ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

FGHI

前回の続きで、F以降を見ていきます。(Eはすでに見ました)

三省堂国語辞典を中心に。

 

  エフF ①[f]〔←フォルテ〕。②[F]〔←ドFahrenheit〕華氏温度。

     以下③から⑧まで略記   ③レンズの明るさ ④焦点距離 ⑤建物の階 ⑥鉛筆の硬さ  ⑦女性 ⑧フリーサイズ

     ジーG・g〔←gravity〕〔理〕加速度の単位をあらわす記号。重力の作用だけで落下するものに加わる加速度が、1G。「三-〔=地球上のGの三倍の加速度〕・-がかかる〔=重力が加わる〕  (三国)

 

 「F」の詳しさは何でしょうか。それだけの用法があると言えばそうなのですが、「G」と比べるとその違いの大きさに驚きます。

明鏡の「G」を見ると、

 

   ①〖g〗質量の単位、グラム(gramme)を表す記号。
   ②〖g〗重力加速度(gravity)を表す単位および記号。
   ③〖G〗数の単位、ギガ(giga)を表す記号。
   ④〖G〗磁束密度の単位、ガウス(gauss)を表す記号。
   ⑤〖G〗万有引力定数を表す記号。
   ⑥〖G〗音楽で、音名の一つ。ト音。    (明鏡)

 

とあり、多くの用法があげられています。少なくとも、「グラム・ギガ・ト音」ぐらいは三国にもあるべきでしょう。

結局、三国の「F」と「G」の違いは、執筆者の違いなのでしょう。「E」が詳しかったように。(明鏡は、「E」「F」は項目すらありません。こちらも、執筆者によって詳しさが違い、編集者はそれに気付いていません)

新明解は、「F(f)」は詳しいのですが、「G」はありません。

 

 【F】
   ①〔←ド Fahrenheit〕カ氏温度。
   ②〔←focal length number〕〔写真で〕レンズの明るさを表わす記号。〔開放にした時のしぼりの数値で示す。例、「F 1.8」〕
   ③〔←firm〕鉛筆の芯(シン)の硬さを表わす記号。HBより硬く、Hより軟らかい。
   ④〔←floor〕その建物の、地上何階かを示す記号。
 【f】
  ①〔楽譜で〕フォルテの略記号。
  ② 〔←focal length〕〔写真で〕レンズの焦点距離。「f= 45 mm」 (新明解)

 

三国と似ているのは、もしかすると同じ執筆者なのかもしれません。三国の⑦⑧は、あとからの改訂で付け加えられたもの、と勝手な推測をしてしまいます。

次は「H」です。「エイチ」と「エッチ」の2つの発音があります。三国は「エッチ」は性的なこと、「エイチ」はそれ以外、と分けています。

 

  エイチH ①〔←hard〕えんぴつの芯のかたいことをあらわす記号。(⇔ビー) ②「ヒップ〔=しりまわり〕」の略字。③〔←hour〕〔看板などで〕→時間③ △エッチ

  エッチH①(形動ダ) 性的でいやらしいようす。②(名・自サ) 性交。[表記]「H」とも書く。     (三国)

 

明鏡は「エッチ」に統一し、鉛筆と性的なことのみです。

  エッチ【H】名 ①鉛筆の芯しんの硬さを表す記号。1Hから9Hまであり、数値が大きいほど硬い。エイチ。⇔B hard(=硬い)の略。

   ② 形動〔俗〕性的に露骨でいやらしいこと。また、その人。「━な話」hentai(=変態)の頭文字からという。

     ③自サ変〔俗〕性行為を遠回しに言う語。「恋人と━する」 (明鏡)

 

新明解も同じです。

  エッチ【H】〔エイチの俗な発音〕 ①〔←hard〕鉛筆の芯(シン)の硬さを表わす符号。[語例]-B ・ 2- 〔=HHとも書く〕⇔B

    ②-な〔Hentai(変態)の頭(カシラ)文字で、もと女学生の用語という〕性的な事柄に興味を示す様子だ。「-する〔=(結婚する意志もないのに好奇心にかられて)性行為を行なう〕」  (新明解)

 

それにしても、「エッチする」の解説のすごく偏ったものの見方は、さすが新明解ですね。山田忠雄が亡くなっても、その精神は生きているようです。 

さて、「I」ですが、どの辞書にもありません。それでいいのでしょうか。「アイエルオー ILO」などは項目としてあるのですから、「I」という字を「アイ」と読むことは、日本語の知識の一部です。(「アイ」は英語の発音ではありません。日本語の中に取り込まれた、外来語としての発音です)

また、

  i 2=-1

が読めないと、そして、この等式の意味がわからないと、高校を卒業したとは言えないんじゃないでしょうか。

日本語の中で、日本語として使われている要素を過不足なく取り出し、適切な記述をすること、これが国語(日本語)辞典の役割だと思うのですが。

この問題は、国語辞典の多くに共通する問題です。(このことは、前に「パイアール二乗」という記事の中でも書きました) 

 

◇追記  20.11.23

「G」のところで、

 

   少なくとも、「グラム・ギガ・ト音」ぐらいは三国にもあるべきでしょう。

 

と単純に書いたのはよくなかったと思うようになりました。

 

「グラム」は「g」と書くけれども、「ジー」とは読みませんね。

「2g」は、「にグラム」と読む。

「ギガ」も、「2G」は「にギガ」と読むでしょう。

 

つまり、明鏡が「ジー」の項目にこれらを入れたこと自体がそもそも問題を含んでいると考えるべきでしょう。

 

「g」は、字(記号)としては確かに「ジー」という発音を持つけれども、「グラム」の意味で使われた場合は、それを「ジー」と[読む]わけではない。そのようなものを、「ジー」という発音(読み)の見出し項目の中に入れていいのか。

そこを考えておく必要があります。

 

これは、明鏡だけの問題ではなく、他の辞書にも共通する問題です。

「2Gヘルツ」と書いてあるものを見て、この「G」が何を意味しているのか分からない人が辞書を引こうとするなら、やはり「ジー」を見るのでしょうから、「ジー」の所で「ギガ」の意味とそう読むことを説明する必要がある。

そこで、この「2G」は「にジー」とは読まないことを注記しておくべきでしょう。

 

なかなか複雑ですね。他のアルファベットも考え直してみなければなりません。

助詞「は」のところに「ワ(wa)と発音する」と書くようなものでしょうか。

 

ABCD

前回、「E」を書いたので、そのつながりでアルファベットについて見てみます。三省堂国語辞典から。

 

  エー[A ] (名) ①アルファベットの第一文字。②名前を出さないで言うときに使う符号。「少女-」 ③〔←answer〕答え。(⇔Q) ④→エース① △エイ ・AからZ(まで)[句] (略)

 

②が面白いですね。例の「少女A」もいい。

この「A」を含む言い方、つまり「A~」という項目を見ていくと、また面白いです。

「A4・A5・A6」という項目があります。JIS 規格の紙の大きさです。なぜか「A3」はありません。「A6」があって「A3」がないというのは、ふだんコピー機を使っている人間には不思議です。「A6」って紙、見たことありません。

おそらく、「A6」は出版関係で使われるからでしょう。文庫本の大きさです。編集者にとっては、なじみのある紙の大きさなのでしょう。

紙の大きさはともかくとして、その他に「A級・Aクラス・A面」という項目があります。それぞれ、必要な項目だと思います。

そこで、これらに共通する、「(一番)よいもの」という意味を表す、ということを「A」の項目に書いておいたほうがいいのではないでしょうか。

 

次は「B」です。

 

  ビー[B] ①アルファベットの第二文字。②名を出さないで(Aに続けて)言うときに使う符号。「A高校の-先生」③〔←basement〕〔建物の表示で〕地階。「-2〔=地下二階〕 ④〔←black〕えんぴつの芯のやわらかいことをあらわす記号。(⇔エイチ) ⑤バスト〔=胸まわり〕の略字。

 

①と②は「A」と共通です。③以下は、それぞれの英語の違いでしょう。こちらも、「B4・B5・B6」があり、「B級・Bクラス・B面」があります。その他に「B反」という項目もあります。(「反物」です)

「B級」には、

  ②マニアに人気のあるもの。「-映画・-グルメ〔=大衆料理〕」

という用法もあります。「A」には、これに対応する用法はありません。この②の語釈には異論もありますが、それはともかくとして、次のCへ行ってみましょう。

 

     シー[C] ①〔←Celsius〕セ氏温度計の温度の記号「一六〇度-〔160゜Cとも書く〕の油」 ②名を出さないで(A・Bに続けて)言うときに使う符号。「少年-」。③等級の3番め。「-クラスに落ちる」

 

あれ? ①を「アルファベットの第三文字」としない理由は何でしょうか。

そのかわり、「等級の3番め」という「A・B」には書かれていなかった(しかし重要な)用法が示されています。記述が不統一です。

ここでは「Cクラス」が「C」の用例として使われていて、項目としてはありません。

「B」では、

  Bクラス → B級①。

  B級 ①〔Aクラスの下の〕第二級。Bクラス。②(略:上述)

のようにして立てられていた項目に対応する「C級」もありません。

逆に、そのおかげで、「A・B」にはなかった「等級の3番め」という重要な用法が「C」の記述に加えられたことになります。

まったく、不統一です。

さて、「D」はどうでしょうか。

なんと、「D(ディー/デー)」は項目自体ありません。(このことは、「E」のところでも書きました) 

「T」はありますが、その隣にあるはずの「D」がありません。「D」は、日本語では重要な用法がないというのでしょうか。

 

  新潮現代 ディー[D・d] ①英語のアルファベットの第四字。②[D](1)ローマ数字で五百。(2)〔音〕音名ニの英名。独名デー。イタリア名レ。③[d](フdeciの略)デシの記号。


 新潮現代国語辞典は、さすがにひと味違った辞書です。ただ、成績などで4番目であることもほしいところです。昔の「優・良・可・不可」に対応するのが、現在は「A・B・C・D(E・F)」なのですから。

また、「一年一組・四組」のように「一年A組・D組」という名付け方があることも書いておいたほうがいいでしょう。


    学研現代新 エー A ①連続したものの一番目のもの。また、最初。「一年-組」「-からZまで(=最初から最後まで。また、すべて) ②最もすぐれたもの。「成績が-」③音名のイ音。「-マイナー(=イ短調)」④「ビタミンA」「A判」「A型」などの略。

 

学研は①として「一年A組」という、ごくふつうの「A」の使い方をのせています。
  この学研は、①②はいいのですが、三国の②③④の用法がありません。三国には学研の①②③がありません。お互い、もう少しまねしあってもいいと思うのですが。

 

他の国語辞典もちょっとのぞいてみましょう。

明鏡国語辞典

 「A」なし。「Aクラス・A判・Aライン」という項目があります。

 「B」は鉛筆の濃度だけ。「B級」があります。

  B級 〔俗〕第二位の等級。「━グルメ」「━映画」▽一級ではないが、それなりの味わいがあるとしていう。

 「C」なし。「Cクラス・C級」もありません。なぜか「ジー」は詳しく、6つの用法があげられ、その中には「音楽で、音名の一つ。ト音。」というのがあるのですが、それに対応する「C」の音楽用語としての記述はありません。
 

新明解国語辞典

 「A」なし。「Aクラス・A判」が項目としてあります。

 「B」は「地階」と鉛筆の芯の柔らかさ。「B級」の説明がいいです。

 B級 ①〔最上位をA級とする事柄について〕順位や位置づけが上から二番目であること。[語例]-ライセンス ・ -戦犯 ②高級とは言えないものの、親しみやすいために大衆に支持されていること。[語例]-グルメ ・ -アクション映画

しかし、「最上位をA級とする」と言いながら、「A級」という項目はありません。これは、明らかに見落としでしょう。

 「C」なし。「Cクラス・C級」もありません。 

 「D」なし。

 

岩波国語辞典

 「A」なし。「Aクラス・A5・A4」が項目としてあります。

 「B」なし。「B級・B5・B6」があります。「A」との違いが面白いです。

 「C」なし。「D」なし。

 

以上3冊の国語辞典は、三国よりよくないと言っていいでしょう。ただ、明鏡・新明解の「B級」の語釈は、三国よりいいと思います。三国の「マニアに人気のあるもの」というのは、見当違いです。

他の国語辞典は、まだ調べていません。よいものがあったら、またとりあげましょう。(大辞林レベルは別として、ですが) 

 

E

ローマ字の記号としての使われ方です。三国はけっこう詳しく書いています。

 

  イー [1]E・e(造語)〔E-・e-〕〔←electronic〕電子の。インターネットでの。

     「-メール〔=電子メール〕・-コマース〔=電子商取引〕」

     [2]E(名)①〔←east〕東。磁石などで使う記号。

      ②〔音〕ハ長調のミ。ホの音階。「-マイナー」

           ③ 足囲〔=足の親指と小指の付け根を結ぶ周囲の長さ〕をあらわす記号。

       E、EE、EEE、EEEEの順に大きくなる。

 

[1]と[2]をきちんと分けているのはいいですね。

[1]は大文字・小文字の両方を使うこと、造語成分であること。例もあげてあるし、しっかり書いてあります。

さて、[2]のほうは問題が多くあります。この項目の記述自体の問題だけでなく、辞書としての体系的配慮の問題です。

まず①。この「E」はいいとして、東西南北:EWSNの記述が揃っているかどうかを見てみると、W、Sでは方角についての記述なし。エヌは項目自体なし。何ということでしょうか。

「E」が東なら、北はどう表されるのか。そういうことを考え、全体を見回すのが編集者の仕事でしょう。

 

②音楽で、「E」は「ハ長調のミ」であるらしい。では、ハ長調のレやファは、D・Fなのか。

AからGを見てみると、A・B・C・F・Gには音名としての記述がありません。Dは項目自体なし! なぜEだけに音名があるのか。

 

大辞林を見てみると、

 

  E ③ アメリカ・イギリス・ドイツの音名の一(ドイツ語読みはエー)。

     ハ調長音階の第 3 音「ミ」、日本音名の「ホ」。
  D ① アメリカ・イギリス・ドイツの音名の一(ドイツ語読みはデー)。

      ハ調長音階の第 2 音「レ」、日本音名の「ニ」。

 

当然、このように同じ情報が得られるような形の記述をするべきです。三国は、この辺がぜんぜん足りない。

 

さて、②の、「ハ長調のミ」の音名を「E」と言うのだ、というのはまだいいとして、次の「ホの音階」とは何のことかわかりません。これがどういう意味なのかは、「音階」の説明からわかるでしょうか?


   音階 〔音〕一オクターブの楽音を高さの順に配列したもの。

 

そして「ホの音階」の「ホ」とは、

 

   ホ 〔音〕長音階のハ調のミに当たる音。E音。

 

ということで、元に戻ってしまいました。

「ホの音階」の、「ホ」と「音階」との関係をどう理解したらいいかは、この2つの項目の語釈からはわかりません。

さて、いったい何なのか。用例の「Eマイナー」というのは、どこかで聞いたことがあるような気がしますが、なんだかわかりません。

前に「イ」のことを書いた時、音楽関係の用語をいろいろ調べてみましたが、その時の説明から理解できたかぎりで言うと、長(短)音階の第一音をホとする音階、ということでしょうか??

 

最後に、③はずいぶん詳しい説明です。大辞林にもありません。靴屋さんの業界用語なのでしょう。ここの「足囲」はどう読むのでしょうか。ソクイ と読むようですが、読み仮名をつけたほうがいいでしょう。なお、三国にこの項目はありません。「EEE、EEEE」も情報としていいけれど、読めない語の読みを入れてほしかったところです。「そくい」という項目は要らないと思いますが。 

 

ということで、結局、この項目の執筆者はいろいろな方面に気を配って執筆したけれども、他のアルファベットの項目の執筆者はそうでなかったということでしょう。そして、編集者はその不均衡に気づかなかったということです。

三国は、いい辞書ですが、まだまだ直すべきところがたくさんあります。

 

慰安

「い」一字を脱して「いあん」を。

 

  三省堂国語辞典

  いあん 慰安(名・他サ) なぐさめること。気晴らし。「-旅行」                                

 

「なぐさめること」と「気晴らし」ではずいぶん印象が違うのでは。同じことの言い換えのつもりなのでしょうか。違う意味なら、①と②に分けるはずです。

「なぐさめる」と「きばらし」を見てみます。

 

  なぐさめる 慰める(他下一) ①つらい気持がやわらぐようにする。「失恋した友だちを-・霊を-」
      ②〔文〕苦労をねぎらう。「労を-」 

  きばらし 気晴らし(名・自サ)ゆううつな気持ちを、はればれさせる<こと/おこない>。気分転換。    (三国)


 そもそも他動詞と自動詞ですし。「(自分の気持ちを)なぐさめる」なら、「気晴らし」に近くなり、「自分を」なので自動詞的になりますが。

上の「慰安」の語釈の「なぐさめる」は①、②のどちらなのか。まずは①だと考えるか。それで「気晴らし」と近いものと考える。

「慰安旅行」は、会社が社員の「苦労をねぎらう」のでしょうから、②ですが、①の意味にもなるでしょうか。自分で自分の気持ちを慰める?

また、「なぐさめる」の①の例に「慰安する」を入れると、「失恋した友だちを慰安する」となりますが、そう言えるでしょうか。

「慰安する」「慰安を与える」などの表現は、現代語としてはあまり使われない、かなり硬い書きことばでしょう。よく使われる「慰安旅行」という複合語以外は[文](三国では「文章語」の略語)としていいのでは?

 

現在、新聞などで「慰安」が使われるのは、「慰安旅行」を除けば、圧倒的に「慰安婦慰安所」という熟語の形だと思います。そこを国語辞典としてどう扱うか、が問題です。

それが、三国でこの語の語釈・用例を見たときの、何とも言えない違和感、物足りなさの由来なのでしょう。ん? これで済ませてしまっていいの? という。


三省堂現代新は「慰安婦」を項目として立てています。明鏡・大辞林広辞苑も。


  慰安婦  [第二次世界大戦などの]戦地で将兵を相手に売春を強いられた女性。従軍慰安婦

 

三国のような、「中学生から使う」国語辞典にこのような語が必要かどうか。社会科の教科書に出てくるなら、新聞でよく見る語なら、やはり必要です。「広く一般に使われている」語です。ただ、こういう語は強いて立てない、という立場もあるとは思います。賛成はしませんが。(広辞苑大辞林の類では必須の語でしょう)

さて、三国の編集者はどう考えているのか。

 

三省堂国語辞典から。

 

  い イ (名)〔音〕長音階のハ調のラに当たる音(オン)。A音。

 

ひらがなの次にカタカナがあるのは、カタカナで書くのが標準表記である、ということです。音楽用語です。

他の辞書にはあまりありません。学研現代にはあります。

他の音も引いてみます。

 

  ろ ロ (名)〔音〕長音階のハ調のシに当たる音(オン)。B音〔=ドイツではH音〕。「-短調
  は ハ (名)〔音〕長音階のハ調のドに当たる音。C音。


  「ニ・ホ・ヘ・ト」もほぼ同じです。ニとトにだけ「ニ長調」「ト調」という例があります。「イ」にも、例として「イ短調」などがほしいところです。
 ロにだけ、ドイツでの言い方が書いてあるのはなぜかわかりません。謎です。

さて、「長音階のハ調のラに当たる音。A音。」という語釈で、「イ」とは何かがわかるでしょうか。

大辞林はもう少し詳しく書いています。


  大辞林 洋楽の音名。欧語音名Aにあてた日本音名。洋楽音律では、通常四四〇ヘルツのイを基準音とする。 

 

これも、わかりやすいとは言えませんが、この語の背景が少しわかります。まず、「洋楽の」つまり「邦楽」ではない、「音名」、音の呼び方だとわかります。そして、「日本音名」であること。「欧語」での音名では「A」であること。

後半の「洋楽音律」以下は何だかわかりませんが、物理的な高さが、ともかくわかります。「基準音」がいったい何の基準なのかはわかりません。  

さて、これと「長音階のハ調のラに当たる音。A音。」とではどちらがわかりやすいか。

三国のほうがわかりやすそうですが、それでも「長音階」とは何か、私にはわかりません。「ハ調」もよく聞くことばですが、なぜそういうのか、理由ははっきり知らない人(もちろん私も)が多いでしょう。「ラ」は(正確なことはともかく)「知っている」と言ってもいいでしょうか。「ドレミファ~」の6番目の音をそう言う、ということで。(しかし、そもそも「ドレミファ~」とはいったい何なのか、はわかりません)

最後にポンと置かれた「A音」は、大辞林のいう「欧語音名」なのでしょうが、それがわかるくらいなら「イ」を辞書で引いたりしないでしょう。わかる人にはわかる、という例。

そして、わからない人が調べようとしても、「エーおん」という項目は三国にはありません。「A(エー)」はありますが、音楽用語としての説明はありません。つまり、「イ」の語釈の中の「A音」は、三国の中では説明が見つけられません。困ったもんだ。

さて、ここから話は長くなります。「長音階」「ハ調」「ラ」を三国の中で調べるとどうなるか、を追いかけてみます。

 

  長音階 七つの音からできていて、第三音と第四音の間と、第七音と第八音の間が半音である音階。メジャー。(⇔短音階)


「七つの音からできて」いる音階で、「第八音」とはなんぞや。説明が要りますね。「音階」がわからないといけないようですが、その前に、反対語の「短音階」を。


  短音階 七音からできていて、第二音と第三音の間、および、第五音と第六音の間が半音である音階。マイナー。(⇔長音階)


あるところが「半音」であるのはいいのですが、それ以外が「全音」であることを言わないと足りないんじゃないでしょうか。

「半音」と「全音」を調べる前に、「音階」です。

 

  音階 一オクターブの楽音を高さの順に配列したもの。

 

「一オクターブの楽音」とは何か、いくつあるのか、が問題です。


  楽音〔理〕規則正しく振動するおと。例、楽器のおと。(⇔騒音)

  オクターブ ①ある音から、半音でかぞえて、十二音だけ高い音。ある音に対して二倍の振動数を持つ。②半音で十二音ぶんの、音のはば。一オクターブ。


「音階」の「オクターブ」はこの②のことだとわかります。「半音で十二音ぶん」だと。で、「半音」とは。


  半音 ピアノの鍵盤でとなり合った鍵どうしの、音の高さの差。例、ミとファ。(⇔全音)

  全音 半音二つ分の、音の高さの差。(⇔半音) 


急にピアノを説明に使うとは。理屈だけで説明しようとすると、どうも行き詰まってしまうので、具体的な、読み手にわかるようなものを出してくる、ということ自体はいいことだと思うのですが。

しかし、ファとソも「となり合った鍵」と言えませんか?

白鍵どうしも「隣り合っている」のだけれど、間に黒鍵があるところではそう言えない。「ミとファ」という、ちょうど都合のいいところの話だけでなく、黒鍵のことも言わないと。

全音」のほうで「ファとソは間に黒鍵があるので全音の差になる、とか言えばいいのでしょうか。

  また、「ミとファ」というのも、何調かによってどちらかが黒鍵になったりするのでは? ピアノにおいて、「隣の鍵」とは。

  なぜピアノは「半音」の差を基準として鍵を並べるのか、というのが根本的問題だと思うのですが、それは、国語辞典としては解説不能ということになるでしょうか。

さて、元に戻って、「ハ調」と「ラ」です。

 

  ハ調 「ハ」から始まる音階の調子。

  調子 ①音や声の<高さ/高低>「-はずれの音・-が狂う・高い-で話す」②リズム。拍子。(略)

  ラ〔イla〕〔音〕ソの一つ上の音(オン)の名。

 

以下、ソ・ファ・ミ・レ、と下がって、

 

  ド〔イdo〕〔音〕長音階の、第一の音の名。

 

で、「長音階の、第一の音」という出発点が定まります。

 

以上の項目の説明をそれぞれ読んでいって、全体像がわかるのでしょうか。結局、ピアノの鍵盤に行き着くのなら、それをもっと使うとか。


少なくとも、最初の「長音階短音階」の説明の所で、「全音階」であることを言っておいたほうがいい、とは言えないでしょうか? そうしないと、「オクターブ」「全音」「半音」の関係が見えてきません。少なくとも「→全音階」を最後に付けるのがよいと思います。


  全音階 オクターブの中に、五つの全音と二つの半音を含む音階。(⇔半音階)
  半音階 十二個の半音からできている音階。(⇔全音階)

 

それから、「オクターブ」のところで、①の一オクターブ高い音から、また次の②のオクターブ分の音が並ぶのだという、当たり前のことを示唆するような言い方も必要ではないでしょうか。
  長音階の「七つの音」が「オクターブ」の基礎としてあり、その七つの音が何度も繰り返されるのが全体としての長音階だということ。やはりピアノの鍵盤のイメージがわかりやすいですね。
    しかし、ピアノがあのような形に作られている、その根本原理を説明するのは大変なのでしょう。

国語辞典が、数学や物理学の難しいことを説明する必要はありませんが、音楽は、かなり身近なものなのですが、それを説明しようとするとかなり複雑な話になってしまう。そこをどうわかりやすく説明するか。

三国がかなり頑張っているのはわかるのですが、もうちょっと、と期待するところです。

漢字一字の語で「衣」。三省堂国語辞典から。

 

  い 衣 [1](名) 着るもの。着ること。「-食住・-生活」

     [2](造語)〔-衣〕〔いちばん上に着る〕衣服。「作業-・消毒-」

 

[1]のほうは名詞であるというのですが、その用例の中での用法は名詞とは言い難いのでは? 「衣食住」も「衣生活」も一つの名詞でしょう。つまり、「衣」は造語成分と見なされかねません。

「衣生活」の「衣」は名詞で、「作業衣」の「衣」は造語成分だというのは、分析として正しいのかどうか。そのような理論的な問題は私にはわかりません。

「衣・食・住」はそれぞれ独立した名詞で、「衣食住」は「複合名詞」なんだ、と言えないことはないでしょうが、そんなことを主張するより、「衣」の名詞としての用例をはっきり示すほうがいいでしょう。

他の辞書、例えば明鏡は「衣を整える」、岩波は「衣も食も」という例をあげています。これらの使われ方を見ると、「衣」は名詞だとはっきり言えます。

[2]の〔いちばん上に着る〕という注記は、なるほどと思わせる、芸の細かいところです。[1]の名詞の場合は下着まで含みますから。

しかし、「上に着る」という規定は十分かどうか。

同じような用法を持つ「着(ぎ)」を見てみましょう。

 

  ぎ 着・衣 (造語)きもの。「外出-・ふだん-・柔道-」

 

 「衣」は「着るもの」で、「着」は「きもの」です。この違いは? まあ、同じなのでしょう。それはいいとして、ここの用例も「上に着る」ものと言えないか。

他の「衣」と「着」の用例を見てみないとわかりませんが、ここにあげられた例を見る限りでは、「衣」のほうは、何らかの限定された業務に使う(特別な)服、という感じがしますが、どうでしょうか。

そういう意味で、「着」のほうが広い。

もしこのとらえ方が正しいとするなら、「ある仕事のための」とか「特別な目的のための」、「上に着るもの」とするといいのかな、と思います。

漢字一文字の「医」の項目について。

 

  医(名) [1]①医術。医学。② ←医学部。[2](造語)〔-医〕医者。「内科-・開業-」                   三省堂国語辞典

 

三国のこの項目はいいと思います。どこがいいかと言うと、名詞と造語成分とを分けて書いているところ。明鏡も同じです。

悪い例。新明解。

  

  患者に適切な指示を与え、適薬を与えたり 必要な手術を施したり して病気を治すこと(技術)。「-は仁術」[ 語例 ]「-者・ 名-・ 外科-」   [新明解国語辞典第七版]

 

「医は仁術」という用例はいいのですが、[語例]の「名医・外科医」の「医」は「病気を治すこと(技術)」ではありません。

反対に広辞苑は、「医」を「病を治す人。くすし。「主治-」」とし、「人」としての説明しか与えていません。それなのに、「-は仁術なり」という「医術」としての句をあげているのは矛盾しています。

こういうところを見ると、きっちりと記述しようという気がないのだろうか、と思います。

もう一つ。新選の「医」の用例に「医院・医療・病院」とあるのは、単なる不注意によるミスでしょうか。(最後の「病院」)

私もやりそうなタイプのミスで、なんというか、親近感を覚えます。