べたように」[表現]横書きでは「上」、縦書きでは「右」と使い分ける場合もある。

 

「視線が上がる」から「上」ということでしょうか。そもそも「視線が上がる」理由は何なのか、が説明すべきことなのでは?

また、文章で「上に述べた」というのはなぜなのか。「以上」という類義表現を加えたのはうまいと思いますが、なぜ「(以)上」なんでしょうね。日本語(中国語も)はもともと縦書きだったわけですから、「右」のほうが自然な気もしますが。

[表現]の欄で「横書きで(上):縦書きで(右)」の違いに触れているのもなかなか細かくていいと思います。(ただし、③のほうの例文で「上から三つ目の文字」は縦書きの場合でしょう。1行の中での話と、2行以上にまたがる「文章」での既述部分の話とでは、[上]か[右]かが違ってくるわけです。なかなか難しい。)

 

     旺文社 ⑧紙などを人の前に置いたとき、その人から遠いほう。「-から五番目の行」
              ⑨順序が先にあるほう。「-に述べたように」

 

「遠い」「先にある」ことがなぜ「上」になるのか。それが問題です。

  

  現代例解 ①空間的に、あるものに比べて高い場所、位置。平面で、他のものから相対的に遠いほうをさしてもいう。(略)「ノートの上の余白に書く」「上から三行目」

        ⑤音の高い部分。「上の音が出ない」

 

「他のものから相対的に遠いほう」というのはわかりにくい説明です。

「ノートの上の余白」という例はいい例ですが、説明と合っているかどうか。

「上から三行目」の例は、横書きであることを前提にしています。そのことを言っておいたほうがいいんじゃないでしょうか。

「音が高い」というのもなぜなんでしょうね。「高音:低音」という言い方はいつからあるんでしょう。[高]ければ自然に「上の音」と言えることにはなりますが。(大辞林の「高い」に「② 音や香りが顕著である。」という説明がありました。「高い」とはそもそも「目立つ」ということなのでしょうか。ふーむ。面白いですね。)

 

  大辞林 ④ 紙などを人の前に置いた時、その人から遠い方向、または位置。「-から三字目は何と読むのか」「本文の-に頭注をつける」
     ⑤ 連続しているものの、順序が先の部分。「-に述べたように」「-に『ら』のつく言葉を言って下さい」

 

「順序が先」だとなぜ「上」なのか。「上から下へ書く」ということが前提になっているのでしょう。平面に置いた紙などより、「立て札」「石碑」などのイメージでしょうか。

   

    小学館日本語新
        ④立てたとき、位置が高くなるべき部分、方向。(ア)(足に対して)人の頭の方向。「布団を上に引っ張る」(イ)本や紙などを前に平らに置いたとき、その人から遠い方の部分。「上に英文を書き、下に訳を示す/切手を封筒の左の上の端にはる。


「立てた時、高くなる」から、という説。なるほど。私は、この説がいいかな、と思うのですが、でも、「本や紙」は「立てた時」が標準状態なのか、という疑問がどうしても残ります。本棚には立てて並べますが、「積ん読」とも言うし。東洋の昔の本は、立てられなかった? (上(!)で触れた「立て札」「石碑」などは、まさに「立って」います)

布団の例はいい例ですね。寝ているとき、「頭の上/足の下 のほう」という言いかたをします。「(人が)立っている時」が基準なんですね。

 

なお、三国・新明解・岩波には、平面での「上」の用法についての記述はありません。こういう用法があることに気付いていないのでしょうか。

 

ここ

「ここ」にはいろいろな用法がありますが、ここで問題にするのは「ここ数日」という場合の「ここ」です。

三省堂国語辞典新明解国語辞典から。

 

  ④きょうまでの短い期間。最近。「-一週間ばかり会っていない」  (三国)

  現在に近い時間。最近。「-二、三日のうちに」「-へ来て寒さもやわらいだ」  (新明解)

 

どちらも、過去のこと(「最近」)としています。

他の辞書を見ます。

 

  現在を基準としてその前または後の近い日時。「━のところ雨が降らない」「━二三日が山です」 (明鏡)

  ⑥ 現在を含んだ、ある期間。現在を中心に過去にも未来にも用いる。 「 -数年、豊作続き」 「 -数日が山だ」    (大辞林

  3 現在を中心としてその前後を含めた期間をさす。

   ㋐今まで。「―一、二年というもの、病気ばかりしていた」

   ㋑これから。「―数年で街もすっかり変わるだろう」  (大辞泉

 

未来のことも言うのは明らかだと思うのですが、三国と新明解はどうしたのか。